シルクロードを放浪する老バックパッカーの想い2 … 海外・WanderVogel2021/07/13

パキスタン・イランのボーダー 1985年秋
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写真:1985年秋、パキスタン・イランのボーダー、土漠の中に延々と延びる鉄条網のフェンス、内側は地雷原。

21歳の頃から繰り返してきた南アジア辺境の旅だが、エリア的にはヒマラヤ山脈、チベット高原、タクラマカン砂漠、カラコルム山脈、カビール砂漠、タール砂漠、ルート砂漠など、インド、パキスタン、ネパール、中国(新疆ウイグル自治区、チベット自治区)、アフガニスタン、イランにまたがる地域で、いわゆる「シルクロード」の世界だ。
荒涼とした土色の世界が一面に広がっているだけのように感じられるが、そこは十数世紀に渡って大勢の隊商が行き交い栄えた重要な隊商路・交易路だったのだ。

辺境の小さな村々を巡り訪ね歩く旅は、陽炎立つ灼熱の土漠、森林限界を超えた氷河の麓、極度に乾燥し土埃の舞い上がる不毛の大地ばかりで、ひ弱な旅人にとってはどこも耐えがたいほど苛酷な地だった。

つらいし、心細いし、飯は不味いし、汚いし、臭いし、危ないし、暑いし、寒いし、と、ろくな環境ではなかった。
でも、周りに広がる異次元の世界とそこに暮らす人々の姿を見ていると、そんなちっぽけな苦しさなどどこかへ吹き飛んでしまう。


辺境の村を訪れるたびに、僕はいつも不思議に思う「何故あえてこのような苛酷な地に住み続けるのだろうか… 」絶望的に思える自然環境の中、厳しい戒律を守るかのようなストイックな営みが日々当たり前のように繰り返されていた。
彼らの暮らしぶりはまるで修行僧のように我慢強く淡々として揺るぎない。その姿に僕は強く惹きつけられるのだ。

「辺境を歩く」というこの「変態な旅」が今も続いているのはそんな理由からなのかもしれない。

ただ、ここ十数年、世の中が便利になりすぎて「辺境」と言われてきた地にも急激な変化が現れているのを感じる。

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