シルクロードを放浪する老バックパッカーの想い出16 … 海外・WanderVogel2021/10/02

ラサ八角街・バルコル1984年9月
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写真:1984年9月、拉薩の大昭寺(ジョカン)の周りに広がっていたバルコルを五体投地しながら進む巡礼者。

拉薩(ラサ)は、標高3,000mオーバーのチベット高原にある。

八角街(八廓街・バルコル)は、大昭寺(ジョカン)を中心に八角形に取り囲む。チベット仏教の聖地ジョカン寺に詣でる巡礼者の滞在時の生活を支え続けてきた町だ。1984年時点では、五体投地で長い道のりを旅をしてきた敬虔な巡礼者の姿を見ることも多かった。衣服はボロボロになり、体力も限界に達していることだろう。彼らを迎え入れる宿、食事を提供する施設、仏具などを売る店などパルコルにはそうした施設が多くあった。

僕らが行った時、中国人民政府による大規模で組織的な文化破壊が行なわれようとしていた頃であった。
写真に写っているような歴史ある建物群を町ごとブルドーザーで押しつぶし破壊し、中国政府が主張する「美しい町並み」にするための区画整理が急ピッチで進みつつあった。
この時に僕が見た歴史あるラサの古都の風景も、パルコルの賑わいや佇まいも、ジョカン寺前の荘厳な光景も1980年代末には失われてしまっていることだろう。
実際、ポタラ宮前の一画ではこの時すでに個性の無い中国風バラックに造りかえられつつあったのだ。


高山病によるひどい頭痛が少し和らいできたので、「名前の無いホテル」を出てパルコルとジョカン寺に向かう。
途中でチャイハナ(茶屋)に入りチャイ(何とミルクティーだ!)を飲む。1杯1角/人民元(8円)インドやパキスタンを思い起こすチャイであった。

ラサ滞在中の大きな問題は日々の食事だった。
チベット人巡礼者にはそれ用の食事所が用意されているのだろうか、町にはいわゆる「食堂」があまり見当たらない。
ラサの町にはいちおうアテにならない公共バスもあるにはあるが、頑張って歩けば徒歩だけで回りきれる規模のこじんまりした町だ。
この日も一日、町の中心部を歩き回ってみたが、1〜2軒しか食堂を探すことが出来なかった。

そのうちの1軒に入り、モモと炒飯を注文してみる。どちらも「激マズ」だった。
当時の日記にもそう書いているということはかなり印象的だったのであろう。
それ以外の料理もかなり不味かったようで、ほとほとまいった、と記してある。

つづく・・・
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