シルクロードを放浪する老バックパッカーの想い出15 … 海外・WanderVogel2021/10/01

ラサ行きCAAC中国民航
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写真:1984年9月、拉薩の空港(滑走路)にて。

成都(チョンドゥ)から拉薩(ラサ)の空港までは、CAAC(中国民航)で飛行時間2時間程度だった。この時の機体はイリューシンの4発のレシプロ機だったが、標高3,000mオーバーのチベット高原を越える高度をエンジン出力全開で飛行し続けるので、乗っている間中機体全体が激しく振動していて怖かったのを覚えている。

航空運賃は片道322元(約33,500円)、当然「兌換券」での支払いだ。故郷に帰るチベット人達でごった返す成都市内のCAACオフィスのカウンターに、パスポートと国内旅行証を振りかざしながらかき分けかき分け進み出てやっと手に入れたチケットである。


拉薩の空港は拉薩の町からかなり離れたさびしい谷の中にあった。
周りを取り囲む山々には草木が1本も見当たらない。見渡す限り乾燥した光景が広がっている。
空港とは言っても滑走路部分だけはかろうじて鋪装されているものの、その他はただ土塊と石ころが転がっているだけの乾いた原野で、空港の管制施設もなければ旅客用の待合所も無いという徹底的に簡素な空港(というか滑走路)だった。
もっとも四川省の省都である成都の空港にしてもサテライトすら無い空港ではあったが、、、

機内から簡単に作られたタラップを降り、滑走路上に広げられた手荷物のかたまりから自分の荷物を探し出し、それを持って待機しているオンボロバスに乗り込む。
標高はすでに3,000mを越えているが、高山病の症状が出てくるのは今夜あたりからだ。それにしても陽射しが強い。
機内上空から見たままの徹底的に荒涼とした荒野を4時間10分ほどひた走り、オンボロバスはラサ市内のCAACオフィス前に到着した。

ラサ市内に着くも、市内の地図もガイドブックすら持っていないので、いきなり途方に暮れることになる。
あちらこちらで聞きまくり、とりあえず「名前の無いホテル」を見つけることが出来た。古いチベット様式で造られたこのホテルは、2階の部屋が1ベット2.5元/人民元払い(約200円)、3階の部屋が1ベット3.0元/人民元払い(約240円)だった。
この名前の無いホテルは、ポタラ宮まで歩いて20分〜30分ほどの距離にある古い町並みが残されている一画にあった。

八角街周辺のバザールの一画で書店(のような店)を見つけ、早速市内の地図を購入するのだが、この地図(のようなもの)まったく用を成さないシロモノであった。まぁとにかく適当なのである。
ラサ市内には公共バス(公共汽車)が走っているのだが、2〜3時間に1本!というスカスカの運行スケジュールで、こちらもまったくもって役に立たない。結局は自分の足で歩くしか無いということになる。
とんでもなく厳しい陽射しとカラカラに乾燥した空気が体力を奪っていく。

その夜遅くに、高山病の苦しさに襲われることになるのは言うまでもない。

つづく・・・
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シルクロードを放浪する老バックパッカーの想い出16 … 海外・WanderVogel2021/10/02

ラサ八角街・バルコル1984年9月
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写真:1984年9月、拉薩の大昭寺(ジョカン)の周りに広がっていたバルコルを五体投地しながら進む巡礼者。

拉薩(ラサ)は、標高3,000mオーバーのチベット高原にある。

八角街(八廓街・バルコル)は、大昭寺(ジョカン)を中心に八角形に取り囲む。チベット仏教の聖地ジョカン寺に詣でる巡礼者の滞在時の生活を支え続けてきた町だ。1984年時点では、五体投地で長い道のりを旅をしてきた敬虔な巡礼者の姿を見ることも多かった。衣服はボロボロになり、体力も限界に達していることだろう。彼らを迎え入れる宿、食事を提供する施設、仏具などを売る店などパルコルにはそうした施設が多くあった。

僕らが行った時、中国人民政府による大規模で組織的な文化破壊が行なわれようとしていた頃であった。
写真に写っているような歴史ある建物群を町ごとブルドーザーで押しつぶし破壊し、中国政府が主張する「美しい町並み」にするための区画整理が急ピッチで進みつつあった。
この時に僕が見た歴史あるラサの古都の風景も、パルコルの賑わいや佇まいも、ジョカン寺前の荘厳な光景も1980年代末には失われてしまっていることだろう。
実際、ポタラ宮前の一画ではこの時すでに個性の無い中国風バラックに造りかえられつつあったのだ。


高山病によるひどい頭痛が少し和らいできたので、「名前の無いホテル」を出てパルコルとジョカン寺に向かう。
途中でチャイハナ(茶屋)に入りチャイ(何とミルクティーだ!)を飲む。1杯1角/人民元(8円)インドやパキスタンを思い起こすチャイであった。

ラサ滞在中の大きな問題は日々の食事だった。
チベット人巡礼者にはそれ用の食事所が用意されているのだろうか、町にはいわゆる「食堂」があまり見当たらない。
ラサの町にはいちおうアテにならない公共バスもあるにはあるが、頑張って歩けば徒歩だけで回りきれる規模のこじんまりした町だ。
この日も一日、町の中心部を歩き回ってみたが、1〜2軒しか食堂を探すことが出来なかった。

そのうちの1軒に入り、モモと炒飯を注文してみる。どちらも「激マズ」だった。
当時の日記にもそう書いているということはかなり印象的だったのであろう。
それ以外の料理もかなり不味かったようで、ほとほとまいった、と記してある。

つづく・・・
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山の自然素材を使って作るアート(オランダミミナグサ) … Nature Art・Workshop2021/10/03

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「タネ・種子」に注目して作った標本風のサンプル作品:オランダミミナグサ
「森林インストラクターと山を歩き、山で収集したもので作品を作ってみよう」という“森のワークショップ”の一環で作成した、WS用の個人的な「習作」
それぞれ自分で作った作品(植物の特徴、個性、仕組み)の詳細を良く確かめるためには、ルーペを常に用意しておくことが肝要だと思っている。

オランダミミナグサ(和蘭耳菜草、Cerastium glomeratum):ナデシコ科ミミナグサ属
ヨーロッパ全土が原産地ということで、特にオランダが主要な原産地というわけではない。日本には明治時代末期に帰化していることが確認されている。
今では、外来種として世界中に分布している「雑草」だ。花期は3~5月。
オランダミミナグサの茎はふつう直立し、緑色で全体に腺毛(せんもう)と呼ばれる、触るとべたつく毛が生えている。卵形~長楕円形をした可愛らしい小さな単葉が対生して取り付く。

オランダミミナグサは花弁より萼片の方がかなり短いので、閉じた時に花弁が上にはみ出て見える。
対して日本在来種のミミナグサ(Cerastium holosteoides var. hallaisanense)は、萼片と花弁の長さがほとんど同じで、花が閉じたとき花弁が隠れる。
種子は0.5mm程度のごく小さなサイズだ。

また、在来種のミミナグサは茎や萼片の色が暗紫色で、茎が緑色のオランダミミナグサとは外観でも区別出来る。
ミミナグサ(耳菜草)の和名は、対生する小さな葉をネズミの耳になぞられ、「菜」は、食用とされる植物であることから付けられたようだ。
なかなか可愛らしい命名の仕方でこれには僕も妙に納得させられた。

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シルクロードを放浪する老バックパッカーの想い出17 … 海外・WanderVogel2021/10/04

ラサポタラ宮殿1984
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写真:1984年9月、拉薩の町外れにそびえ建つ「ポタラ宮殿」

ポタラ宮殿の下に広がる一帯は一般のチベットの人たちの住居が建ち並び、細い坂道が入り組んでいて肝心のポタラ宮殿への入口がサッパリわからない。
何度も上っては下ってを繰り返し、途中で出会ったチベット少女に身振り手振りで入口へたどり着く道を教えてもらって、民家の軒先や庭先をかすめながらやっとのこと宮殿入口にたどり着くことが出来た。
ここまで数時間の時を無駄にしてしまったので、入口ですでにヘロヘロな状態であった。宮殿内部への入場料は、1元/人民元(約80円)だった。

ポタラ宮殿下の一画ではすでに中国政府主導の区画整理事業が着手されていて、古い住居群が取り壊され特徴の無いバラック建築に建て替えられていた。素直に考えれば、一見無秩序に見えるこのような迷路のような町並みこそが地域の文化遺産であり、民族の歴史そのものなのだと僕は考えている。中国政府はこれを「汚い非文明的は町並み」ととらえているようだが、その考えは大きな間違いだ。


宮殿内部は王様の住居というよりは巨大な寺院といった印象で、一緒に入ったチベット人数人は敬虔なチベット仏教徒なのであろう、熱心に祈っている。内部には照明設備はあまりなく、わずかばかり差し込む陽の光がいっそう密教的で神秘的な雰囲気を醸し出している。
書かれていた説明書きでは、ポタラ宮の内部には一千体の仏像が安置されているのだそうだ。


それにしてもここラサの直射日光の強烈さはなかなかに過酷である。
バザールでチベット人から麦わら帽子を買う。こういったものは世界共通なのであろうか、日本のものと同じデザインだ。ひとつ5角/人民元(約40円)だったが、なかなか良く出来ていた。
この当時、ラサ市内での人民元の交換レートは、100兌換券=130人民元だった。

ラサには結局1週間滞在したわけだが、高山病と言うか熱射病と言うか、厳しい気候に体力を消耗し、激マズの食事に毎日悩まされ続けたが、それを除けばまだまだ滞在していたい魅力溢れる古都だった。古さの残る歴史的な町並みを維持していられたギリギリのタイミングであったとあらためて思う。
中国政府による歴史的な町並みの破壊は、この後も組織的に進むだろうから1980年代終わりにはまったく別の町になっていることだろうと悲しさがこみ上げてくる。


さて、いよいよラサの町ともお別れだ。
ラサ市内から帰りの飛行機(322元/片道)に乗るため、なぜか前日の朝早くに乗客全員が市内のCAACオフィスに集められた。
そこからオンボロバス5台に分乗し、行きと同じように土ぼこりが車内にまで舞い上がるひどい悪路をひたすら走る。椅子に座っていられないほどの縦揺れに辟易しながらお昼過ぎに途中の待機ホテル?(民航招待所)に到着した。
地元民は1泊2元なのに外国人は4元と倍も取られる。(といっても、差額は160円程度なのだが)

招待所での食事料金も飛行機代に含まれておらず、みな同じ料理を頼むことになる。
8角(約65円)でご飯(お代わり自由)とキャベツ炒めのみ、という素晴らしい料理がテーブルに並ぶ。食事後、収容所のような部屋でラサ市内で買って持って来た「ウリ」を食べ、お茶を飲んで空腹を満たす。
夕食も昼食とまったく同じ料理が出た。当時の日記には、「頭が痛くなってくるほど、不味い!しかも、 きたない!」と記してある。
結局、部屋でウリとヒマワリのタネを食べて空腹を紛らわせることとなった。

翌朝は陽の明けていない6時に叩き起こされ、みないっせいに外に出て並び、ベニヤ板で囲まれた囲いの中に入ってセキュリティチェックと手荷物検査を受け、待合室?で2時間近く待たされる。やっと迎えのボロバス数台が到着し、みなそれに乗り込み走り出すと、わずが10分足らずで滑走路に到着。拍子抜けするくらいの手際の悪さで、いやもうここにきて何も言うことも無くなって、みなさん無言で指示に従っていた。


行きの飛行機では、なぜか大きなザーサイ(搾菜)が一袋とお皿とバッチがお土産として配られたが、帰りの飛行機ではお茶とお菓子とジュース、怪しげな温度計付きのキーホルダー、身だしなみセット(クシと鏡のセット)が配られた。
うーん、行きの飛行機でもらったザーサイ一袋というのが考えてみると非常に微妙な感じだ。(このザーサイ、ラサで食べようとしたのだが、ラサでの食事と呼応するかのように「激マズ」でして、けっきょく全部捨てることになった。)


2時間後、成都(チョンドゥ)の空港に無事に到着し、その足で何はともあれ、包子屋さんに2人して飛び込んだ。包子3皿(24個)と水餃子1皿、スープ2皿を平らげ、やっと人心地ついたのだった。

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シルクロードを放浪する老バックパッカーの想い出18 … 海外・WanderVogel2021/10/05

スペインコルドバのメスキータ内部
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写真:1997年9月、スペインコルドバのメスキータ内部、「円柱の森」と呼ばれる礼拝空間。

コルドバのメスキータ(Mezquita)は、スペインに現存する唯一の大モスクで、後ウマイヤ朝の至宝とも言うべき建築物だ。
8世紀後半から始まったモスクの建設は何度も増築を重ね今の姿となった。このメスキータ(スペイン語でモスクのこと)で特筆すべきものが、この「円柱の森」とその外に広がる「オレンジのパティオ(中庭)」なのだ。


「円柱の森」は、何本もの円柱によって支えられた天井高さ10mの礼拝空間で、そこには反復し無限に連続してゆくリズミカルな空間が広がっている。
この広い空間を支える無数の円柱は、世界各地から集められた時代も様式も異なる石の柱材を再利用したものなのだ。そのため、長さが足りずに寸足らずな円柱しか集めることが出来なかった。そこで、この高い天井を支えるために考え出された工夫が、この二重アーチ構造というわけだ。

奇しくもこの二重アーチ構造は、赤いレンガと白い石灰岩を交互に配するという斬新な配色デザインを取り入れたことで、世界に類のない唯一無二の特異な造形空間を生み出すことになる。独創的な構造解析手法が美しいデザインへと昇華した瞬間だ。


規則正しくオレンジの木が植えられたパティオは、この「円柱の森」の礼拝空間の外に広がる中庭空間として、メスキータ全体を囲む広大な外壁(回廊)によって囲まれている。
コルドバのメスキータの大きな特徴は、内部空間である「円柱の森」で繰り返される円柱の延長線上に沿って、規則正しくオレンジの木(古くはナツメヤシ、月桂樹などが植えられていたという)が配されていることだ。
レコンキスタ後にカトリック教会として転用されるまでは、この中庭と礼拝堂の間に壁は無く、文字通り空間的にも内部の円柱と外部の樹木のラインが一体化し、視線が礼拝室奥のキブリ壁 ・ミフラーブ(Mihrab)へと流れるように連続していたのであろう。


後ウマイヤ朝、ナスル朝、ムデハル様式の建築と庭園、南スペインには北インドやイラン、トルコなどとは異質の輝きを持ったイスラム建築の至宝が今も息づいている。
1997年9月から10月にかけての1ヶ月間、僕たちはロンダやアルハンブラのパラドールに泊り歩きながら秋色に染まるアンダルシアを旅した。

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丹沢山中の林道脇にひっそりと咲くマヤラン … 自然観察・WanderVogel2021/10/11

マヤラン:ラン科シュンラン属
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昨日の自然観察でのスナップ。
マヤラン:ラン科シュンラン属の植物。Cymbidium macrorhizon
学名からも解るようにシンビジウムの仲間だ。漢字で書くと「摩耶蘭」

マヤランは根も葉も無い変わった植物だ。
腐葉土のような林床から明るい薄緑色の花茎を伸ばし、今まさに花びらを開こうとしていた。

マヤランも以前に書いたギンリョウソウモドキとまったく同じ仕組みで生きている。地下の菌類(キノコなど菌類の地中菌糸を消化して栄養を吸収している)から栄養を受け取り生存を維持している。菌従属栄養植物と呼ばれる不思議な生態系を持った植物の仲間なのだ。
マヤランは環境省レッドリストでは絶滅危惧Ⅱ類に分類されているが、丹沢では運が良ければ林道脇でも普通に見られる。

怪しい姿をした「ギンリョウソウモドキ」と違い、「マヤラン」の方はいかにもか弱く可憐な姿に見える。
明るい色調の花びらを持つマヤランは自動自家受粉をするので、花粉を媒介する虫に頼らなくても着実に実を結ぶことが出来る。
かたやちょっと薄気味悪い形態をしているギンリョウソウモドキは虫媒花なので、媒介する虫の助け無しには結実しない。姿かたちだけ見ていると全く逆のような気がするのだが、植物の進化というのはまったく不可思議なものだ。

いや、これは人間の一方的な思い込みなのかもしれない。
人間よりはるかに長い歴史を持ち、種類も数も多い「虫」たちにとっては、人の美意識とは全く逆の価値観と決まった植物との間で交わした生存に関する古い契約をいつまでも忘れないでいるのかもしれんな。

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ミズキの木とアゲハモドキの幼虫 … 自然観察・WanderVogel2021/10/16

アゲハモドキの幼虫
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アゲハモドキはアゲハモドキガ科に属する蛾の一種で、成虫になると毒をもつジャコウアゲハにそっくりの姿になる。

アゲハモドキの幼虫はミズキの葉を食べる。体長3センチほどの幼虫は白い「毛」に覆われているが、実際は毛ではない。 毛に見えるのは幼虫が体表に分泌したロウ分で、柔らかそうに見えるが触るとベタベタした粉末が手に付く。

一方、擬態される側のジャコウアゲハ(アゲハチョウ科)は、アルカロイド毒成分を含むウマノスズクサの葉を食草としている。幼虫時にこの葉を食べることで体内に毒素をせっせと貯えるのだ。
アゲハモドキはそのジャコウアゲハに擬態することで、天敵である鳥から身を守っている。

しかし、幼虫のうちはジャコウアゲハの特徴的な姿とは似ても似つかない姿をしている。鳥に一番狙われやすい幼虫の時はまったく無防備なようにも見えるのだが、もしかすると、このロウ分が非常に不味くて鳥に敬遠されていて、捕食対象にならないのかもしれない。

昆虫の擬態手法にはではさまざまなタイプが見られるが、最も多いのは、食べられないようにするための「擬態」だ。
昆虫は鳥や小型動物の格好のエサになるため、進化の過程でそれを避けるさまざまな工夫を生み出してきたのだ。

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山の自然素材を使って作るアート(ヒメウズ) … Nature Art・Workshop2021/10/17

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「タネ・種子」に注目して作った標本風のサンプル作品:ヒメウズ(姫烏頭)
「森林インストラクターと山を歩き、山で収集したもので作品を作ってみよう」という“森のワークショップ”の一環で作成した、WS用の個人的な「習作」

ヒメウズ(姫烏頭、Semiaquilegia adoxoides):キンポウゲ科ヒメウズ属(オダマキ属と表記されることもある)の多年草。
関東地方以西の日本各地に生育する。丹沢でも林道の林縁部や畑脇などで普通に見られる。
春早く(3~5月頃)に白い小さな花を咲かせるが、花は下向きに咲くため、気を付けていなければ見過ごしてしまいそうだ。
キンポウゲ科特有の形状を持つ果実(袋果)は3~5個に分かれ、結実すると上を向いて種子散布の準備に入る。果実が熟するとそれぞれの果実は左右に割れて、種子が顔を出す。

和名の「姫烏頭」は、烏頭(トリカブト)に似て小柄であることによる。
全草毒草であるが、中国では葉や根を乾燥させて漢方として解熱や利尿に用いるという。

作品づくりにあたっては、茎も細く、果実も小さいため、何本かをまとめて群生として表現してみた。
果実の中に花が混じっているのがちょっとしたアクセントになっている。

和紙を細く切って何カ所も留めているのだが、出来上がってみるとそれほど気にならない仕上りになっている。

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山の自然素材を使って作るアート(スズメノヤリ) … Nature Art・Workshop2021/10/18

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「タネ・種子」に注目して作った標本風のサンプル作品:スズメノヤリ(雀の槍)
「森林インストラクターと山を歩き、山で収集したもので作品を作ってみよう」という“森のワークショップ”の一環で作成した、WS用の個人的な「習作」

スズメノヤリ(雀の槍、Luzula capitata):イグサ科スズメノヤリ属の多年生草本。

茎は地中にあり、地表に根出葉を出してそこから10~30cmの花茎を伸ばし、茎頂に1つに集まった花序を付ける。
根生葉はイネ科植物特有の線形の細長い形をしている。
この属の植物は温帯から亜寒帯にかけて分布し、60~80種もあるとされ、日本にはそのうちの10種ほどが生育している。

果実は朔果で種子は3個。種子はエライオソームを含み、それを目当てに集まるアリたちによって散布される。
植物は子孫繁栄のために種子をさまざまな方法でできるだけ広い範囲に散らす仕組みを持っている。
自ら種子をまき散らすもの、水や風の力を利用するもの、動物の毛に絡まって移動するもの、植物たちはその進化に合わせて様々な工夫を凝らしている。

種子散布の一つの方法とスズメノヤリは、アリによって種子を拡散散布させる方法を編み出した。
種子にアリの好む誘引物質(エライオソーム)を忍ばせ、アリに種子を巣まで運ばせるのだ。アリの巣に運ばれた種子はエライオソームだけがアリの餌になり種子そのものは巣の外に捨てられる。まさに、スズメノヤリのねらい通りだ。

こうしたアリを利用した種子散布の仕組みを持っている草本は200種ほどあるという。「アリ散布植物」というのだそうだ。
身近なところでは、スミレやムラサキケマン、フクジュソウ、カタバミ、ホトケノザ、カタクリ、などがある。
どれも種子自体はアリが運べるサイズ(直径1mm程度)である必要があるので、かなり小さい。観察にはルーペが必要となる。

花茎の先端の花のかたまりが、大名行列で用いられた毛槍(けやり)に似ていることが和名の由来だ。
和名に「スズメ」という枕言葉が付けられた植物がいくつかあるが、姿かたちが小さいからそう名付けられるのであろう。

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シルクロードを放浪する老バックパッカーの想い出19 … 海外・WanderVogel2021/10/19

1985年旅のノート抜粋01
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写真:1985年旅のスケッチブック(日記)イラン・イスファハンでの1ページ 抜粋

大学でのワンゲル部で鍛えられたからなのか、国内の山行でもバイクツーリングでも海外での放浪旅でも、しっかりと記録を付ける癖が出来ている。
スケッチを描くのは割と早い方なので、地図にして記録したり、平面/立面/断面図をサッと描いたりするのも割りと得意分野ではある。

旅の最中、チャイハナでお茶している時などちょっとした時間を見つけ、見たこと、思ったこと、食べたものやその感想などササッとノートに書き込んでいく。

町から町へと移動する時には、何に乗ったかとか、周りの人たちはどんなだったかとか、移動時間やその運賃、どこで休憩して何を食べたかなど、今見直してみると結構詳細に記録してある。
今なら何でもデジタル写真で記録しておけば良いのだろうが、1980年代や1990年代ではそうもいかないのでこうしてmemoにして残していた。

町なかの散策では、歩いたルートをこうして時間のある時にパパッと地図に書いてまとめている。
一日1枚ずつ描いているというわけでないが、ほぼ毎日記録しているのでまとめるとけっこうな枚数描いていることになる。


すでに35年以上たっているが、あらためて見直してみると、あの頃(若かりし頃)の自分が何を考えて旅をしていたのか、何に興味を持っていたのか、など、ほろ苦い想いとともに思い起こさせてくれる。この古いスケッチブックをめくると、その町の匂い、吹く風、眩しい陽の光まで周りの情景とともによみがえってくる。

写真だけでは見えてこない、心の内側を覗かせてくれるこの「旅のノート」は僕の宝物でもある。

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