ジョムソン街道・ムクティナートの光景 1984 … WanderVogel ― 2012/05/14
- -
今日の朝、ポカラ発ジョムソン行きのアグニエアの飛行機が墜落したというニュースが入ってきました。
ポカラ(900m)という町からジョムソン(2,743m)村までは、片道 歩いて7日から10日程度の道のりです。
私が行った1979年でも1984年でも、このルートは全線歩いて行くしか方法はなかったのですが、今では飛行機(プロペラ機)やバス、ジープなどでも行くことが出来るようになったと言います。
カリガンダキ(黒い川)という川沿いに開ける荒涼とした河原をひたすら遡ったところにジョムソンという村はあります。
ここはルートは、古くはチベットとインドをつなぐ隊商の交易道として大層栄えた道でした。
ジョムソンという村自体は特別何もないのですが、そこから2日ほど歩くとムクティナート(3,798m)というチベット仏教とヒンドゥー教の聖地があります。
ですから、この道は周辺のチベット仏教徒やインドからのヒンドゥー教徒たちもお参りに押し寄せる「巡礼の道」ということにもなります。
ムクティナートからトロン・パス(5,415m)というコル(鞍部)を越えるとアンナプルナ山系の北側に出て、マナン、ピサンといった村々へとつながっています。
また、ジョムソンとムクティナートのちょうど中間のカグベ二村から、さらにカリガンダキ沿いに遡ると神秘の国「ムスタン王国」に行くことが出来ます。
ムクティナート周辺には写真のような荒涼とした景色が広がっていました。
標高は4.000m近いので周りには樹木も草もありません。
周囲を取り囲む 雪を頂いている山々は軽く7,000mを越えています。
以前のblog:http://hd2s-ngo.asablo.jp/blog/2012/03/08/
・・・不定期に つづく
…
今日の朝、ポカラ発ジョムソン行きのアグニエアの飛行機が墜落したというニュースが入ってきました。
ポカラ(900m)という町からジョムソン(2,743m)村までは、片道 歩いて7日から10日程度の道のりです。
私が行った1979年でも1984年でも、このルートは全線歩いて行くしか方法はなかったのですが、今では飛行機(プロペラ機)やバス、ジープなどでも行くことが出来るようになったと言います。
カリガンダキ(黒い川)という川沿いに開ける荒涼とした河原をひたすら遡ったところにジョムソンという村はあります。
ここはルートは、古くはチベットとインドをつなぐ隊商の交易道として大層栄えた道でした。
ジョムソンという村自体は特別何もないのですが、そこから2日ほど歩くとムクティナート(3,798m)というチベット仏教とヒンドゥー教の聖地があります。
ですから、この道は周辺のチベット仏教徒やインドからのヒンドゥー教徒たちもお参りに押し寄せる「巡礼の道」ということにもなります。
ムクティナートからトロン・パス(5,415m)というコル(鞍部)を越えるとアンナプルナ山系の北側に出て、マナン、ピサンといった村々へとつながっています。
また、ジョムソンとムクティナートのちょうど中間のカグベ二村から、さらにカリガンダキ沿いに遡ると神秘の国「ムスタン王国」に行くことが出来ます。
ムクティナート周辺には写真のような荒涼とした景色が広がっていました。
標高は4.000m近いので周りには樹木も草もありません。
周囲を取り囲む 雪を頂いている山々は軽く7,000mを越えています。
以前のblog:http://hd2s-ngo.asablo.jp/blog/2012/03/08/
・・・不定期に つづく
…
トルコ・アナトリア高原 カッパドキア滞在 1984 … WanderVogel ― 2012/04/25
- -
ノアの方舟が流れ着いたという伝説のあるアララット山を脇に見ながらもイラン側イミグレーションで足止めされ、一昼夜かけてやっとトルコ側に国境を抜けたのが1984年の秋でした。
イミグレーションで足止めされた原因は、テヘランからイラン国境を越えるまでの区間でたまたま乗った長距離バスが「テヘラン発ダマスカス行き」の現地民のイスラム聖地巡礼バスだったようで、「ご一行様」に間違われて厳重な荷物チェックの渦に巻き込まれてしまった、というのがことの顛末です。
やっとのことでたどり着いたアナトリア高原の真ん中に位置する「ネブシェヒル 村」は、周囲に点在する奇妙な形の家々や地下深く掘り込まれた地下都市などを見て回る旅の中心となる村です。
元々は初期キリスト教徒達がローマ帝国の弾圧から逃れるためにこの地に移り住み、岩をくり抜いて隠れ住んだのが最初なのだそうです。
(もっと古くはヒッタイト時代にまで遡るらしいのですが…)
その後、イスラム勢力からも迫害されることになり、そのままここに隠れ住んで(周囲の掘りやすい土質も幸いしたのでしょう)岩山や断崖の岩壁、地下深くを長い年月をかけ掘り進めて長大な洞窟都市を造り上げていきます。
ネブシェヒル 村を中心に、ギョレメ、ウチヒサール、ユルギップなど周辺の村々一帯に写真のような奇妙な光景が広がっています。
(1985年にはカッパドキア一帯は世界遺産に登録されています。)
アナトリア高原一体は火山噴火によって出来た大地で土壌自体の水はけも良く、細かい火山灰台地のあちこちに葡萄畑が広がっていました。
干しぶどうやワインの醸造も盛んに行なわれていて、当時も「カッパドキアワイン」として有名でした。
イスラム圏なのに、アルコールがおおっぴらに飲めるという当時では珍しい土地でした。
ウチヒサールの村の通りを見下ろせるホテルの一室に、1週間ほど滞在してあちこち見て歩きました。
素朴な村での滞在は、過酷なイランを旅して来た身には、本当にホッと出来る時間・空間でした。
トルコ料理は西洋料理の原点とも言われているようで、確かに料理のセンスもバリエーションもパキスタンやイラン、これから行くギリシャ、ユーゴスラビア(当時は分裂前で1つの国でした)など足元にも及ばないほど、料理もパンもワインも素晴らしく美味しかった思い出があります。
・・・不定期に つづく
…
ノアの方舟が流れ着いたという伝説のあるアララット山を脇に見ながらもイラン側イミグレーションで足止めされ、一昼夜かけてやっとトルコ側に国境を抜けたのが1984年の秋でした。
イミグレーションで足止めされた原因は、テヘランからイラン国境を越えるまでの区間でたまたま乗った長距離バスが「テヘラン発ダマスカス行き」の現地民のイスラム聖地巡礼バスだったようで、「ご一行様」に間違われて厳重な荷物チェックの渦に巻き込まれてしまった、というのがことの顛末です。
やっとのことでたどり着いたアナトリア高原の真ん中に位置する「ネブシェヒル 村」は、周囲に点在する奇妙な形の家々や地下深く掘り込まれた地下都市などを見て回る旅の中心となる村です。
元々は初期キリスト教徒達がローマ帝国の弾圧から逃れるためにこの地に移り住み、岩をくり抜いて隠れ住んだのが最初なのだそうです。
(もっと古くはヒッタイト時代にまで遡るらしいのですが…)
その後、イスラム勢力からも迫害されることになり、そのままここに隠れ住んで(周囲の掘りやすい土質も幸いしたのでしょう)岩山や断崖の岩壁、地下深くを長い年月をかけ掘り進めて長大な洞窟都市を造り上げていきます。
ネブシェヒル 村を中心に、ギョレメ、ウチヒサール、ユルギップなど周辺の村々一帯に写真のような奇妙な光景が広がっています。
(1985年にはカッパドキア一帯は世界遺産に登録されています。)
アナトリア高原一体は火山噴火によって出来た大地で土壌自体の水はけも良く、細かい火山灰台地のあちこちに葡萄畑が広がっていました。
干しぶどうやワインの醸造も盛んに行なわれていて、当時も「カッパドキアワイン」として有名でした。
イスラム圏なのに、アルコールがおおっぴらに飲めるという当時では珍しい土地でした。
ウチヒサールの村の通りを見下ろせるホテルの一室に、1週間ほど滞在してあちこち見て歩きました。
素朴な村での滞在は、過酷なイランを旅して来た身には、本当にホッと出来る時間・空間でした。
トルコ料理は西洋料理の原点とも言われているようで、確かに料理のセンスもバリエーションもパキスタンやイラン、これから行くギリシャ、ユーゴスラビア(当時は分裂前で1つの国でした)など足元にも及ばないほど、料理もパンもワインも素晴らしく美味しかった思い出があります。
・・・不定期に つづく
…
インド旅の魅力は・・・ 1991 … WanderVogel ― 2012/04/11
- -
インドを旅するのにバックパッカーだけが正統とは限りません。
今の時代、バックパッカーという言葉も少し古ぼけた言い方ですが、一日数百円で旅を続けることも、一泊の宿泊費だけで数万円のマハラジャホテルを泊まり歩くこともできます。
(私も始めてインドに行った時は、1日400円から500円で宿泊費・交通費・食費まで全てをまかなっていましたから…)
インド(ムガール帝国)は大英帝国(東インド会社)に植民地化されていた長い歴史があるにせよ、地方には藩王(マハラジャ)の統治する体制がしっかりと残っていて、マハラジャの旧王宮や離宮がそのまま残されています。
以前も書いたように、そういったマハラジャの旧王宮殿や離宮などに泊まりながら、王族達が綿々と守り続けてきた王侯芸術/文化を味わう贅沢な旅もインドの大きな魅力のひとつです。
http://hd2s-ngo.asablo.jp/blog/2012/03/26/6388334
特にラジャスターン州やグジャラート州、マッディア・プラデーシュ州などにはそういった歴史的文化・建築が数多く点在しています。
写真はウダイプールにあるピチョーラ湖に面して建つ、シヴ・ニワス・ホテルです。
今は全体が大きなパレスホテルとして使われているようですが、私の行った1991年当時は半分以上は未だマハラジャの居住施設として使われており、部屋数も十数室 そこそこしかありませんでした。
宿泊料金も湖内の島に建つ有名なレイクパレスより高かった気がします
(日本では予約など出来る時代ではなかったので、ニューデリーのトラベルエージェントからテレックスを打って予約した覚えがあります。)
部屋は何部屋もある広いスイートルームで、部屋に面した中庭にはサーバントが常に控えていて、(電話でコールするのではなく)室内から声をかけただけでティーでもなんでも持ってきてくれるという、夢のようなマハラジャ待遇で接してくれるホテルでした。
「ホスピタリティ」という言葉のもつ本当の意味を始めて実感したのもこのホテルでした。
デリーから一ヶ月間雇って車を運転してきたインド人運転手はカーストが低いということで 大門から中には入ることがかなわず、我々2人もそこで車を降りて歩いて入った記憶があります。
外界から完全に隔絶された、違う「インド」がそこにはありました。
・・・不定期に つづく
…
インドを旅するのにバックパッカーだけが正統とは限りません。
今の時代、バックパッカーという言葉も少し古ぼけた言い方ですが、一日数百円で旅を続けることも、一泊の宿泊費だけで数万円のマハラジャホテルを泊まり歩くこともできます。
(私も始めてインドに行った時は、1日400円から500円で宿泊費・交通費・食費まで全てをまかなっていましたから…)
インド(ムガール帝国)は大英帝国(東インド会社)に植民地化されていた長い歴史があるにせよ、地方には藩王(マハラジャ)の統治する体制がしっかりと残っていて、マハラジャの旧王宮や離宮がそのまま残されています。
以前も書いたように、そういったマハラジャの旧王宮殿や離宮などに泊まりながら、王族達が綿々と守り続けてきた王侯芸術/文化を味わう贅沢な旅もインドの大きな魅力のひとつです。
http://hd2s-ngo.asablo.jp/blog/2012/03/26/6388334
特にラジャスターン州やグジャラート州、マッディア・プラデーシュ州などにはそういった歴史的文化・建築が数多く点在しています。
写真はウダイプールにあるピチョーラ湖に面して建つ、シヴ・ニワス・ホテルです。
今は全体が大きなパレスホテルとして使われているようですが、私の行った1991年当時は半分以上は未だマハラジャの居住施設として使われており、部屋数も十数室 そこそこしかありませんでした。
宿泊料金も湖内の島に建つ有名なレイクパレスより高かった気がします
(日本では予約など出来る時代ではなかったので、ニューデリーのトラベルエージェントからテレックスを打って予約した覚えがあります。)
部屋は何部屋もある広いスイートルームで、部屋に面した中庭にはサーバントが常に控えていて、(電話でコールするのではなく)室内から声をかけただけでティーでもなんでも持ってきてくれるという、夢のようなマハラジャ待遇で接してくれるホテルでした。
「ホスピタリティ」という言葉のもつ本当の意味を始めて実感したのもこのホテルでした。
デリーから一ヶ月間雇って車を運転してきたインド人運転手はカーストが低いということで 大門から中には入ることがかなわず、我々2人もそこで車を降りて歩いて入った記憶があります。
外界から完全に隔絶された、違う「インド」がそこにはありました。
・・・不定期に つづく
…
スイス/ミューレンとアイガー北壁 1994 … WanderVogel ― 2012/04/07
- -
1994年秋、パリを出てロンシャンの礼拝堂を訪れた後にそのままスイスに入り、ミューレンという可愛らしい小さな山村に連泊していました。
あまりの美しさと快適さに結局その後、スイスには丸々2週間以上も滞在することになりました。
ミューレンという村は、ベルナーオーバーラント地方のラウターブルンネン谷にそそり立つ 氷河が削り取った高い崖の上にある山村です。
連泊していた民宿の食堂のテラスからは、深い谷越しに美しいベルナーアルプスが一望に見渡せました。
アルプス山脈の山容というのは厳しい岩稜一色なのですが、その山麓には放牧地が広がり高山植物が咲き乱れていて、ブルーメンタール(花の谷)と呼ばれているやさしい光景が広がっています。
写真はクライネ・シャイデックからアイガーグレッシャーへ向かう途中に仰ぎ見たアイガー北壁の姿です。
アイガー(3,970m)の右側にはメンヒ(4,099m)、ユングフラウ(4,158m)が並んで連なっています。
メンヒとユングフラウのコル(鞍部)にある山岳鉄道の駅(ユングフラウ ヨッホ)からは、壮大なアレッチ氷河(Aletsch gletscher)を見ることが出来ます。
ヒマラヤの「トレッキング」とはひと味もふた味も違う、気軽な「ハイキング」を楽しむことが出来るのがヨーロッパの、スイスの、山歩きの大きな魅力です。
歩き疲れれば、ケーブルカーでもロープウェーでもリフトでも、様々な山岳交通機関が準備されています。
また、アイガーなどの主峰頂上まで安全に連れて行ってくれる登山ツアーも現地では盛んで、多少の山登りの経験とそれなりの装備があれば頂上に立つことも難しくはないそうです。
・・・不定期に つづく
…
1994年秋、パリを出てロンシャンの礼拝堂を訪れた後にそのままスイスに入り、ミューレンという可愛らしい小さな山村に連泊していました。
あまりの美しさと快適さに結局その後、スイスには丸々2週間以上も滞在することになりました。
ミューレンという村は、ベルナーオーバーラント地方のラウターブルンネン谷にそそり立つ 氷河が削り取った高い崖の上にある山村です。
連泊していた民宿の食堂のテラスからは、深い谷越しに美しいベルナーアルプスが一望に見渡せました。
アルプス山脈の山容というのは厳しい岩稜一色なのですが、その山麓には放牧地が広がり高山植物が咲き乱れていて、ブルーメンタール(花の谷)と呼ばれているやさしい光景が広がっています。
写真はクライネ・シャイデックからアイガーグレッシャーへ向かう途中に仰ぎ見たアイガー北壁の姿です。
アイガー(3,970m)の右側にはメンヒ(4,099m)、ユングフラウ(4,158m)が並んで連なっています。
メンヒとユングフラウのコル(鞍部)にある山岳鉄道の駅(ユングフラウ ヨッホ)からは、壮大なアレッチ氷河(Aletsch gletscher)を見ることが出来ます。
ヒマラヤの「トレッキング」とはひと味もふた味も違う、気軽な「ハイキング」を楽しむことが出来るのがヨーロッパの、スイスの、山歩きの大きな魅力です。
歩き疲れれば、ケーブルカーでもロープウェーでもリフトでも、様々な山岳交通機関が準備されています。
また、アイガーなどの主峰頂上まで安全に連れて行ってくれる登山ツアーも現地では盛んで、多少の山登りの経験とそれなりの装備があれば頂上に立つことも難しくはないそうです。
・・・不定期に つづく
…
ロンシャンの教会(礼拝堂) 1994 … WanderVogel ― 2012/04/06
- -
ロンシャンの教会(礼拝堂)を訪れたのは、1994年の秋のことです。
正式な名称はノートルダム・テュ・オー Chapelle Notre Dame Du Haut と言います。
ロンシャンに行くには(ツアーでなく自分の足で行くのが良い)パリから電車で近くの駅ベルフォールまで行き、そこからバスかタクシーということになります。
(私の行ったのは昔ですので、通貨はユーロではなくフランスフランでした。)
バスを降りてポクポクとなだらかな丘を登ってたどり着いた礼拝堂は、周りののどかな景色の中でやはり独特のオーラを放っていました。
この建物は自分の足で丘を登って見に行かないと、自分と建物との距離も縮まりませんし、お互いに解り合うことも出来ないと思いました。
あまりにも偉大で有名なロンシャンの教会(礼拝堂)ですので、あえて私がここで説明をすることもありませんが、外観はどこをどの角度から撮っても美しい建物です。
そして内部もまた素晴らしい!
様々な形・大きさのたくさんの小さな窓から差し込む光のひとつひとつが、それぞれに意味のある光のように感じられます。
言葉や写真では絶対に伝えきれない神々しいまでの空間と造形美です。
・・・不定期に つづく
…
ロンシャンの教会(礼拝堂)を訪れたのは、1994年の秋のことです。
正式な名称はノートルダム・テュ・オー Chapelle Notre Dame Du Haut と言います。
ロンシャンに行くには(ツアーでなく自分の足で行くのが良い)パリから電車で近くの駅ベルフォールまで行き、そこからバスかタクシーということになります。
(私の行ったのは昔ですので、通貨はユーロではなくフランスフランでした。)
バスを降りてポクポクとなだらかな丘を登ってたどり着いた礼拝堂は、周りののどかな景色の中でやはり独特のオーラを放っていました。
この建物は自分の足で丘を登って見に行かないと、自分と建物との距離も縮まりませんし、お互いに解り合うことも出来ないと思いました。
あまりにも偉大で有名なロンシャンの教会(礼拝堂)ですので、あえて私がここで説明をすることもありませんが、外観はどこをどの角度から撮っても美しい建物です。
そして内部もまた素晴らしい!
様々な形・大きさのたくさんの小さな窓から差し込む光のひとつひとつが、それぞれに意味のある光のように感じられます。
言葉や写真では絶対に伝えきれない神々しいまでの空間と造形美です。
・・・不定期に つづく
…
デンマーク・クロンボー城とハムレット 1979 … WanderVogel ― 2012/04/04
- -
一人、心細さいっぱいでコペンハーゲンに着いたのが1979年(21歳)の初夏でした。
かなり色あせていて時代を感じさせる一枚の写真ですが、ヨーロッパに入って一番最初に行った場所です。
コペンハーゲンの北、スウェーデンと海峡で国境を接している海岸線に面して建つクロンボー城とそれを取り囲む城壁です。
この城は古城として(2000年に)ユネスコの世界文化遺産に登録されたとはいえ、建築学的にはヨーロッパ各地に点在している「郷土の城」の中のひとつ、という位置づけをされてしまう程度なのかもしれません。
この城を世界的に有名にしているのは、この城が戯曲「ハムレット」の舞台として伝わっているという一点にあります。
「To be or not to be, that is the question」で有名な「ハムレット」
(もっとも、シェイクスピア自身は一度もこの城を訪れたことは無いといいますが…)
「ハムレット」の中の重要なシーン、父王の亡霊が夜な夜な城の城壁に現れるその舞台として、この城の存在価値はグンと跳ね上がります。
ハムレット、オフィーリア、ガートルード、ホレイショー、そして父王の亡霊、様々な登場人物がこの城に集まり舞台は展開していきます。
この城の内部は創建当時のものではないにせよ、「その事件」が実際にここで起きたのかぁ、と何だか本当に起こったことのように思えてくるから不思議なものです。
これから半年以上におよぶ旅の最初に、どうしても見ておきたかった場所でした。
・・・不定期に つづく
…
一人、心細さいっぱいでコペンハーゲンに着いたのが1979年(21歳)の初夏でした。
かなり色あせていて時代を感じさせる一枚の写真ですが、ヨーロッパに入って一番最初に行った場所です。
コペンハーゲンの北、スウェーデンと海峡で国境を接している海岸線に面して建つクロンボー城とそれを取り囲む城壁です。
この城は古城として(2000年に)ユネスコの世界文化遺産に登録されたとはいえ、建築学的にはヨーロッパ各地に点在している「郷土の城」の中のひとつ、という位置づけをされてしまう程度なのかもしれません。
この城を世界的に有名にしているのは、この城が戯曲「ハムレット」の舞台として伝わっているという一点にあります。
「To be or not to be, that is the question」で有名な「ハムレット」
(もっとも、シェイクスピア自身は一度もこの城を訪れたことは無いといいますが…)
「ハムレット」の中の重要なシーン、父王の亡霊が夜な夜な城の城壁に現れるその舞台として、この城の存在価値はグンと跳ね上がります。
ハムレット、オフィーリア、ガートルード、ホレイショー、そして父王の亡霊、様々な登場人物がこの城に集まり舞台は展開していきます。
この城の内部は創建当時のものではないにせよ、「その事件」が実際にここで起きたのかぁ、と何だか本当に起こったことのように思えてくるから不思議なものです。
これから半年以上におよぶ旅の最初に、どうしても見ておきたかった場所でした。
・・・不定期に つづく
…
スペイン・ロンダの断崖に建つパラドール 1997 … WanderVogel ― 2012/04/01
- -
スペインに点在するイスラーム建築、庭園を見て回るため、パリからマドリッド行きのTGVとタルゴに乗ったのが1997年9月の中頃でした。
アンダルシア地方を中心に9月から10月にかけて約一ヶ月間、コルドバ、セビーリア、グラナダ、ロンダなどの諸都市を巡ってきました。
イスラーム建築、モスク(スペインではメスキータと言います)の典型は大別すると4つ
1:ペルシャ型:イラン・イスファハンにある「王のモスク」(ササーン朝)
2:トルコ型:イスタンブールにある「イェニ・ジャミ」(オスマントルコ)
3:アラブ型:エジプト・カイロにある「アルム・モスク」(ウマイヤ朝)
4:インド型:インド・オールドデリーの「金曜日のモスク」(ムガール朝)
スペインに点在するモスクは、アラブ型(ウマイヤ朝)の建築様式を持っています。
アルハンブラ宮殿に代表される独特のデザインを持つイスラーム建築は「ムーア建築」とも呼ばれます。
スペインにイスラームが入ってきたのは、711年にベルベル人を先頭にジブラルタル海峡を渡って攻め込んできたウマイア王朝のアラブ人が最初で、それ以後1492年に最後のイスラム王国であるグラナダ王国を滅ぼすまでの長い期間イスラーム文化圏に取り込まれていました。
コルドバのメスキータやグラナダのアルハンブラ宮殿を初め、地方にもイスラーム時代に造られた邸宅、庭園などがあちこちに残されています
アンダルシア南部マラガの西にあるロンダという古い町は、ロンダ渓谷という切り立った崖の上にある町として有名です。
そこには断崖を利用したムデハル・ゴシック様式で造られた有名な「芸術的庭園」が残っていて、アラブ式の庭園でありながら、通常のイスラーム庭園とはまったく趣の違う「楽園」が広がっています。
その魅力は何といっても、ロケーションを生かした大胆な造園デザイン/設計手法にあります。
非常に興味深い、何ともダイナミックで美しいイスラーム庭園でした。
ロンダで何泊か宿泊したのが、写真左上の崖の上に建つ1761年に建造された旧市庁舎を改装したというパラドールです。
100mを越す絶壁を見下ろす(旧市街とをつなぐ)ヌエボ橋のたもとに建っていて、ロンダ渓谷のすばらしい眺望と眼下のオリーブ畑を一望することが出来ます。
個人旅行でしたので、事前に宿泊予約などは取っていなかったのですが、その前日に宿泊していたグラナダのパラドールのコンセルジュに頼み直接ロンダに電話をしてもらい、予約を取ることが出来ました。
グラナダのパラドールは、アルハンブラ宮殿の一部であるサンフランシスコ修道院をパラドールに改装したもので、宿泊客しか入れない庭園(パティオ)や館内外の装飾、客室と窓の外に広がる広い庭など、それぞれがアラブとキリストの両文化を融合させた独特の空間を作りだしていて、「千夜一夜の世界」のような雰囲気で満ち溢れていました。
ここも事前予約していなかったのですが、直接パラドールに出向いて交渉すると運良く部屋を取ることが出来ました。非常にラッキーでした。
・・・不定期に つづく
…
スペインに点在するイスラーム建築、庭園を見て回るため、パリからマドリッド行きのTGVとタルゴに乗ったのが1997年9月の中頃でした。
アンダルシア地方を中心に9月から10月にかけて約一ヶ月間、コルドバ、セビーリア、グラナダ、ロンダなどの諸都市を巡ってきました。
イスラーム建築、モスク(スペインではメスキータと言います)の典型は大別すると4つ
1:ペルシャ型:イラン・イスファハンにある「王のモスク」(ササーン朝)
2:トルコ型:イスタンブールにある「イェニ・ジャミ」(オスマントルコ)
3:アラブ型:エジプト・カイロにある「アルム・モスク」(ウマイヤ朝)
4:インド型:インド・オールドデリーの「金曜日のモスク」(ムガール朝)
スペインに点在するモスクは、アラブ型(ウマイヤ朝)の建築様式を持っています。
アルハンブラ宮殿に代表される独特のデザインを持つイスラーム建築は「ムーア建築」とも呼ばれます。
スペインにイスラームが入ってきたのは、711年にベルベル人を先頭にジブラルタル海峡を渡って攻め込んできたウマイア王朝のアラブ人が最初で、それ以後1492年に最後のイスラム王国であるグラナダ王国を滅ぼすまでの長い期間イスラーム文化圏に取り込まれていました。
コルドバのメスキータやグラナダのアルハンブラ宮殿を初め、地方にもイスラーム時代に造られた邸宅、庭園などがあちこちに残されています
アンダルシア南部マラガの西にあるロンダという古い町は、ロンダ渓谷という切り立った崖の上にある町として有名です。
そこには断崖を利用したムデハル・ゴシック様式で造られた有名な「芸術的庭園」が残っていて、アラブ式の庭園でありながら、通常のイスラーム庭園とはまったく趣の違う「楽園」が広がっています。
その魅力は何といっても、ロケーションを生かした大胆な造園デザイン/設計手法にあります。
非常に興味深い、何ともダイナミックで美しいイスラーム庭園でした。
ロンダで何泊か宿泊したのが、写真左上の崖の上に建つ1761年に建造された旧市庁舎を改装したというパラドールです。
100mを越す絶壁を見下ろす(旧市街とをつなぐ)ヌエボ橋のたもとに建っていて、ロンダ渓谷のすばらしい眺望と眼下のオリーブ畑を一望することが出来ます。
個人旅行でしたので、事前に宿泊予約などは取っていなかったのですが、その前日に宿泊していたグラナダのパラドールのコンセルジュに頼み直接ロンダに電話をしてもらい、予約を取ることが出来ました。
グラナダのパラドールは、アルハンブラ宮殿の一部であるサンフランシスコ修道院をパラドールに改装したもので、宿泊客しか入れない庭園(パティオ)や館内外の装飾、客室と窓の外に広がる広い庭など、それぞれがアラブとキリストの両文化を融合させた独特の空間を作りだしていて、「千夜一夜の世界」のような雰囲気で満ち溢れていました。
ここも事前予約していなかったのですが、直接パラドールに出向いて交渉すると運良く部屋を取ることが出来ました。非常にラッキーでした。
・・・不定期に つづく
…
イラン・ペルシャ ペルセポリスの都跡 1984 … WanderVogel ― 2012/03/31
- -
2度目のイラン(ペルシャ)行きは1984年でした。
その頃のイランはイラクとの間の戦争が長期化していて、特に個人で旅をするには観光どころではなかった時期でした。
(テヘランやイスファハーンのホテルでは半地下の防空壕のような部屋でしたし、屋上には高射機関砲が据え付けられ夜通し威嚇射撃をし、地対空ミサイルまでが夜空を睨んでいましたから…)
シラーズという美しい町の近くに、紀元前アカイメネス朝ペルシャ帝国の都跡ペルセポリスが破壊された姿そのままに残されています。
ダレイオス1世からクセルクセス1世にかけて壮大な規模で建設されたこの宮殿は、紀元前331年に古代マケドニア王国のアレクサンダー大王(ペルシャ読みではイスカンダール)によって徹底的に破壊され、そのまま長い年月放置されていたものです。
破壊されたのも紀元前のことですから、何と二千数百年間もこのような姿のままここに残っていたことになります。
写真は百柱殿跡からアパダナ方向を写したものです。後ろに林立する高い石柱はクセルクセス1世のよって建てられたアパダナの柱の一部です。
それだけを見てもこの宮殿の規模の壮大さが解りますが、このアパダナは高さ10m以上に積み上げられた大基壇の上に建っているのです。
腰掛けているのは百柱殿を支える柱の柱脚で、その釣り鐘型をしたベースデザインは美しく流麗で優雅です。
後方に転がっている柱身は、ギリシャのイオニア式に似ていますが、フルーティングの数がそれより多くいっそう繊細な細工が見て取れます。
ペルセポリスの建築デザインで最も特徴的なのが柱頭部分です。
柱頭は背中合わせの2頭の動物、渦巻き文様、花冠状デザインの3つのパーツの組み合わせで構成されていて、転がっている瓦礫のような石塊と化した姿となっても、十分にオリジナリティー溢れるそのデザイン性を感じ取ることが出来ます。
ここに立って繁栄の頂点にあった往時に思いを巡らせ、どのような宮殿が建っていたのであろうか、古代バビロニアにあったという空中庭園がここにもあったのだろうか、などと想像するのは実に楽しいものです。
ペルセポリス近くの巨大な岩稜の岩壁にはダレイオス1世の墓(ナクシュ・イ・ルスタム)が穿たれています。
その前には巨大な石造りの拝火教(ゾロアスター教)の祭壇がそのまま残っていたのを思い出します。
・・・不定期に つづく
…
2度目のイラン(ペルシャ)行きは1984年でした。
その頃のイランはイラクとの間の戦争が長期化していて、特に個人で旅をするには観光どころではなかった時期でした。
(テヘランやイスファハーンのホテルでは半地下の防空壕のような部屋でしたし、屋上には高射機関砲が据え付けられ夜通し威嚇射撃をし、地対空ミサイルまでが夜空を睨んでいましたから…)
シラーズという美しい町の近くに、紀元前アカイメネス朝ペルシャ帝国の都跡ペルセポリスが破壊された姿そのままに残されています。
ダレイオス1世からクセルクセス1世にかけて壮大な規模で建設されたこの宮殿は、紀元前331年に古代マケドニア王国のアレクサンダー大王(ペルシャ読みではイスカンダール)によって徹底的に破壊され、そのまま長い年月放置されていたものです。
破壊されたのも紀元前のことですから、何と二千数百年間もこのような姿のままここに残っていたことになります。
写真は百柱殿跡からアパダナ方向を写したものです。後ろに林立する高い石柱はクセルクセス1世のよって建てられたアパダナの柱の一部です。
それだけを見てもこの宮殿の規模の壮大さが解りますが、このアパダナは高さ10m以上に積み上げられた大基壇の上に建っているのです。
腰掛けているのは百柱殿を支える柱の柱脚で、その釣り鐘型をしたベースデザインは美しく流麗で優雅です。
後方に転がっている柱身は、ギリシャのイオニア式に似ていますが、フルーティングの数がそれより多くいっそう繊細な細工が見て取れます。
ペルセポリスの建築デザインで最も特徴的なのが柱頭部分です。
柱頭は背中合わせの2頭の動物、渦巻き文様、花冠状デザインの3つのパーツの組み合わせで構成されていて、転がっている瓦礫のような石塊と化した姿となっても、十分にオリジナリティー溢れるそのデザイン性を感じ取ることが出来ます。
ここに立って繁栄の頂点にあった往時に思いを巡らせ、どのような宮殿が建っていたのであろうか、古代バビロニアにあったという空中庭園がここにもあったのだろうか、などと想像するのは実に楽しいものです。
ペルセポリス近くの巨大な岩稜の岩壁にはダレイオス1世の墓(ナクシュ・イ・ルスタム)が穿たれています。
その前には巨大な石造りの拝火教(ゾロアスター教)の祭壇がそのまま残っていたのを思い出します。
・・・不定期に つづく
…
ネパール カトマンドゥの水汲み場 2011 … WanderVogel ― 2012/03/29
- -
2011年、4度目?の山歩きのBCとしてのカトマンドゥ滞在です。
http://blog.goo.ne.jp/hd2s-ngo
写真はカトマンドゥの街なかに点在している、階段状に深く掘り込まれた水汲み場、洗濯場です。
街の真ん中、交通量の多い表通りから1本入った路地などに、突如こういった窪んだ水場がいくつも存在するというのもけっこう不思議な感じがします。
インドでは「クンド」あるいは「クンド・ワピ」という言い方をしますが、ネパールでは「ドゥンゲダラ」と言うようです。
これは一種の水井戸で水汲み場でもありますが、宗教的な意味合いも強く、沐浴場を兼ねていたりもします。写真をよく見ると一番低いテラス部分にリンガが三基見えます。吐水口の壁側にはヒンドゥの神様を祭った石造りの祠状のものも見ることが出来ます。
ヒンドゥ教徒にとって、沐浴は重要な宗教行事/習慣のひとつで、神聖なものなのです。
カトマンドゥでは今でもかなり頻繁に停電と断水がありますので、こういった水汲み場は実生活の面でも日々活用され続けています。
ただ、日本人の感覚からすれば共同の水汲み場なのですから、もう少し清潔さがあった方が良いのでは?と余計なことを思ってしまいます。
日本の田舎で時々見られる昔から利用されている村の共同水汲み場などと比べると、衛生面でかなりの開きがあるように思います。
日本のそれが「清水」なら、ネパールのそれはどうみても「濁り水」に見えてしまうのは自然環境のせい? それとも国民性によるもの?
・・・不定期に つづく
…
2011年、4度目?の山歩きのBCとしてのカトマンドゥ滞在です。
http://blog.goo.ne.jp/hd2s-ngo
写真はカトマンドゥの街なかに点在している、階段状に深く掘り込まれた水汲み場、洗濯場です。
街の真ん中、交通量の多い表通りから1本入った路地などに、突如こういった窪んだ水場がいくつも存在するというのもけっこう不思議な感じがします。
インドでは「クンド」あるいは「クンド・ワピ」という言い方をしますが、ネパールでは「ドゥンゲダラ」と言うようです。
これは一種の水井戸で水汲み場でもありますが、宗教的な意味合いも強く、沐浴場を兼ねていたりもします。写真をよく見ると一番低いテラス部分にリンガが三基見えます。吐水口の壁側にはヒンドゥの神様を祭った石造りの祠状のものも見ることが出来ます。
ヒンドゥ教徒にとって、沐浴は重要な宗教行事/習慣のひとつで、神聖なものなのです。
カトマンドゥでは今でもかなり頻繁に停電と断水がありますので、こういった水汲み場は実生活の面でも日々活用され続けています。
ただ、日本人の感覚からすれば共同の水汲み場なのですから、もう少し清潔さがあった方が良いのでは?と余計なことを思ってしまいます。
日本の田舎で時々見られる昔から利用されている村の共同水汲み場などと比べると、衛生面でかなりの開きがあるように思います。
日本のそれが「清水」なら、ネパールのそれはどうみても「濁り水」に見えてしまうのは自然環境のせい? それとも国民性によるもの?
・・・不定期に つづく
…
モロッコ イスラーム建築とサハラ砂漠 1985 … WanderVogel ― 2012/03/28
- -
1985年、北アフリカ・モロッコに点在するイスラーム建築とサハラ砂漠を見るためにパリからマラケシュまでやってきました。
モロッコ(マグレブ)のイスラーム建築については、魅力的で奥深く多種多様な文化、歴史、気候風土を背景としていることもあり、とても一言では言い表せませんので別の機会にまわし、もうひとつのモロッコの魅力「サハラ砂漠」への道のりについて書いてみましょう。
ヨーロッパ(スペイン)とアフリカ(モロッコ)の間の狭いジブラルタル海峡を渡り、マラケシュからアトラス山脈を越えワルザザーテという町まで来ると、目に入る周りの景色は砂漠(土漠)の土色一色になってきます。
そこはベルベル人のふるさとです。
土漠の中を公共の乗合バスで移動していますと、時折写真のような土の城壁に囲まれた村がいくつも目に入ってくるようになってきます。
ちょうど放牧を終えたヤギたちが、村に戻っていくところに行き会いました。遠くの方に白く雪を頂いた高い壁のような山脈は、サハラ側から見るアトラス山脈です。
ワルザザーテからさらに東に走り、ティネリールという町を経由して、アルジェリア国境近くまで車で走ると、メルズーガという砂漠の入り口の村に着きます。
アトラス山脈を越えてこのメルズーガという村あたりまでは、砂漠というよりは(写真のような)土漠の景色が延々に続いています。
シルクロードの土漠との決定的な違いは植生にあります。ここで目立つのはナツメヤシの木で、それがいかにも“サハラ”という印象を強くします。
メルズーガ奥のサハラ砂漠はシルクロードや中近東の“土漠”と違い、本当にサラサラの微細な砂で出来ています。
そこにはカナート(カレーズ)などによる灌漑農法の可能性などまったくない、絶望的なほどの「無の世界」が広がっています。
黄色一色の砂漠を歩くと、くるぶしまで簡単にもぐってしまいます。
ひとたび砂漠の上を熱風が吹き荒れると、髪の毛の1本1本の中にまで細かい砂の粒子が入り込んでしまうほどです。
北アフリカ(マグレブ)のイスラム建築を理解するには、この“サハラ”を体験しなければ解らないのかもしれない、とその時感じました。
・・・不定期に つづく
…
1985年、北アフリカ・モロッコに点在するイスラーム建築とサハラ砂漠を見るためにパリからマラケシュまでやってきました。
モロッコ(マグレブ)のイスラーム建築については、魅力的で奥深く多種多様な文化、歴史、気候風土を背景としていることもあり、とても一言では言い表せませんので別の機会にまわし、もうひとつのモロッコの魅力「サハラ砂漠」への道のりについて書いてみましょう。
ヨーロッパ(スペイン)とアフリカ(モロッコ)の間の狭いジブラルタル海峡を渡り、マラケシュからアトラス山脈を越えワルザザーテという町まで来ると、目に入る周りの景色は砂漠(土漠)の土色一色になってきます。
そこはベルベル人のふるさとです。
土漠の中を公共の乗合バスで移動していますと、時折写真のような土の城壁に囲まれた村がいくつも目に入ってくるようになってきます。
ちょうど放牧を終えたヤギたちが、村に戻っていくところに行き会いました。遠くの方に白く雪を頂いた高い壁のような山脈は、サハラ側から見るアトラス山脈です。
ワルザザーテからさらに東に走り、ティネリールという町を経由して、アルジェリア国境近くまで車で走ると、メルズーガという砂漠の入り口の村に着きます。
アトラス山脈を越えてこのメルズーガという村あたりまでは、砂漠というよりは(写真のような)土漠の景色が延々に続いています。
シルクロードの土漠との決定的な違いは植生にあります。ここで目立つのはナツメヤシの木で、それがいかにも“サハラ”という印象を強くします。
メルズーガ奥のサハラ砂漠はシルクロードや中近東の“土漠”と違い、本当にサラサラの微細な砂で出来ています。
そこにはカナート(カレーズ)などによる灌漑農法の可能性などまったくない、絶望的なほどの「無の世界」が広がっています。
黄色一色の砂漠を歩くと、くるぶしまで簡単にもぐってしまいます。
ひとたび砂漠の上を熱風が吹き荒れると、髪の毛の1本1本の中にまで細かい砂の粒子が入り込んでしまうほどです。
北アフリカ(マグレブ)のイスラム建築を理解するには、この“サハラ”を体験しなければ解らないのかもしれない、とその時感じました。
・・・不定期に つづく
…















最近のコメント