三渓園・観梅と合掌造り古民家での雛飾り … ガイドボランティア・邸園2014/03/01

横笛庵と梅の花
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三渓園ではこの時期ちょうど白梅・紅梅の花が見頃を迎えています。
写真は合掌造り茅葺き民家の「矢箆原家住宅」手前にある、同じく茅葺き屋根を持つ「横笛庵」とその玄関先で咲く白梅。

横笛庵では、つい先日屋根の全面葺き替えが行なわれ、新しく葺き上がったばかりの茅葺き屋根が初々しい姿を見せていて美しい!
横笛庵の茅葺き屋根は前回の葺き替えから約15年が経過し、その間にカラスや小型の哺乳動物などによる茅の引き抜きなどでかなり痛んできたことから全面葺き替えとなりました。


三渓園には小川の流れ(外苑流れ)に面して梅林があって、歴史ある美しい建物をバックにたくさんの白梅/紅梅の花を楽しむことが出来ます。

地面にうねるように伸びる荒々しい枝振りが特徴の「臥竜梅(がりゅうばい)」や、中国友好都市の上海から贈られた蘇州産の珍しい「緑萼梅(りょくがくばい)」などもこの時期に見られます。
緑萼梅は読んで字のごとく、花の萼(がく)が緑色をしている珍しい種類の梅で、花が開ききってしまうとよく解らなくなってしまいますが、開く前は緑色をした丸い蕾みが枝にたくさんついてなかなか変わっていて美しいものです。


現在、矢箆原家住宅の中では100年以上前のお雛さま飾りが飾られていて、普段ちょっと殺風景な「おくのま」の床の間に明るい色を灯しています。

横浜ではほかに、山下町にある「横浜人形の家」と根岸の高台にある「旧柳下邸」で同じようにお雛さまを飾っていて、それぞれ趣向を凝らしたワークショップとともに三カ所をぐるっと廻ろうというイベントも開催されています。

今日(3/1)は昨日から一転して気温がグッと下がって風も冷たく、茅葺き民家の矢箆原家住宅の板の間では来られた皆さんがみな足先を冷たそうにしていました。

初音茶屋では囲炉裏でお湯を沸かして、熱いお茶のサービスをしていますが、さすがに今日はそれでも寒かったですね。

先日の大雪の時には、矢箆原家住宅裏の桜の大きな木に重たい雪が積もり、その重さに堪え兼ねてそのうちの何本かが折れてしまいました。
折れた木はまだ片付けられずにそのままの姿です。
また、屋根に葺かれている茅(かや)も雪で少なからず影響を受けました。

金沢八景・六浦と野島/夏島/烏帽子島 … 金沢八景の歴史・WanderVogel2014/03/03

金沢八景・野島夕照
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家の近くを流れる侍従川、国道16号に架かる夕照橋から7〜800mほど下流に歩くと平潟湾にでます。
写真の絵でいうとちょうど手前の屋根船が浮いているあたりでしょうか。正面には絵のように野島が浮かんでいます。

この野島、江戸時代までは六浦と陸続きの島だったようで、絵のような茅葺き屋根の百軒の漁師村があったと伝えられています。
八景のひとつである「野島夕照」はこの漁村の夕暮れの美しさを詠ったものです。

写真の野島夕照の絵には左から野島、その奥に夏島、右に烏帽子島という具合に並んで3つの島が描かれています。

現在、野島には伊藤博文の茅葺き屋根の別邸が保存公開展示されていますが、伊藤博文が実際に井上毅(こわし)らと明治憲法起草をしたのは夏島にあったもう一つの伊藤公の別邸とされています。
(金沢八景は明治の始めころには、湘南地域(藤沢や大磯)や小田原などとともに上流階級のリゾート地、別荘地として人気が高かったところです。)

その後、大正7年には夏島から烏帽子島周辺にかけて大規模に埋め立てられ、そこに海軍航空隊の飛行場が建設されました。
その時にこの烏帽子島も一緒に切り崩されてしまったようです。

戦後になって海軍追浜航空隊の飛行場は取り壊され、日産自動車のテストサーキットが造られましたが、野島には大規模な海軍地下壕や掩体壕が今もそのまま残されています。
また、夏島にも国指定史跡である「夏島貝塚」の下に何層にもなる海軍地下壕が築かれ、こちらもそのままのかたちで今も残されています。
夏島の掩体壕は海軍追浜航空隊の「零戦」やロケット戦闘機「秋水/コメート」の格納のために設営されたのではないかと伝えられています。


野島の内側にあたる平潟湾一帯は昔(鎌倉時代)から浅瀬で、その後 塩田として開発されたところだそうですが、潮干狩り(漁師の副業)の浜としても有名だったようで浮世絵にも描かれています。
潮干狩りと海水浴に関しては今でも野島では盛んです。
私の親ももちろん私も、そして姪は今でもここで(アサリ)潮干狩りと海水浴をしていますから。

六浦(むつら)は鎌倉時代から海運に欠かせない良港として非常に重要な地でした。

鎌倉幕府の置かれた鎌倉まで、ここ六浦で陸揚げされた船荷が鎌倉七口(鎌倉古道)のひとつ「朝比奈の切通し」を通って運ばれていました。

六浦(野島・平潟湾)の浜から横浜方面へ向かう海岸線はもともとは垂直に海に落ち込む切り立った崖が続いていて、小柴から本牧岬(現三渓園のあるところ)を越して、神奈川の港までの間はまったく船を付けられるところが無かったようです。

横浜や金沢八景の名勝を描いた浮世絵や版画、古写真などを見ると、本牧岬から連続して延々と続く切り立った高い崖とそこに打ち付ける荒波、そして六浦の白砂青松の静かな砂浜という、いかにも日本らしい美しい風景が広がっていたのがわかります。

1930年代初頭(昭和5年から昭和9年ぐらい)の京浜湘南電鉄(現京浜急行)が発行した行楽ポスターを見ると、そのころには金沢八景の海岸周辺は(潮干狩りと)海水浴場として庶民の間に浸透していったようです。昭和の始め~中ころまでは、少なくともその美しい海岸線の風景はちゃんと残っていたのでしょう。

以前のblog: http://hd2s-ngo.asablo.jp/blog/2012/10/28/


私が週末にボランティアをしている三渓園には、かつて本牧岬と言われていた断崖上に海を見下ろすように原邸のゲストハウスである「松風閣」が建っていました。
(現在、コンクリートで出来た見晴し台のような「松風閣」という名前の建物がありますが、それとはまったく違うものです、)

旧「松風閣」は明治20年頃に造られた煉瓦造り2階建ての洒落た建物で、命名は伊藤博文だそうです。原邸を訪れた賓客をもてなす重要な建物でしたが、関東大震災により倒壊してしまいました。現在その場所にはレンガの建物の一部がそのまま廃墟として残されています。

原三渓がその本牧岬の断崖の上に建物を造りたかった理由は、その断崖の切り立った崖越しに見る富士山の姿に惹かれたから、というのを聞いたことがあります。

今ではその切り立った海岸線はことごとく埋め立てられ、高度成長期に建設されたコンビナート基地や工場群で埋め尽くされてしまい、今ではもう見る影も無く かつての景観を想像することさえ出来ません。

すっかり実がなくなり枝だけになったセンダンの木 … 自然観察・WanderVogel2014/03/04

センダンの木
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金沢八景駅から平潟湾沿いに野島の方へ歩くと、小さな湾沿いに延びる歩道の街路樹にセンダン(栴檀)の木が何本か植えられている。
初夏にあわい紫色の小さな花をたくさん咲かせます。

センダンは古くからその木の皮や実、根などを虫下しの薬として利用してきました。
当然、葉にも実にもかなり強い毒性があって、犬の場合だと5~6個、ヒトの子供の場合でも6~8個のセンダンの実を食べただけで死に至り、通常、致死量のセンダンの実を摂取した場合、48時間以内に死亡します、という調査報告があるくらいですから、相当危ない「実」のようです。


センダンの名前の由来を調べてみると、秋に楕円形の実が枝一面につき、落葉後も木に残るさまが数珠のようであることから「センダマ」(千珠)の意で命名された、とあります。

世界の温帯地域に広く分布する落葉高木で,建築材や装飾材、家具材としても有名なマホガニーの仲間だそうです。また、木魚や下駄などを作る材料としても使われるといいます。

秋から冬にかけて緑色の実をつけ、だんだんと色が抜けてきてこの時期には真っ白な丸い実になっているのですが、すでにすっかりヒヨドリに食べられてしまって枝先にはひとつも実が残っていません。

センダンの実は上記のように強い毒性と苦みがありますので、通常は鳥も食べないのだそうですがヒヨドリだけは例外なようで、他に食べる実がなくなると(しょうがなく?)センダンの実を食べに来るのだ、と何かの本に書いてありましたが、、う~ん「ヒヨ恐るべし」ですね。
毒の実を食べても平気なんですねぇ、たいしたもんだ。

それにしても、きれいにどの木の実もすっかり食べ尽されていて、すでにひとつも残っていませんよ。

木材供給と森林再生・木造建築1 … 建築設計・WanderVogel2014/03/05

植林地
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「木材供給と森林再生、木造建築」に関するいろいろなこと。

木造住宅1軒分の平均木材量は昭和40年代までは25~30m3ぐらいでした。
現在では住宅規模も小さくなってきていることもあり、また内外装に新建材が多く使われるようになったということもあって、実際の使用木材量は17m3程度にまで減っています。

神奈川県で言えば、今年度(平成26年度)の目標木材生産量は、30,000m3/年と計画されていますが、県の実際の年間生産量はここ数年は19,000m3~22,000m3程度で推移していますので、数値だけで言えば達成するのはなかなか厳しいと言えます。

目標生産量の年間30,000m3/年の根拠は、サスティナブル(森林を適正に環境を守るために必要な切り出し量がその目標数値の根拠になっている)から算定した量ですので、まあ、考え方としてはなんかちょっとおかしい気もしますが…、まあとにかくそういう年間計画を立てているということです。
その内訳はスギが約4割、ヒノキが3割、その他広葉樹が4割という割合です。

神奈川県の年間の木材生産規模は47都道府県の中でも、44位とかなり下位に位置しています。なんと東京都は43位で神奈川県より上にいます。東京より下とはちょっとショックですねぇ。
TOPはもちろん北海道(ちなみに年間生産量も桁違いで、約3,000,000m3/年)で、2位は九州/宮崎県、そして最下位は沖縄県というランキングです。

また、山から木材を切り出して、製材所まで下ろしてくる「コスト」については、一番コスト高なのが神奈川県で、一番安いのは秋田県です。神奈川県の場合は秋田県の7~8倍のコストが掛かっているといいます。
これではなかなか上位に食い込むことは出来ませんよね。切り出せば出すほどコストアップになるのでは国内の競争でも負けてしまっています。

とは言え、上で言うサスティナブルの観点から、神奈川の山や森の自然を守っていく(再生していく)ためにやはり木材総量の一定量をきちんと切り出して、利用していかなければいけないこともまた事実です。

年間目標値の30,000m3/年が順調に切り出された仮定して、製材して全てを住宅用建築材で使うとしても作り出せる量はせいぜい1/3の10,000m3程度です。
木材エコポイントなどを利用して1軒あたりの住宅の木材使用量を上げたとしても、せいぜい270戸分の量でしかありません。

神奈川県では年間 約30,000戸/年の(新築)木造住宅が建てられているので、それで考えると年間住宅着工数の1%にも満たない。ということになり、数字だけを見れば、「県産材」が社会に与える影響力は限りなく小さい。ってことか、、なんだか気が抜けちゃいますねぇ。

・・つづく・・・

木材供給と森林再生・木造建築2 … 建築設計・WanderVogel2014/03/06

森林の育成
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・・つづき・・・

1955年(昭和30年)に木材の輸入制限が撤廃される前までは、(今では信じられないでしょうが)日本だって国内で使われる木材はその全てを国内産だけでまかなっていたわけです。

でも制限がなくなり輸入関税がほぼ0になってしまうと、それ以降はずっと右肩下がりで一気に木材自給率が低下していきました。

2000年(平成12年)にはついに木材自給率は18%台にまで落ち込み、最低の自給率になっていました。

最近少し上昇に転じてきて26%(2012年度)程度にまで回復してきたと言いますが、最近の住宅メーカーの住宅建築は(木材以外の)新建材の使用量の増加に押されて(1軒あたりの)木材使用量が相対的に減ってきています。その影響もあって外材の輸入量自体が減っていて、そのことが自給率の数字上の上昇に影響していると言えなくもない。
その証拠に、国産材の生産量が増えているかというと、そういうわけではないですからね。

国の立てた「森林・林業再生プラン」を読むと、2020年までに木材自給率を50%まで引き上げるという「壮大な野望」を持っているようです。
木材生産量も現在の1,800万m3から4,000万m3~5,000万m3まで増産させたいという大きな目標を掲げています。現状を考えるとまさしく荒唐無稽な計画と言えなくもないが、方向性は間違ってはいないのだろうなぁ。
再生プランの立案者はどこまで本気なのかはわからんが…。

もうひとつ別の問題は、木造建築を設計出来る建築設計士の数が極端に少ないということと、きちんと木造住宅を扱える(一から建てることの出来る)大工さんの数も少ないということですね。

・・さらに つづく・・・

山上の農園(3月)・畑の脇の雑草抜き … 畑仕事・WanderVogel2014/03/07

3月 畑の雑草たち
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大雪・大雨と2月の異常な天気も一段落して、昨日は久しぶりに畑に出て雑草抜きの作業をしてきました。

3月に入っても何だか天候は不順なようで、真冬のような寒さが続いています。
それでも昨日はいくらか日差しが暖かくて、さっそく夕方に時間を作って2時間ほどかけて雑草類をあらかた抜いてきました。

1月末にホトケノザ(オドリコソウの仲間)を中心に、畑の雑草を一生懸命抜いてキレイしたはずだったが、やはりしぶとく生き残って生えてきていました。
加えて、今日はオオイヌノフグリ(写真にたくさん写っているブルーの小さな花)やコハコベ、カラスノエンドウなどが畑の脇を覆っていました。

雑草の中で一番厄介なのは(抜きにくい草は)芝のような姿をしたスズメノカタビラやメヒシバです。根が深く広く張っていて、抜くと周りの土ごとごっそりと抜けてきます。

かわいそうな名前を付けられた「オオイヌノフグリ」ですが、花はきれいなブルーをしていて清楚な印象さえ受けます。
それなのに、実がそのかたちに似ているからといって、イヌノフグリとはいくら何でも可哀相すぎる命名です。

畑に植えている冬越しの野菜たち(ワケギ、ニンニク、ニンジン、スナップエンドウ、カキヂシャ(カッティングレタス)、長ネギ、タマネギ、キャベツ)も大雪を何とか乗り切って元気そうです。

次回来た時にはジャガイモの植付けの準備をします。

山上の農園(3月)・畑脇の梅の花 … 畑仕事・WanderVogel2014/03/08

畑と梅の木
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畑の脇にズラッと植えられている十数本の梅の木が満開を迎え、美しく咲き誇っていました。

神奈川県の梅の見どころには、「曽我の梅林」とか「小田原城址公園」とか「北鎌倉の東慶寺」とかいろいろとありますが、三浦半島では「田浦の梅の里」が一番有名でしょうね。
田浦の梅林は小さな山の麓から山頂にかけて2700本もの梅の木が植えられていて、しかも入場無料で楽しめます。
もちろん、三渓園の梅と日本建築のコラボも素晴らしいものです。
三渓園の梅: http://hd2s-ngo.asablo.jp/blog/2014/03/01/

でも僕にとっては何といっても畑の脇に植えられている梅の林が一番です。

写真左にズラッと植えられている梅の木のすぐ脇に、スナップエンドウの網が写っていますよね。畑仕事をしていて梅の香りが漂ってくるんですから癒されます。
梅の足下には水仙が植えてあって、これもなかなか風流です。

木材供給と森林再生・木造建築3 … 建築設計・WanderVogel2014/03/09

林洞庵
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・・つづき・・・
日本は「独自の木の文化を継承している国」というイメージがありますが、今の建築士や建築大工の実情を見るとどうも一概にそうとは言えない感じです。

実際に、木の国であるはずの日本の(建築学科卒業の)建築士は、山の木のことも森林環境のこともほとんど知らず、大概の学生はちゃんとした木造建築を学ぶこと無く卒業してきた、というなんとも奇妙な状態が長い間続いてきました。(かく言う私もその一人でしたが…)

江戸時代から明治時代に入ると、それまでの日本の伝統的な木造建築は古くさいとか時代遅れとか言われ、西洋技術至上主義が広まっていきます。木造の伝統工法や木造技術、土壁やしっくい、瓦などの日本古来の素材や技術の継承に関してもあまり重要視されなくなってきました。
そんな風潮の中、その時期に本当に多くの貴重な建築物が無造作に壊されています。

伝統的な工法や技術の継承がまったく無かったわけではありませんが、かろうじて残ったのは「社寺建築」や「茶室」など一部の古典的なジャンルに限られます。
昭和に入ってもその傾向は変わらず、特に戦後は社会的な要求もあって(燃えない)RC造や鉄骨造が主流となり、学校での講義の中心もやはりそこに絞られていました。

最近になって、国も木造建築の復興に力を入れ始め、木造住宅で地元の木材を一定量使うと補助金が出る「木材ポイント」という制度を作ったり、公共建築(学校や役所・地域集会所など)は出来るだけ木造建築としなさい、というような動きになってきています。
木造建築を増やそうという背景には、日本中の山の木が伐採期を迎え有効に木を使うシステムをつくり出さないと森林や山自体が荒れてしまう、という環境保全の問題が大きな要因になっています。他にも二酸化炭素の発生を抑制するとか、カーボンニュートラルとか、ひとつの地域だけに留まらない地球全体の温室効果ガス排出削減とか、様々な環境問題が木造建築推進の一因になっているものと思われます。

ただ、上にも書いたように「木造建築」を設計出来る人が少ない。「木造建築」を作れる大工さん、工務店・建設会社が少ない。という問題がここにきて明らかになってきました。

これからは建築学科の学生にも、伝統工法の仕組みを実際の重要文化財などを教材として教えたり、森林学や造林学、山の環境学などの単位取得を義務づけるといった教育システムの改革が必要なのかも知れません。
また、自然環境と建築設計・都市計画を統合したような分野のエキスパートをもっと育成していくことも急務になってくると思います。


また別な観点から言えば、建築業界も他の産業と同様に、需要があってこそ供給側の技術革新や継承がついてくるものです。住宅に関して言えば一般の人の意識の中に、家は買うものではなく(楽しんで)造るものだという、あたりまえの意識に立ち戻ってもらうことも大切なことでしょう。

造る側に目を向ければ、現状のような木造住宅の92%以上がプレカット(工場生産)材で、運ばれてきた材料を現場で組立てるだけというやり方に慣れてしまっているのも問題です。
一般的な需要がなくなってしまったことが原因ではありますが、手刻みで造る大工さんの仕事は全体の8%以下になってしまっています。ハウスメーカーを始め、多くの工務店が造る住宅では、室内の扉や造り付けの家具などは今では全て既製品を取付けるだけになっています。
造り手側はこういう現状を良しとせず、家を造るという専門性や技術/技量ってなんなんだろう? と、今一度「造ること」にプライドを持って正面から向き合うことが必要でしょう。

いずれにせよこういう問題は、山の木の成長と同じですぐに結果が出るものではなく、少しずつでも着実に意識をしながら進めていく(広めていく)、息の長い取り組みなんですね。

長文になってしまったが、、 ・・ここでおわり・・・

山上の農園(3月)・ジャガイモ植付け … 畑仕事・WanderVogel2014/03/10

ジャガイモの植付け
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天気が良い日を選んで、畑にジャガイモを植付けてきました。

2月中に植付けを終わらせたかったのですが、週末のたびに大雪やら大雨やらで3月に入ってもなかなか本格的な畑仕事にはなりませんでした。

ここへきて一気に遅れを取り戻そうと、頑張って連日の畑通いです。
昨年、ダイコンとニンジンを植えてあったところを耕耘機をかけて土作りをします。30cmくらいの深さまで念入りに耕します。
植える広さはわずかな面積なのですが、やはり機械の力を借りないと農作業ははかどりません。

耕耘機のエンジンを掛ける前に、種イモを切って植え込む準備をしておきます。
ホームセンターで「北アカリ」と「男爵」と「メークイン」をそれぞれ1kgずつ買って来ました。芽を見ながら適当に1/2~1/3の大きさで切っていきます。
切ったジャガイモは畑を耕し終わるまで風にあてて、切り口を少し乾かしてから木灰をつけます。

ふかふかに耕した畑に60cm間隔で畝を切っていきますが、本来ならば耕耘機でそのまま作業出来るのでしょうが、どうも真っすぐに切れないので、そこのところは手作業です。

牛糞を撒いて土と絡めてその上に先ほど準備したジャガイモを30cm間隔で植え込んでいきます。ちょうど3kg分を植えることが出来ました。
植え込む深さは、カラスがほじくり返してしまうというので、少し深くして(15cmくらい)植え込みました。

ジャガイモは最初の植え付けさえちゃんとしておけば、あとは手を出すことは何も無いと言うことですので気が楽です。

さあ、4月に入ると、オクラやズッキーニなどを植える準備を始めないとなぁ。
春とともに忙しくなりそうです。

平潟湾沿いの公園のヤマモモの木 … 自然観察・WanderVogel2014/03/13

ヤマモモの木
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金沢八景駅から平潟湾沿いに野島の方へ少し歩いたところにある公園にたくさんのヤマモモの木が植えられている。
公園樹ですので、たくさんの果実がなっていても誰にも食べられず、ただ地面に落ちてしまうだけではやはりもったいないですね。

ヤマモモは本州の関東よりも南西部の暖地・沿岸域に生育する常緑の樹高10mほどの高木です。
樹形が整っていてきれいで、常緑照葉樹の葉は光沢があって美しく、おまけに病害虫にも強いということから街路樹・公園樹として植樹されることが多いようです。

花はこの時期(3月〜4月)に枝先に開花しますが、花自体は目立ちもせず華やかさもない、あまりぱっとしない花です。

夏(6月〜7月)になると、独特の松ヤニのような味をした美味しい黒赤色に熟した果実が枝先に鈴なりになります。
雌雄異株なのですが、雄株が近くになくても何故か実がなるようです。
(といっても、やはり近隣に雄株がないと結実しにくいようですが、、)

果実は日持ちがしないので、お店などに流通・販売されることは少なく、地元で消費されるのがほとんどなのだそうです。
ジュースやジャム、シロップ漬け、ヤマモモ酒などにするそうです。
今度作ってみようっと。

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