トルコ・アナトリア高原 カッパドキア滞在 1984 … WanderVogel2012/04/25

トルコ カッパドキア 1984
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ノアの方舟が流れ着いたという伝説のあるアララット山を脇に見ながらもイラン側イミグレーションで足止めされ、一昼夜かけてやっとトルコ側に国境を抜けたのが1984年の秋でした。

イミグレーションで足止めされた原因は、テヘランからイラン国境を越えるまでの区間でたまたま乗った長距離バスが「テヘラン発ダマスカス行き」の現地民のイスラム聖地巡礼バスだったようで、「ご一行様」に間違われて厳重な荷物チェックの渦に巻き込まれてしまった、というのがことの顛末です。

やっとのことでたどり着いたアナトリア高原の真ん中に位置する「ネブシェヒル 村」は、周囲に点在する奇妙な形の家々や地下深く掘り込まれた地下都市などを見て回る旅の中心となる村です。

元々は初期キリスト教徒達がローマ帝国の弾圧から逃れるためにこの地に移り住み、岩をくり抜いて隠れ住んだのが最初なのだそうです。
(もっと古くはヒッタイト時代にまで遡るらしいのですが…)
その後、イスラム勢力からも迫害されることになり、そのままここに隠れ住んで(周囲の掘りやすい土質も幸いしたのでしょう)岩山や断崖の岩壁、地下深くを長い年月をかけ掘り進めて長大な洞窟都市を造り上げていきます。

ネブシェヒル 村を中心に、ギョレメ、ウチヒサール、ユルギップなど周辺の村々一帯に写真のような奇妙な光景が広がっています。
(1985年にはカッパドキア一帯は世界遺産に登録されています。)


アナトリア高原一体は火山噴火によって出来た大地で土壌自体の水はけも良く、細かい火山灰台地のあちこちに葡萄畑が広がっていました。
干しぶどうやワインの醸造も盛んに行なわれていて、当時も「カッパドキアワイン」として有名でした。
イスラム圏なのに、アルコールがおおっぴらに飲めるという当時では珍しい土地でした。

ウチヒサールの村の通りを見下ろせるホテルの一室に、1週間ほど滞在してあちこち見て歩きました。
素朴な村での滞在は、過酷なイランを旅して来た身には、本当にホッと出来る時間・空間でした。

トルコ料理は西洋料理の原点とも言われているようで、確かに料理のセンスもバリエーションもパキスタンやイラン、これから行くギリシャ、ユーゴスラビア(当時は分裂前で1つの国でした)など足元にも及ばないほど、料理もパンもワインも素晴らしく美味しかった思い出があります。

・・・不定期に つづく

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