皇族陵墓の調査で日本史の空白は埋まる?2008/02/24

五社神(ごさし)古墳
奈良市山陵(みささぎ)町の神功(じんぐう)皇后陵=「五社神(ごさし)古墳」で今月22日、日本考古学協会など16学会の立ち入り調査が行われた。神功皇后陵は、全長約270メートルの巨大な前方後円墳で、墳丘は前方部が3段、後円部は4段に分かれている。これまで研究目的の調査ができなかった宮内庁管理の「天皇や皇族などの陵墓」で、日本考古学学会側は約30年前から調査を要望してきたそうである。この調査を契機に、いままで「謎」だった日本史の重要な空白部分が解明されることを期待したい。この日は古墳時代のものとされる同皇后陵の形状などをじかに観察しその結果、築造当時のものとみられる埴輪(はにわ)の列も確認されたようだ。奈良県立橿原考古学研究所の話では、「五社神古墳は巨大な前方後円墳の集中する佐紀古墳群の中で最も古く、築造時期は4世紀中ごろといわれてきた。しかし、今回の調査で出土した埴輪や土器を見ると、5世紀初めの可能性も出てきた」とのこと。
私たちは自分の国でありながらその成り立ちの頃(4世紀〜6世紀)の歴史についてはほとんど解っていない。私たちの祖先がどこからきたのか?どう歩んできたのか?は重要な事柄である。天皇・皇族陵墓(古墳)に研究者などが自由に立ち入って調査することができない理由としては、学術的な調査結果によっては天皇家が万世一系であるという説を根本的に覆し得るからという見解もある。古墳や陵墓の発掘だけでその全容がすっかり解明されるとはかぎらないが、今までいく世代にも渡って厳重に封印されてきた陵墓であるのでその調査の意義は大きい。(もっとも中世には天皇家の力は衰えていたから、陵墓は荒れ放題で現在治定されている天皇陵のうち、奈良時代までの天皇陵については、歴史学的・考古学的に同意できるものは推古天皇陵、天智天皇陵、天武・持統天皇陵など数か所程度とされる。)
いままでこの時代の歴史は濃い霧の向こうであったことから多くの研究者や作家が想像力を働かせてこの空白に挑んできた。これからそれらがすこしでも解明され「考古学的事実の積み重ね」によって、歴史の霧が晴れていくことを期待したいし大変楽しみだ。
(写真はWikipediaより)
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