金沢八景・野島の旧伊藤博文金沢別邸 … 建築の旅・WanderVogel ― 2012/08/14
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私の住み暮らしている金沢八景は、八景島シーパラダイスがあるところと言ったほうが解り易いでしょうが、「八景」と名の付くように古くから風光明媚な地として知られていたようです。
湾に流れる込む侍従川の対岸に野島という小高い丘を持った小島があって、その野島の海側に面してこの旧伊藤博文金沢別邸は建っています。
写真を撮っている側が海側(東京湾)ですので、正面の縁側に腰掛けると目の前の芝生越しにパッと一面の海が広がって見えます。
(今は、前方に八景島シーパラダイスも見えますが・・・)
この別荘は明治31年に伊藤博文により建てられた、茅葺き屋根の田舎家風意匠を持つ海浜別荘建築です。
(明治憲法の草案が作られた「夏島別邸」とは別の建物だそうです。)
明治期には東京近郊の海浜別荘地として金沢八景は注目されていたようで、こういった形態の別荘建築がたくさん建てられたようですが、今となっては現存する建物もほとんどなくなっていますので、これは貴重な文化遺産といえます。
昭和初期にはいると別荘地としてのトレンドは、茅ヶ崎・藤沢・大磯など鎌倉から小田原にかけての海浜地区に移行していくことになります。
竣工時は5棟構成で建設されていたのですが、横浜市が所有した時(昭和34年)にはそのうちの客間棟、居間棟、台所棟の3棟だけで、他の2棟(玄関棟、湯殿棟)は失われてしまっていました。
その後、平成20年から21年にかけての解体・復元の大修理の際に、明治の建設当時の姿そのままに、出来るだけ当時の技術を再現しながら復元されました。
当時の技術そのままに茅葺き屋根や板葺き屋根、小舞壁に土塗り壁など技術の伝承にも気を配りながら、当時の原型に出来るだけ忠実に復元したこともあり、横浜市指定有形文化財に指定されています。
そんな素晴らしい建物なのに、ここは訪れる人もまばらで、のんびりするには最適なところです。
出入りも自由ですので、涼しい海風を受けて開放的な縁側でまどろむなど、何よりも贅沢な時間の過ごし方が出来ます。
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私の住み暮らしている金沢八景は、八景島シーパラダイスがあるところと言ったほうが解り易いでしょうが、「八景」と名の付くように古くから風光明媚な地として知られていたようです。
湾に流れる込む侍従川の対岸に野島という小高い丘を持った小島があって、その野島の海側に面してこの旧伊藤博文金沢別邸は建っています。
写真を撮っている側が海側(東京湾)ですので、正面の縁側に腰掛けると目の前の芝生越しにパッと一面の海が広がって見えます。
(今は、前方に八景島シーパラダイスも見えますが・・・)
この別荘は明治31年に伊藤博文により建てられた、茅葺き屋根の田舎家風意匠を持つ海浜別荘建築です。
(明治憲法の草案が作られた「夏島別邸」とは別の建物だそうです。)
明治期には東京近郊の海浜別荘地として金沢八景は注目されていたようで、こういった形態の別荘建築がたくさん建てられたようですが、今となっては現存する建物もほとんどなくなっていますので、これは貴重な文化遺産といえます。
昭和初期にはいると別荘地としてのトレンドは、茅ヶ崎・藤沢・大磯など鎌倉から小田原にかけての海浜地区に移行していくことになります。
竣工時は5棟構成で建設されていたのですが、横浜市が所有した時(昭和34年)にはそのうちの客間棟、居間棟、台所棟の3棟だけで、他の2棟(玄関棟、湯殿棟)は失われてしまっていました。
その後、平成20年から21年にかけての解体・復元の大修理の際に、明治の建設当時の姿そのままに、出来るだけ当時の技術を再現しながら復元されました。
当時の技術そのままに茅葺き屋根や板葺き屋根、小舞壁に土塗り壁など技術の伝承にも気を配りながら、当時の原型に出来るだけ忠実に復元したこともあり、横浜市指定有形文化財に指定されています。
そんな素晴らしい建物なのに、ここは訪れる人もまばらで、のんびりするには最適なところです。
出入りも自由ですので、涼しい海風を受けて開放的な縁側でまどろむなど、何よりも贅沢な時間の過ごし方が出来ます。
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