横浜山手で見た古いブラフ積みの石垣 … 建築散策・WanderVogel2014/04/01

房州石のブラフ積み
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横浜山手に残された古い(明治時代~昭和初め?)ブラフ積みの石垣です。
石は房州石(千葉県金谷・鋸山周辺から採掘された石材/砂岩)が使われています。

石の表面には石切り場から切り出され、手で表面を切り揃えたノミの跡がしっかり残っています。また、石垣に付けられた水抜き穴には古い陶管までもが残っています。
ブラフ積みとは、80cm×25cm×20cmぐらいの石を、各段に長辺(長手)と短辺(小口)が交互に並ぶように積んでいく積み方を指します。
レンガ積みの「フランス積み」や「フランドル積み」のような積み方になります。

日本の伝統的な石積みには「間知(けんち)石積」というのがありますが、これに対して西洋の煉瓦造に見られるフランス積みやイギリス積みなどのパターンを模した洋風石積みの一つです。

この「ブラフ積み」という呼び方は、近年になって付けられた名称(横浜山手で多く見られるということで)ですので、積まれた当時は何と呼ばれていたのかははっきりしません。
ちなみに、ブラフ(Bluff)とは「崖」のことで、幕末~明治時代 横浜に住み着いた居留外国人の間では、当時海に突き出た断崖の高台に位置する横浜山手一帯を「ブラフ(崖)」と呼んでいた。

フランス積みのような積み方からすると、この積み方を最初に伝えたのは幕府のお抱え技術者であったフランス人技師(フランス軍関係者)ということでしょうね。
その後、明治維新を経て明治政府となり、技術者もフランス人から徐々にアメリカ人やイギリス人技師に変わっていくことになりますが、この「ブラフ積み」の技術は日本人の石工に受け継がれて日本風に進化していったと考えられます。
そう考えるとなかなか感慨深いものがあります。
こういった何げない石垣ひとつをみても、そこに込められた深い想いと日本人の向上心、その激動の時代のロマンを感じますね。


房州石は千葉県の金谷・鋸山周辺で産出される石材のことですが、安政年間に伊豆の石切職人が始めたといわれ、万延・元治・慶応期に入ると良質の石(上石という)が採取出来るということで、鋸山本峰での採石が盛んになったといわれています。
1895年から始まった横浜港の開発に伴い、護岸土木材料として房州石は大規模に採取されるようになり、明治期には京浜~横浜・横須賀~小田原方面へと大量に切り出されたと記録されています。

しかし大正時代に入るとセメントに,戦後には栃木県の大谷石(石肌がきれいで加工し易い軽石凝灰岩)にとって変わられ、房州石の採掘はしだいに廃れていき1982年を最後に石切り場としての役目を終えます。

・間知石(けんち)積み:長方形の石ではなく、角錐型に切った石(間知石)を使った石積みのこと。昔のお城の石垣をはじめ、道路や崖地の擁壁・石垣、河川の堰堤積みなど今でも普通に見ることができます。

横浜山手の洋風住宅の修復見学会:http://hd2s-ngo.asablo.jp/blog/2014/03/29/

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