寄(やどりぎ)集落のイヌマキのカラフルな実 … 自然観察・WanderVogel2015/11/18

イヌマキの実と花床
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先日のシダンゴ山・秦野林道でのスナップをもう1枚
寄集落の民家の庭先に植えられていたイヌマキ(犬槙)がカラフルな実を付けていました。

赤や黄色のカラフルな部分は花床・花托(花柄の先端部)と呼ばれる部分が肥大化して出来た甘い実で、本当の実(種子)は先端に付いているもうひとつの緑色の方です。
食べられるのはカラフルな方で、誰でも子供の頃に一度は食べたことがあるでしょう。

ちなみに、緑の種子のほうは有毒です。まあ言わなくても、緑の実は渋くて不味くてとても食べられないですけどね。

イヌマキは雌雄異株ですので、とうぜん雌木でないと実は成りません。

江戸時代に江戸で珍重された5種類の造園木を「江戸五木」といいますが、このイヌマキはそのひとつで、モッコク、アカマツ、イトヒバ(サワラの変種)、カヤ(イチイ科)、イヌマキの5種類の樹木を指します。


名前にイヌと付くということは、マキ(コウヤマキ)に比べて、価値の劣る、役に立たない木ということなのでしょうか?

日本原産のマキはもともとは、樹木の中の王様、最上の木という意味から「真木・まき」と呼ばれました。
ヒノキ材が使われるようになるまでは、聖なる建物「神社」「神宮」の建築材はもっぱらコウヤマキが使われていたと言います。
昔(古墳時代?)は、真木・マキの巨木が森にはたくさんあったのでしょうが、それらの巨木もたぶんかなり早い時期に皆伐されてしまったのでしょう。

コウヤマキに替わって、わりと成長の早いヒノキ、あるいはスギの巨木が次に建築用材としてスポットライトが当てられたと考えられます。
もちろん、日本人の植林の歴史は奈良時代にはすでに始まっていたとも言われていますから、利用木材の枯渇はわりと早い時代から社会問題化されていたのだと思います。

日本の巨大建築を建造するためには、そうした「巨木」がどんどん伐採され、消費されていったのもまた事実なのでしょう。
出雲大社(一説には高さ96mとも伝えられます)に代表される超高層とも言える背の高い神殿、巨大な城郭、神社、広大な仏教伽藍、東大寺大仏殿(創建時:棟までの高さ49m)をはじめとする大きく荘厳な仏教建築、などなど、他国に類を見ないほどの大きさの木造建築物・木造文化の成立は、そうした巨木を生み出してきた日本の森林があったればこそだったのです。

そして、それら巨木の生産と管理は実は人の手で行なわれてきた、ということを忘れてはいけないんです。(と、そうは言っても、樹齢数百年と言うスパンでの植林事業は難しかったでしょうが、、)

日本の森林・自然景観というのは、もちろん日本独特の気候風土が作り出してきたものではありますが、ある意味、長い年月に渡ってきちんと守られ管理されてきた賜物でもあるのですよ。

と、最後はちょっとあらぬ方向に話しが行ってしまった。

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