シルクロードを放浪する老バックパッカーの想い出8 … 海外・WanderVogel2021/09/02

ペシャワール1985年8月
- -
写真:1985年8月、フンザ・ギルギットからの帰路、ペシャワールに戻ってきて旧市街のバザールの一画にあるチャイハナでくつろぐ。
陽射しを遮る布が張られた店先で並べられたチャールポイに座り現地の人たちに混じってチャイを楽しんでいる。青いホーロー引きの小さなポットに入れられ運ばれてくるチャイ。


ペシャワールは古くはプルシャプラ(Purushapura)と呼ばれた古都。僕にとっては1979年以来5年ぶりの訪問となる懐かしい町だ。
当時の日記に、バザールの面白さはペシャワールのものがピカイチだ!、と書いてあるので、今まで見てきたバザールのなかでもキサ・カワニバザールは最高に雰囲気が良かったのだろう。バザール内ではアフガニスタン難民の姿も多く見られた。もともとペシャワールはアフガニスタン人と同じパシュトゥーン人の町なのだ。

この時は、ペシャワール旧市街のチョークヤードガルとカイバルバザールの中程にあるキサ・カワニ(ハワニ)バザールに面したホテルの2階に滞在していた。部屋にはL字型にベランダがついていて、そこから朝な夕なにバザールを上から眺め見ることが出来た。通りを挟んだ向かい側にモスクがあって、夜明け前から鳴り響くアザーンで目が覚める毎日だった。

ペシャワールの夏は非常に高温になることで知られる。最高気温は真夏の6月がもっとも高く、気温40 ℃を超える日が続き、10月に入ってやっと35 ℃を下回る、という感じで1年の半分は猛烈に暑い。パキスタンの大部分がモンスーン気候に含まれるなか、ペシャーワル以北はこれに含まれない。年間を通じて雨は少なく、乾燥した日が続く。ペシャワールの夏の暑さは、僕の経験でも南インドやタール砂漠、サハラ砂漠よりも数段暑く記憶に残っている。
日中汗をかいた身体を水シャワーで冷やそうと思っても、シャワーヘッドから出てくる「水」は「熱湯」で、夜になり屋上のタンクに貯められた水(熱湯)が冷えるのを待たないと浴びれないないほどだった。


AD1世紀頃、北西インドにクシャーン人が侵入、マウリア朝を滅ぼしプルシャプラを都とするクシャーナ朝を開くが、クシャーナ朝の本体はカイバル峠を越えた北側の中央アジアにあった。
それ以前よりガンダーラ地方(現ペシャワール盆地)にはバクトリアや匈奴、大月氏などがたびたび侵入して来ていた。アレキサンドロス帝国の流れを汲むギリシャ人の王国バクトリアの人々によりこの地にヘレニズム文化がもたらされ、この地域一帯にガンダーラ美術が花開くことになる。クシャーナ朝の時代、仏教美術・仏像制作が盛んに行なわれ、ガンダーラ仏教美術の一大ムーブメントが起こった。

クシャーナ朝はAD2世紀、大乗仏教の保護者であったカニシカ王の治世時に最盛期を迎え、長安とローマを結ぶシルクロード東西交易路をおさえてプルシャプラも大発展することになる。クシャーナ朝がAD3世紀にササン朝の第2代シャープール2世に破れ、本体である中央アジアの地を奪われ衰退するまでの200年間がそのまま、ガンダーラ地方のヘレニズム美術の最盛期と重なる。

唐代の入竺僧玄奘も、インドへ向かう旅(629年~645年の17年間)の途中、カイバル峠を越えこのガンダーラ・プルシャプラを通っていったはずだ。ただし、すでにその頃のガンダーラ一帯は、仏教が繁栄していたかつての面影はなく、一千箇所ほどあったという仏教寺院は、すっかり朽ち果てていたと伝えられる。玄奘は北インド各地を旅し仏跡を尋ね歩きながらナーランダー僧院を目指したが、そのころのインドは、グプタ朝からハルシャ・ヴァルダナ朝に代わっていて、仏教は保護されていたが新しくヒンドゥー教が台頭してきた時代だった。

クシャーナ朝期にガンダーラで制作された仏像等は、ギリシャ系ヘレニズム美術の強い影響下で作られていて、写実的な作風を特徴としている。一方、ガンダーラとほぼ同時期に、インドのマトゥラー(デリー南東に位置する都市で、カニシカ王の時代、副都とされた。)でも盛んに仏像が作られた。こちらは、ガンダーラ美術とは対照的にがっしりしたフォルムを持つ彫像などインド固有の伝統的デザインによる純インド的な作風が特徴だ。

ペシャワール博物館(Peshawar Museum)にはガンダーラ周辺で発掘された遺物や仏像、仏伝図の石板や装飾の数々が展示されている。
博物館は旧市街近くにあって、東西に長く延びるキサ・カワニバザールを西に進み、カイバルバザールを通り過ぎ、鉄道をオーバーパスした左側に位置している。1985年当時、入場料は一人1Rs(約15円)だった。

ペシャワール博物館は1907年のイギリス領インド帝国時代に、ヴィクトリア女王を記念する「ヴィクトリア ホール」として建設された由緒ある建物だ。
「仏陀苦行像・ 断食する仏陀像」というガンダーラ美術の至宝のひとつがこのペシャワール博物館に展示されている。完全な姿が残されているラホール博物館のもう一体のものと違い、失われている箇所も多いが、落ち窪んだ眼、助骨の上に浮かんだ血管まで透けて見える身体が、厳しい修行をやり抜いた仏陀の強い精神性を表していて目を奪われる。
1985年当時、博物館内には冷房設備などはもちろん無いので、見る側もけっこう修行のようになっていたのを思い出す。

- -
アクセスカウンター