ネパールヒマラヤ・Phuへの旅/記録 1 … 海外・WanderVogel2021/07/14

Phu村入口門前、2018年初冬
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写真:2018年12月、今回の目的地であるphu村入口門前でのスナップ。後ろに見える雪山は中国国境チベットレンジ。

Phuへの旅/記録 1
2017年初冬のクーンブ(サガルマータ国立公園)トレッキング途中敗退にめげること無く、翌年2018年も懲りずにヒマラヤの奥地を一人歩いて来た。
目的地はマルシャンディコーラ上流のマナン郡にあるプーという名の村。

インターネット上のあるコラムで、とても幻想的な村の写真を見たことがこの旅のきっかけだった。コラムの内容を読み進めてみるとNar Phu Valleyという狭い谷を遡ったどん詰まり?に作られた「Phu」というチベット族の村で、長い歴史を持つ村であることが解った。
Phu村は標高4,080mに位置し、Phu khola 河川敷の高台斜面上に造られたチベット系ボティア族(Bhotiya)の村だ。

その写真を見た瞬間、どうしても訪ねてみたくなり、現地のTrekking Agentと事前にやり取りする時間もあまりないまま、とりあえず往復の航空券を購入し2018年12月3日カトマンズへと向かった。Trekking Agent内でもPhu村のことを知るガイドやスタッフはいなかった。情報の少ない中、少し不安を抱えながらの旅立ちだった。

Phu村へたどり着く一番簡単な行き方は、首都Kathmanduで悪路でも走れるジープを1台チャーターし、まずは2日掛けてMarcyangdi Khola (川) 沿いにあるKotoという街道筋の小村まで行く。そこで車を乗り捨て、そこから人ひとり歩くのがやっとの狭い渓谷沿いの道を遡行して行くことになる。Koto村からはマルシャンディ・コーラの支流であるNaar Khola(ナー川)とその上流のPhu Khola(プー川)を3日かけて登り詰めるとPhu村に到着する。

帰りは歩いてきた路を戻り、Koto村で乗合ジープかトラックを捕まえて鋪装された道の通ってる町まで出られればしめたもの。あとは簡単に?Kathmanduまで移動することができる。うまくいけば、行きと同じ日数で戻ることが出来るだろう。

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3年半のblog休眠期間中のトレッキングだったので、これから何回かに分けてPhu村へのTrekkingの様子を遅ればせながらUPして行こうと思う。
ブログUPに先だって、Phu村の印象を先に書いておこう。

Nar Phu Valley一帯に点在している小村は、チベット族の造る家屋特有の素朴な佇まいを見せていて、どの村にもその村の規模に不釣り合いなほど大きなゴンパ(チベット仏教僧院)が建てられている。
路傍に点在するいくつものチョルテン群と独特の色彩で彩色されたマニ石群が幻想的な光景を作り出している。祀られているたくさんのタルチョー(祈りの旗)がこの地域特有の強い風にちぎれんばかりにたなびいて、厳しい自然環境をきわ出させている。

周りはただただ土色の乾燥した大地が幾重にも連なっているだけの高高地。そこには木陰を作るような高木は見えず、目に入ってくる樹木は背の低いトゲのある低木くらいなものだ。
ここに立ち、周りを眺め見れば見るほど「なぜこのような隔絶された厳しい地をわざわざ選んで村を造ったのか?」という素朴な疑問が頭をよぎる。

Phu村の手前には、この小さな村を守るだけにしては立派すぎる規模の石積みの城砦が切り立った渓谷を挟んでそびえ建っていて、何やら不思議な謎を秘めた村に入って行くような感覚におそわれる。
斜面上の地形に沿って展開しているPhu村の一番高い位置に建てられた古いゴンパから村を俯瞰してみると、なんとも幻想的で不思議な光景が広がっていた。
チベット族独特の陸屋根の家屋がすり鉢状に積層し階段状に建ち並ぶ姿は、ほかでは余り見たことのないゾクゾクするほど独創的で有機的な造形を作り出していた。

Phu村を越えてさらに谷を奥に進むとチベット国境(中国国境)に行き着き、その先はチベット高原の核心部へと続いている。
いにしえの交易路はチベットの都ラサへと延々と続いているのだ。そして、ここもまたシルクロードの一端を担う交易路のひとつだったのだ。
ただし、運んでいたのはシルクではなく岩塩なのだが。
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