新年あけましておめでとうございます … 正月元旦・長尾企画工房2016/01/01

称名寺・浄土式庭園
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平成28年 元旦、明けましておめでとうございます。

元日は初詣客でとても混み合う金沢文庫の称名寺も、昨日・大晦日は人影も少なく静かな時間が流れていました。
(写真は、大晦日の夕方のものです)
京急金沢文庫駅から10分ほど海の方に歩いた高台にある称名寺は、境内を3つの後山(金沢三山:金沢山、稲荷山、日向山)にぐるっと囲まれ、静かな環境が守られています。
自宅から、侍従川沿いに平潟湾まで出て、瀬戸神社、琵琶島、姫島水門跡を見ながらゆっくり称名寺まで歩きます。

鎌倉創建時の称名寺では仏教教学の研究が盛んで、日本の中世の大学として重要な場所だったということで、「金沢文庫」にはそういった仏教教学の研究書籍や文物がたくさん集められていたと伝えられます。ただし、北条氏滅亡後は時の権力者ら(徳川家康など)に、金沢文庫の蔵書の多くは持ち出されてしまったとも言われています。

鎌倉時代、金沢(六浦)は、船を着ける港のない鎌倉の浜に替って、東京湾を介しての物流・交通・軍事上の要衝として鎌倉幕府を支えていました。称名寺はその周辺を守る軍事防御上からも重要な拠点だったといいます。(六浦と鎌倉は朝比奈切通しで結ばれていて、今歩いてみても近いなぁ~と実感します。)

境内は昭和53年から63年に掛けて大規模な発掘調査が行われ、今見ている庭園もその調査結果に基づいて発掘復元されたものです。
称名寺の庭園は当時、憧れの的だった?平安時代創建の奥州平泉・毛越寺の浄土式庭園をモデルにして造られたと言われています。その往時の初期庭園の姿が蘇ったというわけです。
整備事業が完了(1988年)した当時の写真を見てみると、池岸際に小石を敷き並べ 広がる州浜の景色が、いかにも往時の浄土式庭園の姿を見せているのですが、今はというと、、、
写真のように岸際までびっしりと植物が生い茂り、なんだかふつう~の庭園風景に戻ってしまっているのが何とも残念!
もっときちんと管理をして行けば、本家鎌倉の地にも残っていない素晴らしい価値のある庭としてアピールしていけるのに!、と思わずにはいられません。
(と、お寺の説明はこれくらいにして、、)


いま、称名寺裏山(金沢三山)一帯は市民の森として保全・整備されていて、伽藍全体を廻り込むようにちょっとした散策ルートが造られています。
花の無いこの時期でも、葉を落とした木々の冬芽を見ながらゆっくりと歩くと、2時間くらいは楽しめます。それほど深い林ではないのですが、ひと気の無い冬枯れの散策路はまるで西丹沢の寂れた山道を思わせます。

植生は神奈川の低山で良く見る木々と庭園から飛んできた草木が入り交じり、なんとも賑やかな森になっています。
この辺りでは良く目につくムラサキシキブがここでも多く見られましたが、1本だけヤブムラサキを見つけ、柔らかい毛で覆われた温かそうな冬芽を写真に撮りました。

陽の暮れる前に、金沢文庫駅西口から歩いて10分ほどのところにある「能見堂 赤井温泉」に入って、今年最後の一湯をしてきました。
温泉と入っても大きさは普通の銭湯くらいの大きさで、入浴料も銭湯と同じ¥470です。赤井温泉というくらいですから、赤い色をした温泉です。


元旦、姪と二人で近くの「雷(いかずち)神社」に初詣に行ってきました。
神社の社殿に上がる長い階段下には参拝客の長い列!が、、二人ともそれを見て腰がひけてしまい、おみくじを引いただけですごすごと引き返してきました。
二人ともなかよく「中吉」だったのですが、僕の旅行運が最悪で、今年の旅行運は「凶」と書かれていました。なんてこった!

ということで、本年もよろしくお願いいたします。

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