シルクロードを放浪する老バックパッカーの想い出6/2 … 海外・WanderVogel2021/08/23

ペシャワールの穀物バザール1979年12月
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写真:1979年12月、カイバル峠を越え、パキスタン・ペシャワールに無事に到着し、市内の穀物バザールでのスナップ。チャールポイに座り現地の人たちに囲まれながらチャイをごちそうになっているところ。カブールで買った皮の長靴を履いている。

ペシャワールはペルシャ語で「高地の砦」の意味。カイバル峠(標高1,070m)からはわずか50kmの地点にある紀元前から栄えてきたシルクロードの要衝であり、ガンダーラ地方の中心地である。カニシカ王で有名なクシャナ朝の時代プルシャプラと呼ばれた古都。

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ソ連軍による軍事介入から現在に至るまでのアフガニスタン国内の混乱の歴史は、様々なメディア・ニュースなどで報道されているように、さらに混迷の度合いを色濃くしていくことになる。


1979年以降、ムジャヒディン(ジハード/聖戦を遂行する者)諸派はパキスタン軍統合情報局などからの支援を受けて、共産主義政権とソ連軍に対し激しく抵抗した。アフガニスタンのムジャヒディンには、イスラム世界の各地から志願兵として多くの若者が集まってきたが、その中にはあの有名なオサマ・ビン・ラディンもいた。
実は、アメリカ合衆国もCIAを通じてムジャヒディンに武器や装備、活動資金をパキスタン経由で極秘に提供していた。また、ムジャヒディンはパキスタンと仲の良い中国からも武器や訓練で援助を受けていた。これは中国とインドが対立していた関係で、インドと領土問題で火種を抱えるパキスタンが中国と友好関係を維持していたことによる。まさしく「敵の敵は味方」の論理である。

1988年にソ連軍が撤退を開始すると、ムジャヒディン各派はアフガニスタンでの主導権争いで対立、軍閥化していった。
ムジャヒディンを支援していたパキスタン軍統合情報局が支援先をタリバンに変更すると、対立していたムジャヒディンの諸派は今度は連合し北部同盟としてこれに対抗した。
というように、個々の利益にのみ関心を示し烏合集散を繰り返すどこぞの国の野党諸派と同じように、もう何が何だかかわからないグチャグチャぶりで、さらにわけの解らない状況が続くことになる。

ソ連軍完全撤退後の1992年にアフガニスタンの共産主義政権が崩壊すると、カブールは一時ムジャヒディンの手に落ち、その後タリバンがそれに取って代わった。タリバン政権(アフガニスタン・イスラム首長国)期も引き続き首都は一応カブールとされたが、政治の中心はパシュトゥーン人主体のタリバンにとっての本拠地である南部のカンダハルだった。

タリバンは厳格なイスラム法の遵守を強要するだけでなく、文化浄化(積極的な文化財破壊行為)も行っている。2001年3月、タリバンはバーミアンの大仏像の足元に爆弾を仕掛け爆発させ、大仏像はがれきの山と化した。バーミヤン渓谷の岩肌を掘り込んで造られた大仏像は、一帯がシルクロードの中継地としてにぎわっていた6世紀ころから建造が始まったとされる、アフガニスタンの人々だけでなく全人類に取っても貴重な文化的遺産だった。
タリバンはこの貴重な大仏像を含む数多くの文化遺産を破壊し尽くし、さらにその様子を全世界に映像配信するという暴挙までも行なっている。

ユネスコは仏像の周りの岩壁に残る壁画で装飾された洞窟群と、仏教寺院を含むバーミヤン渓谷全体を2003年に世界遺産に登録したが、遺跡は壊滅的な被害を受けていて、大仏像のみならず石窟の壁面に描かれた仏教画のおよそ8割が失われたと報告されている。


2001年に入ると今度はアメリカがアフガニスタンに侵攻することになる。発端は2001年9月11日に起きたアメリカ同時多発テロだ。
首謀者とされたオサマ・ビン・ラディン率いる国際テロ組織アルカイダは、アフガニスタンに根拠地を持っていた。そしてそのアフガニスタンを広範囲に実効支配していたのがタリバンなのだ。アメリカ政府は、タリバンがアルカイダと連携し、保護していたとみなした。米軍による激しい空爆によって、同年冬にはタリバンは首都カブールを放棄し、これに代わって反タリバン勢力の北部同盟がふたたびカブールを支配下に治め、アメリカを主体とする国際社会の支援を背景に、同年12月にカルザイ大統領率いるアフガニスタン・イスラム共和国が発足した。

とは言え、各派その思惑が全く異なる者同士が単に反タリバンという旗印に集まっただけの組織である「北部同盟」に、国を導く力や理念などあるわけも無く、ただただ混乱しグダグダになることは解っていたことだった。
北部同盟主体の新政府が出来た後も混乱した国内情勢は一向に好転せず、政府内での不正と腐敗、ムジャヒディン諸派同士の足の引っ張り合いに終始し、アフガニスタン全土を実質的な支配下に置いていたのは相変わらずタリバンという有様だった。
そんな中、2019年に長年に渡って草の根的にアフガンの人々を支援し現地でも尊敬を集めていた中村哲医師が殺害されるという痛ましい事件まで起こってしまった。

2001年から今に至るまでの20年間、米国や国際社会が現政権を必死に支援し続けても、アフガンの民主化や治安状況の改善は一向に進まない。アフガン政府内に広がる腐敗や無能力ぶりはカルザイ大統領からガニ大統領に代わっても改善すること無く、見通しが立つことすら無い状況にアメリカ政府も完全に嫌気がさし、ついにアメリカ軍の完全撤退が実施されることとなった。

アメリカ軍の完全撤退は今年(2021年)9月11日までにとされているが、撤退の準備が始まるとタリバン勢力は政府正規軍と戦火らしい戦火を交えることも無く、あっという間に首都カブールを掌握、あっけなく陥落させてしまった。

今後、正式(?)にタリバン政権が樹立されることとなるのだろうが,報復という名の虐殺、民族差別による浄化作戦、無意味な破壊行為が各地で大規模に繰り広げられるのは必至であろう。

ふたたび悲劇は繰り返される。

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