毎日あまりに暑いので、ひとり言 … 海外・WanderVogel2016/08/17

トナカイのソリ
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何の脈絡もないのだが、毎日毎日あまりに暑いので、写真だけでも涼しくなるものを、と、netで拾ったトナカイの写真
雪原を走るトナカイのソリに乗ってる夢でも見れれば、いくらか涼しくなりそうな気がしてね。

以下、夏の夜の熱気にあてられて、つらつら思い出したことなど書いてみた。


思い起こせば、いままでにいろんなものに、乗ってきたなぁ。

象の背中に乗って丘の急斜面を登ったのも、ひとこぶラクダの背に乗って一日移動したのも、ロバ車をチャーターして土漠を走ったのも、それしか移動手段がなかったからで、別にあえて乗りたかったというわけではなかった。
でも、世の中にはいろいろな乗り物・移動手段があるものだ、と思った。

パキスタンからイランの国境を越えるのにヒッチハイクしたトラックの荷台の上は酷かった。
国境を繋ぐバスというのがそもそも無かったので、現地の人もみんな 幌の無い(軍用)トラックの荷台に乗った。
ほぼ一日、土漠の熱風を浴びて走ることになるので、一緒に乗った現地の人も布を頭からスッポリかぶって鼻と口に砂が入らないようにグルグル巻きにした姿で荷台で耐えていたことを思い出す。砂漠に野良ラクダがたくさんいたのを思い出す。
あの時の暑さに比べれば、日本の暑さなんて?フンって感じだ。


昔、ネパールで乗った内装のない、リブフレームむき出しのプロペラ機(ロイヤルネパール)も酷いものだったが、ソビエトから中古で仕入れたのであろう中国国内航空のオンボロ双発機でチベット高原をラサに飛んだ時は、飛んでいるあいだ中エンジンフルスロットルで、そのものすごい振動の連続に、目的地に着く前に岩肌に墜落するか空中分解するのではないか、と本気で思ったものだ。

ネパールの山岳帯を走るローカルバスは4年前に行った時でも十分にアドベンチャーなものだが、北インドのスリナガルとラダック地方のレーという町をつなぐTATAの木製フレームバス(これは30年前の話しだが)も二度と乗りたくない過酷なバス路線だった。

でも、それにも増して酷かったのが、パキスタンのイスラマバードから何回か乗り継いでインダス川の源流部でもあるキルギット・フンザへと向かって走るローカルバスだった。
年に何台も崖から転落して、乗っている客のほとんどが助からないという大事故を頻繁に起こすことで世界的にも有名な?超危険なローカルバス路線だ。
幸いなことに僕は行きも帰りも落ちなかったので、こうしてのんきにblogを書いているわけだが。


さらに思い返せば、イランの国境の村イスラムカラーからアフガニスタンのヘラート・カンダハル・カブールと2週間かけて移動したバスも怖かった。
前後に装甲車や軍用トラックがついてコンボイを組んで移動するのだが、たびたび反ソビエト・反政府軍(それがタリバンだったというのは後から知ったのだが)からの機銃掃射を受けるので、乗っているバスも数十発の貫通穴がステッチのようにきれいにボディーに並んでいた。これは別の意味で怖い路線だった。

危険なつづれ折りの峠道として有名なカイバル峠(カイバルパス)でさえも、ここまで来れば機銃掃射はないので安心?という意味で、ホッと胸を撫で下ろしたものだ。


中国の西の端、タクラマカン砂漠の北側を通るルート・昔のシルクロードと同じ道を走るローカルバス路線は、シートが固くて狭いのでお尻が痛くて過酷ではあったが、楽しかった。
ウルムチからクチャ、アクスという昔から続く隊商宿を繋ぎながら3日を掛けてカシュガルへと走った。
帰りも当然3日バスに揺られ、現地の人とともに隊商宿に泊まりながらウルムチへと帰って来るのであるが、僕はそこからさらに一日掛けてトルファンという町まで行って、そこから鉄道(蒸気機関車の引く寝台車で昼夜を問わず走り続ける。すごくゆっくりだけど・・・)で またまる3日間かけて北京まで戻った。
実に一週間(7日間)ぶっ通しの移動でした。これも長時間という意味ではなかなかキツかった!


イランのタブリーズという町からトルコ国境(アララット山の麓)を越えて、トルコのエルズルムという町まで行く時に乗ったバスは面白かった。
ちょうど良いバスが無くて、何やら団体さんの仕立てたバスに同乗させてもらったのだが、乗ってからいろいろと聞いてみると、イランからエルズルムを経由してシリアのダマスカスへ巡礼に行く団体のバスだった。
おかげで、国境ではしっかり隅から隅まで厳重な荷物チェックが待っていて、国境に着いてから越えるまでに丸一日を費やしてしまった。
彼らは炊事道具から食料まで持参しているので問題無いが、僕はひもじい思いをしなければならなかった。見かねていろいろと食事を分けてくれたので、それがとてもありがたかった。
イスラム国に破壊し尽くされたアレッポやダマスカスの悲惨な街の光景を写真や映像で見るたびに、その巡礼の人たちを思いだす。


巡礼と言えば、思い出すバスがもうひとつある。
正確には「巡礼」ではなく「帰省」にあたるのだが、フランスのパリからモロッコのマラケシュという町までぶっ通しで走る「弾丸帰省バス」に乗ったことがある。これももうかれこれ30年以上も前のことだから今そういうバスがあるのかどうかは知らない。
もちろんお客は全員モロッコの人だった。
パリから、モロッコへの帰省客を乗せてボルドー、トゥールーズを通って、ピレネー山脈の真ん中あたりを越えて、スペインに入り、サラゴサ、マドリッド、マラガ、ジブラルタルと走り抜け、海峡を渡り、セウタ、タンジール、カサブランカと走り、ようやくマラケシュに着く、長い長い帰省バスだ。

バスの運転手は海峡手前まではフランス人で(モロッコの人も国籍はフランス人というのもいるのかもしれんが・・・)、モロッコに入ると交代する。
フランスとスペイン国内では、モロッコの人にはバスの中で絶対に飲み食いをさせなかった、のが強烈に印象に残っている。
僕は日本人なので、こっそりと飲み食いしていても怒られはしなかったが、モロッコ人がそれをすると運ちゃんは烈火の如く怒り出したのを思いだす。
「ネ・パ・モンジェ」の怒鳴り声がバスの車内に響き渡っていたのが今でも忘れられない。

ジブラルタル海峡を越えたところで、はっきりとその理由が解った。
モロッコ国内に入ると一瞬で、バスの床はヒマワリやカボチャの種の殻、食べ物の包み紙、チキンや動物の骨で、足の踏み場もない状態になった。なるほど、である。


インドの西にラジャスターンという土地がある。
地域の大部分が砂漠なのだが、そこには昔(ムガール王朝時代)のマハラジャの藩都がいくつも点在している。
ローカルバスも鉄道も無いので、デリーで車と運転手を1ヶ月間借りきって、旅をしたことがある。
せっかく行くのだからと、マハラジャの宮殿をホテルとしているところに泊まろうと、(そのころはネットはもちろん、FAXさえも無かったので)デリーからテレックスを打って予約を入れ、名だたる宮殿に泊まりながらインド人運転手と旅をした。

地図(英語とヒンディ語の併記してある地図)を見ながら走るので、いくら砂漠と言っても間違えることなどそうそうないな、と楽観視していたのだが、そうでもなかった。
それは、出発して数日経ったところで解った。
なぜ走っている途中で、何度も何度も車を停めて人に道を聞くのだろうと不思議に思っていたのだが、運転手、文字を読むのがちょっと苦手で、地図も道路標識も書いてある文字がよく解っていない、ということがわかった。

それ以降は、僕がナビゲーター役を務めることになるのだが、それはそれでなかなか楽しい旅であった。
デリーを出発して旅の最終地点の(ガンジーとコルビジェで有名な)アーマダバードまでほぼ1ヶ月間、TATA製のクーラーの無い車はよく走ってくれた。

その旅で、僕はインドのカースト制度の厳格さを思い知らされることになる。
運転手はキリスト教徒だというので解ったことだが、彼は最下層のカーストであった。宮殿ホテルのゲートから中には絶対入らない(入れない)のである。
もちろん車に乗っていても入れないので、ゲートの外で車を降りて、ホテルのポーターに来てもらい荷物を持たせて中に入るという非常に面倒なことを続けなければいけないことになった。
普通のホテルはなんとか大丈夫なのだが、宮殿では完全にNGであった。

彼自身がどういう宿に泊まっているのかは詳しくは解らなかったが、1度だけ夕食後に外で待合せをして飲みに連れ出したことがあるのだが、宿というよりは民家のような普通の家に泊まっていた。
すごく気だての良い正直な男で、普段の行動からはカーストのことなどみじんも感じさせない青年であったが、厳格なカーストに縛られていたのであろう。


動物の乗り物は僕はあまり好きではないし、どちらかというと勘弁して欲しいと思っている。
象は横に大きく揺れて、船酔いにかかりそうだし、ラクダはゲップが異様にクサい。
ロバ車はなにを思ってか、時々一切動かなくなってしまう。押しても引いても動かない。何より、僕にとってはネパールで高山病にかかって下山する時に乗る動物というイメージが強くて、ロバは勘弁してほしい。
動物はやはりむずかしい。


でも、生きているうちに夢が叶うなら、一度トナカイのソリに乗って雪原を走ってみたい。

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