ネコノメソウの花の蜜を吸うハラボソツリアブ … 自然観察・WanderVogel2017/05/16

ネコノメソウの仲間とハラボソツリアブの仲間
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西丹沢の沢沿いに咲く小さなネコノメソウの蜜を吸うハラボソツリアブの仲間

山歩きや渓流歩きの最大の魅力は、稜線上から見渡す壮大な景観や、深山幽谷の源流域の佇まいなど、普段の生活の中では感じることの出来ない世界に身を置くことにあると思うのだが、加えてこの時期で言えば、木々の芽吹きや新葉の展開、草花の可愛らしい姿、動物や鳥・虫たちの飛び回る姿など自然の営みを目にすることが出来ることも大きな楽しみのひとつと言える。

その環境、その季節でしか出会うことの出来ない自然の営みを楽しんだり、足元に咲く気付かないほど小さな花とそこに集まる虫たちの働きに思いを馳せてみたり、楽しみ方も種々様々だ。
そこからは、自然はそれぞれが単体で好き勝手に生きているわけではけっしてなくて、それぞれが目に見えない糸で、運命的にかつ戦略的に絡み合い、奇跡的な というか数奇な関係性の上で成り立っているものなのだな、ということが見えてくる。

そういった自然の成り立ちや、人も含めたそれぞれの関係性を深く知ることは実はとてもとても大事なことだと思う。
このことは、日本国内の山を歩いても、世界の辺境地域を歩いても、まったく同じように感じている。
知れば知るほど、やっぱり自然は複雑で素晴らしい!・・・と、いうことになる。
もちろん、ここで言う「自然」の中には「人間」も含まれるのだけれど。


自然界には、いわゆる「弱肉強食」という概念は当てはまらず、あるのは「適者生存」という仕組みだけなのだ、と何かで読んだことがある。
確かにその通りなんだろうなぁ。
近視眼的に見れば、肉体的に弱いものは強いもののエサになることに間違いはないのだが、「種」全体で考えればそのことはたいして重要なことではない。

自然界全体でいえば、弱いものが衰弱し強いものだけが生き残るということはなく、その環境や時代に「適応した種」だけが生き残れる、ということなのだ。

地球上で生を受けるすべての生物にとって、その命(種)を次に引継ぎ、子孫を残し続けていくという生き残りをかけた生存競争の中では、自然界で自分たちがどのように「適者」足りえるか、と言うことが何にも増して重要なのだ、ということになる。

そのために、一見奇妙とも思える子孫継続の方法を作り出してまでおのおの進化を続けてきたのだ。
また一方では、長い長い進化の過程の中で、様々なかたちで他の生物との間で特殊で複雑な「関係性」というか、ある種の「契約」を作り上げてきた、とも言える。


自然の中にひとり身を置く時、そういうことのひとつひとつがとても愛おしく感じられるのだ。

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