ネパールヒマラヤ・Phuへの旅/記録 3 … 海外・WanderVogel2021/07/22

kyang村とchorten
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写真:朱色に塗られた基壇の上に載る彩色されたマニ石群とchorten、2018年12月、kyang村にて

Phuへの旅/記録 3
Kotoを出発し3日目、Phu Khola(プー川)河畔の少し上に出来た高台に出る。標高3,890mにあるKyang村だ。

ヒダのような支尾根を巻いてアップダウンを幾度も繰り返しながら、荒れた小石まじりの道は延々と渓谷の奥へと続いている。
美しい景色に元気づけられテンポ良く歩き、kyang村に到着した。村にはカマドの煙一筋も見えず、人影も見えず、一切が静寂に包まれていた。

トレッキング初日は思いがけず積雪に見舞われ、昨日も気温がグッと下がり地面は凍てつき、体調も風邪気味で元気が出なかったが、今日は快晴で高度を上げていることも忘れるくらい気分は上々だ。空の色がだんだんと濃くなり、紫外線量も増えてきているのが実感出来る。

Kyang村の入口付近には、朱色に塗られた基壇の上にブルーで彩色された石に梵字が刻まれたマニ石が並んでいる。(写真)
この地域だけに見られる独特の意匠だ。
乾いた土色の岩山をバックにとても幻想的な光景だった。

一昨日、昨日と同様にKyang村でもひとけがまったく無く、かろうじて一軒だけやっていたバッティというか民家に入る。
朝食を食べてからまだそれほど間もないのだが、ここで何か食べておかないと目的地のPhu村まで途中に村も民家もない。この先Phu村に着くまで、お茶一杯飲むことも出来ないのだ。
とりあえず白米だけを頼み、ふりかけをかけお茶をぶっかけて無理矢理胃の中に流し込んだ。食事をすると言ってもオーダーを聞いてからおもむろにご飯を炊き始めるわけなので、けっこう時間がかかるものである。圧力鍋で炊きあがったご飯をガバガバっと掻き込む。

ご飯が炊きあがるのを待っている間に、村の古い家屋群を見て回る。
Kyang村には、チベッタン風の石積み壁に陸屋根の古い家屋が多く残されている。普段使われていない感じが見受けられるので、やはり冬期間だけの使用なのだろう。もはや住居としてではなく、家畜小屋として使われている家屋も多く見られた。

家屋は周りの岩を砕いて壁などの建築材料としているので、完全にまわりの景色に溶け込んでいる。色彩的に完璧にカモフラージュされているので、遠望からはなかなかその全貌が見えてこない。ところどころに立てられているタルチョーの鮮やかな三色の旗が村の存在、家屋のありかをかろうじて主張しているかのようだ。
屋根は陸屋根で木材を架けて下地としその上を土で覆った構造だ。家屋のなかには屋上に植物(雑草)が自然に生えてきている姿も見られるが、これは意図したものではなく、単に管理がなされていない証拠だろう。本来陸屋根上では収穫物を干したり、作業場として使われることが多いので、土を敷いたままきれいに掃除がなされているはずだから。

バッティの主に聞いてみると、この村は本来ここより奥にあるPhu村の冬の村として昔から使われてきたということだったが、最近はもっと下の大きな村まで下って越冬をするのだという。これも時代の流れなのだろう。

決して広くはない高台に作られた草地は、ヤクなどのカルカ(草地・放牧地)として使われていて、ヤクや馬がかろうじて残された枯れた草を食んでいた。

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