平潟湾沿いに咲く白いアガパンサスに想う … 自然観察・WanderVogel2017/07/18

白いアガパンサスの花
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南アフリカ原産の園芸種、アガパンサス。ハデな花が咲くので人気があるのだろう、町中の植込みでもけっこう目に付く。

最新のAPGⅢの分類では、ヒガンバナ科アガパンサス亜科の植物ということになっている。
明治時代の中ごろに園芸用の花として輸入されたものだそうだ。
ムラサキクンシラン(紫君子蘭)という名を持つものが標準ということだが、写真のこの花は花弁が紫色ではなく真っ白いタイプ・品種のものだ。

クンシラン(君子蘭)という同じヒガンバナ科の花があるのだが、それに葉っぱの形状が似ていたということで、ムラサキクンシランの名が付けられたと言う。
クンシランもアガパンサス同様、南アフリカ原産でヨーロッパを経由して日本に入って来た植物なので、科も生い立ちも似た者同士ということになる。
そういえば、僕の家の玄関脇にも「ダルマクンシラン(達磨君子蘭)」の鉢植えがあるのだが、花の形状だけを見るとこれとはかなり違って見える。


外国から入ってきた植物・樹木というのは身の回りにたくさん目に付くのだが、奈良時代から江戸時代までの長い年月の間に渡来したものが多い中、明治の初期から中ごろのごく短いあいだに一気に渡来してきたものが意外と多いことに驚かされる。

幕末を経て明治という新しい時代に入ると、主要産業や経済、外交、法律の整備など国際的に認められる「国家」としての根幹部分を作ることにやっきになった。
同時に同じような志を持って、海外から多くの有用な樹木や植物を輸入し、研究を重ねていった時代でもある。
それが結果としてすべてが良い方向に進んだのかどうか、はこの際 置いておいて、、、この時代、実に多種多様な植物(樹木・草花)が日本に入ってきている。
一方では、意図せずに紛れて込んできてしまった植物(雑草)や昆虫類というのもまた、明治時代以降に増えていくことにもなる。
同時に、海外から入ってくる植物・昆虫などに対する「防疫・輸入植物検疫」というのを時代に先駆けて行ったのもまた明治時代に入ってからだと言われている。


明治という時代は、海外(主に欧州)から鉄鋼や造船、鉄道、レンガ、コンクリート、ガラス、など重工業を担う技術者、最新の建築・土木の技術者たちがたくさん招聘された。そしてそれら多くの技術者とともに、植物学者、動物学者、地理学者、歴史学者、哲学者など多彩な人々が日本を訪れている。
黒船来航で先鞭を切ったアメリカ合衆国がこの流れに乗り遅れていたのは、ちょうど南北戦争終結の時期と重なったということがあるのだろう。招聘された人々の国籍はフランス、イギリス、ドイツなど、当時、東アジア各国を次々と植民地化していった忌まわしい欧州列強の国々が多かった。

幕府側、倒幕側それぞれ思惑があってヨーロッパ列強の中からパートナー国を選択したのかもしれないが、幕府側についたフランス人であっても優秀な人材であれば明治に入ってもからも引き続き日本に留まり、今度は明治政府の元で日本の発展に尽力したというのだから、その意味では、雇う方も雇われる方もなかなかたいした曲者だ。

ちょうどその頃、ヨーロッパ(特にフランス国内)で蚕の病気が蔓延したこともあって、日本で作られた(優良な)蚕とその卵、生糸などが日本の国家財政の要(輸出品目のトップ)となった。蚕の作る小さな繭から取られた生糸を欧米諸国に売り、そのお金を元に日本の鉄鋼業がかたち作られ、発展していった、と言っても過言ではない。


話しは花の話題からずいぶんズレてしまったが、明治時代になって入ってきた樹木や植物(意図を持って輸入されたもの、そうでないもの)のことを調べていくとけっこうこれが面白い。
たかが木、たかが花、なのだが、そこにも明治時代の持つダイナミズムの一端を感じとることが出来る。

金沢八景駅に向かう道すがら、駅前に広がる平潟湾沿いに咲くアガパンサスの花を見ながら、そんなことをふと思った。

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