鎌倉宮の周辺で見かけたママコノシリヌグイ … 自然観察・WanderVogel2017/09/18

ママコノシリヌグイ
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先日、鎌倉宮の周辺で見かけたママコノシリヌグイの花。

山を歩くと同じタデ科の中でもミヤマタニソバやイタドリなどを良く見かけるが、町中や里山ではミズヒキやイヌタデ、ミゾソバなどに混じってこのママコノシリヌグイやアキノウナギツカミなどを目にする機会が多い。

茎に棘があることや花の形などが良く似ているママコノシリヌグイとアキノウナギツカミだが、葉の付き方でその違いを判別することが出来る。
イシミカワというタデ科の植物もママコノシリヌグイに似ているが、花の形が違うのでこちらは判別が付き易い。

ママコノシリヌグイにせよ、アキノウナギツカミにしても、とても変わった名前なので、一度聴くと忘れられない名前だろう。
漢字で書くとそれぞれ、「継子の尻拭」「秋の鰻掴」と書くのだが、いずれの名前も茎や葉に密集している小さくて鋭い逆トゲに由来している。
アキノウナギツカミのほうは、このトゲトゲした茎を使えばヌルヌルして滑りやすい鰻(うなぎ)も掴(つか)めそうだ、という意味だと理解出来るが、ママコノシリヌグイのほうはずいぶんとひどいネーミングだ。しかも別名というわけではなく、ちゃんとした「和名」なのだ。

つまり継母(ままはは)が、継子(ままこ)の尻を拭う時に、このトゲトゲの茎で拭う、という意味で名付けられたものだ。なんとも凄まじい虐待、陰湿なイジメのイメージが漂う。昔はそういったことが割りとあったと言うことなのだろうか? このネーミングで、聴く人みんなが「あ~、そうか!」と納得出来るような土壌が形成されていたということなのだろうか?
今の日本人の心情からすれば、にわかには信じられないひどい行動に映るのだが、時代をさかのぼればそういうことに違和感を覚えない時代があったと言うことなのか?


これと関係あるのかどうか解らないが、日本の昔話や童話、わらべ歌、外国のグリム童話だって、成立時のお話しに戻せばかなり怖い原話、猟奇的な内容なのだ、というのを聴いたことがある。
ことの善悪や常識/非常識の基準にしても、時代背景やその土地の神や宗教その他、その時代時代の生存環境によってかなり違ったものになっていたのだろう。


話しは飛躍してしまうが、、、僕たちはいつの間にかそういったことをすっかり忘れているのだろうか。
いや、これからだってその「条件」さえ揃えばそれぞれが持っているその猟奇的な「芽」が、身体や社会から一気に吹き出してくるのかもしれない。
人間が他の動物/生物と異なる最大の進化の特徴である「社会性」に対しても、ある時そのスイッチがパチッと入ってしまうことがあるのかもしれない。なんて考えると怖いものがある。

今まで漠然と何となく「善」としていたものが一気に瓦解して、社会全体をリセットしてしまうようなDNAが進化の過程ですべての人間の体内にあらかじめ組み込まれているのだとしたら、とっても恐ろしいことだ。

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