「食と建築土木」と「建築家なしの建築」 … 建築の旅・WanderVogel ― 2014/01/02
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新年あけまして、おめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。
新春、昨年末に買ってきた本の中の1冊「食と建築土木・たべものをつくる建築土木(しかけ)」を読み始めます。
写真が豊富で、内容の楽しさが写真からも伝わって来ます。
ひさびさに「旅に出たい」と思わせるような、楽しい本に出会いました。
ペラペラめくって見ると、数十年前に読んで感動を受けたバーナード・ルドルフスキーの「建築家なしの建築」を思い起こさせる、目からウロコ のわくわく感があります。
取り上げられている題材は、一般的には「建築」とも「土木」とも呼べないような粗末な?保存小屋や食べ物を干す柵、垣根、乾燥棚、貯蔵穴、棚田の石垣などですが、そこには昔から引き継がれてきた地方の知恵や“しかけ”が見てとれます。
それらはその地方独特の風土や植生に根ざした(食)生活の必要から生まれた、必然性だけの形態をストレートに表しています。
まさしく“用の美学”とでも言える美しいかたち(不変のすがた)をしています。
学生の頃(1970年代)「建築家なしの建築」を読んで、大学を1年休学してひとり シルクロード横断に飛び出していったパワーがまたまた蘇って来ましたぞ。
こういったものを実際に見てみる旅に出るのも楽しいものだなぁ、などととふつふつと想う正月です。
今年はこういうものを探しながら、バイクで長距離ツーリングに出よう!
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新年あけまして、おめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。
新春、昨年末に買ってきた本の中の1冊「食と建築土木・たべものをつくる建築土木(しかけ)」を読み始めます。
写真が豊富で、内容の楽しさが写真からも伝わって来ます。
ひさびさに「旅に出たい」と思わせるような、楽しい本に出会いました。
ペラペラめくって見ると、数十年前に読んで感動を受けたバーナード・ルドルフスキーの「建築家なしの建築」を思い起こさせる、目からウロコ のわくわく感があります。
取り上げられている題材は、一般的には「建築」とも「土木」とも呼べないような粗末な?保存小屋や食べ物を干す柵、垣根、乾燥棚、貯蔵穴、棚田の石垣などですが、そこには昔から引き継がれてきた地方の知恵や“しかけ”が見てとれます。
それらはその地方独特の風土や植生に根ざした(食)生活の必要から生まれた、必然性だけの形態をストレートに表しています。
まさしく“用の美学”とでも言える美しいかたち(不変のすがた)をしています。
学生の頃(1970年代)「建築家なしの建築」を読んで、大学を1年休学してひとり シルクロード横断に飛び出していったパワーがまたまた蘇って来ましたぞ。
こういったものを実際に見てみる旅に出るのも楽しいものだなぁ、などととふつふつと想う正月です。
今年はこういうものを探しながら、バイクで長距離ツーリングに出よう!
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城ヶ島・目立つ紅色の実をつけたマサキ … 自然観察・WanderVogel ― 2014/01/06
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三浦半島の先端・三崎港にある海南神社に初詣に行った帰りに、半島と橋でつながっている城ヶ島の東端にある城ヶ島公園を歩いて来ました。
クロマツやタブノキなどの大木に混じって、背の低いマサキが目立つ実を付けていました。
マサキはニシキギ科ニシキギ属の低木で、同じ仲間にはニシキギ、マユミ、ツリバナなどがあります。同じニシキギ属なので、みんな同じようなかたちの実をつけます。
特にマサキとマユミの実はよく似ています。
ただ、マサキは常緑樹で冬でも葉には光沢があって青々していますが、ニシキギ、マユミなどは落葉樹ですので簡単に見分けはつきます。ニシキギ科は紅葉がきれいな樹種なのですが、逆に常緑のマサキは葉の緑と実の紅のコントラストを楽しむことができました。
その他には、背が高くてたくさんの実をつけているトベラやその下に隠れるように黒い実をつけているシャリンバイ、すっかり葉を落としてしまっていますが枝振りの立派なフヨウなどが目につきます。
足下には神奈川県の岩場の海岸沿いでは割とポピュラーなイソギクが小さな黄色い花をつけていました。
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三浦半島の先端・三崎港にある海南神社に初詣に行った帰りに、半島と橋でつながっている城ヶ島の東端にある城ヶ島公園を歩いて来ました。
クロマツやタブノキなどの大木に混じって、背の低いマサキが目立つ実を付けていました。
マサキはニシキギ科ニシキギ属の低木で、同じ仲間にはニシキギ、マユミ、ツリバナなどがあります。同じニシキギ属なので、みんな同じようなかたちの実をつけます。
特にマサキとマユミの実はよく似ています。
ただ、マサキは常緑樹で冬でも葉には光沢があって青々していますが、ニシキギ、マユミなどは落葉樹ですので簡単に見分けはつきます。ニシキギ科は紅葉がきれいな樹種なのですが、逆に常緑のマサキは葉の緑と実の紅のコントラストを楽しむことができました。
その他には、背が高くてたくさんの実をつけているトベラやその下に隠れるように黒い実をつけているシャリンバイ、すっかり葉を落としてしまっていますが枝振りの立派なフヨウなどが目につきます。
足下には神奈川県の岩場の海岸沿いでは割とポピュラーなイソギクが小さな黄色い花をつけていました。
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西丹沢・大叉沢支流イデン沢に注ぐ白水沢 … FF・WanderVogel ― 2014/01/07
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大晦日(20131231)に登った西丹沢にある 白水沢の冬枯れた渓相:白水沢橋から上流側を見た風景。
酒匂川水系・世附川/大叉沢のいくつかの支流の一つ イデン沢に注ぐ白水沢に架かる白水沢橋は、浅瀬から大叉沢林道を2時間ほど歩き、地蔵平で富士見橋を渡りイデン沢支流に少し入ったところにあります。
富士見橋を渡らず地蔵平から大叉沢本流上の堰堤を超えると、大叉沢は地蔵沢と関ノ沢のふたつに分かれます。
地蔵沢は上流でさらに赤沢とバケモノ沢に分かれ、源頭は甲相国境尾根からモロクボ沢ノ頭、畦ヶ丸の稜線となります。関ノ沢もいくつかに分岐しますが上流で権現沢となり、畦ヶ丸から屏風岩山の稜線上を源頭としています。
数年前の台風で林道が壊滅的な被害を受けた世附川本谷上流の沢(水の木沢、大棚沢、金山沢、土沢、悪沢などなど)と違い、大叉沢沿いの林道は比較的被害が無かったことから釣り師はみな大叉沢やその支流に入ることが多いと聞きます。
私は台風で崩れ落ちた危険な林道を越してでも、通い慣れた世附川本谷源流部に相変わらず通っているのですが、こういういかにも居そうな渓相に出会うと十数年ぶりに大叉沢支流を釣ってみるのも良いかなぁ、という気がしてきます。(魚が残っていれば、ですけど…)
私の眼にはあの落ち込みにもこのカケ上がりにも、渓魚がさかんに補食しながら定位しているのがハッキリ見えますよ。人はそれを勘違いとか、幻想とか言うかもしれんが、、そういう思い込みが渓流釣りの醍醐味なのですよ。
そして、そこから必ず釣り上げてやるぞ、という試行錯誤の積み重ねこそが渓流釣り本来の楽しみ方なのだと思うなぁ。特にドライのフライフィッシングでは。
少し気が早いですが、解禁日(3月1日)が今から待ち遠しいです。
地図=1/25,000:御正体山、中川、西丹沢頂稜河川土地名称図
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大晦日(20131231)に登った西丹沢にある 白水沢の冬枯れた渓相:白水沢橋から上流側を見た風景。
酒匂川水系・世附川/大叉沢のいくつかの支流の一つ イデン沢に注ぐ白水沢に架かる白水沢橋は、浅瀬から大叉沢林道を2時間ほど歩き、地蔵平で富士見橋を渡りイデン沢支流に少し入ったところにあります。
富士見橋を渡らず地蔵平から大叉沢本流上の堰堤を超えると、大叉沢は地蔵沢と関ノ沢のふたつに分かれます。
地蔵沢は上流でさらに赤沢とバケモノ沢に分かれ、源頭は甲相国境尾根からモロクボ沢ノ頭、畦ヶ丸の稜線となります。関ノ沢もいくつかに分岐しますが上流で権現沢となり、畦ヶ丸から屏風岩山の稜線上を源頭としています。
数年前の台風で林道が壊滅的な被害を受けた世附川本谷上流の沢(水の木沢、大棚沢、金山沢、土沢、悪沢などなど)と違い、大叉沢沿いの林道は比較的被害が無かったことから釣り師はみな大叉沢やその支流に入ることが多いと聞きます。
私は台風で崩れ落ちた危険な林道を越してでも、通い慣れた世附川本谷源流部に相変わらず通っているのですが、こういういかにも居そうな渓相に出会うと十数年ぶりに大叉沢支流を釣ってみるのも良いかなぁ、という気がしてきます。(魚が残っていれば、ですけど…)
私の眼にはあの落ち込みにもこのカケ上がりにも、渓魚がさかんに補食しながら定位しているのがハッキリ見えますよ。人はそれを勘違いとか、幻想とか言うかもしれんが、、そういう思い込みが渓流釣りの醍醐味なのですよ。
そして、そこから必ず釣り上げてやるぞ、という試行錯誤の積み重ねこそが渓流釣り本来の楽しみ方なのだと思うなぁ。特にドライのフライフィッシングでは。
少し気が早いですが、解禁日(3月1日)が今から待ち遠しいです。
地図=1/25,000:御正体山、中川、西丹沢頂稜河川土地名称図
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西丹沢・大叉沢支流法行沢 … FF・WanderVogel ― 2014/01/08
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昨日の写真に引き続き、西丹沢にある 法行沢の冬枯れた早朝の渓相:法行沢橋から上流側を見た風景。
大叉沢の支流の一つ 法行沢、途中に堰堤や小滝やゴルジュ帯もあるが沢通しで遡行することが出来ます。(堰堤上から入渓するほうが無難かも)
法行沢は上流で上法行沢と名を変えて、大栂へと突き上げていきます。
途中 1/25,000地図の803m表記のピークを左に巻いたあたりから右岸を突き上げる(踏み跡あり)と織戸峠に出ます。そこから反対方向を下ると織戸沢に出て旧水の木集落(水の木沢)へと下って行けます。
西丹沢ほぼ全域に言えることですが、山中には昔の製紙会社や電力会社、林業関係の作業路や旧林道などが沢や峠、尾根沿いに縦横に走っていてその踏み跡にかえって惑わされるほどで、よほどのことが無い限り遭難するということは無いのではないかと思います。
とは言え、山は山です。くれぐれも油断は禁物です。
東丹沢には沢登り遡行に適した魅力的な沢筋が数多くあり、私も大学のワンダーフォーゲル部時代には東丹沢の沢にはよく通いました。
対して、西丹沢の沢というのは比較的穏やかで沢屋のゲレンデというよりは渓流釣り師のホームグラウンドという感じの渓相をした沢が数多くあり、南関東でも数少ない自然渓流釣りが楽しめる貴重なエリアではないかと思っています。
その多くは酒匂川水系・丹沢湖上流の沢だと思いますが、世附川、河内川、玄倉川、小菅沢など丹沢湖に注ぐ支流の中でも渓流フライフィッシィングに限れば、世附川の沢筋が一番魅力的に感じます。
その理由は、渓相が美しくて穏やかなわりに山深いことから沢の長さが長くて一定の水量が常にあること、また電力会社の取水口が比較的少なくその上から釣り上がっても源頭部まで十分な距離が確保されていることなどが挙げられます。
また、沢筋が比較的開けていて真夏でもボサが少なく、フライフィッシィングのロッドの取り回しも楽というのも良いですねぇ。
何といっても魚影が濃いというのは大きな魅力です。
関東エリアでも一番西寄りで、首都圏からはちょっと遠いので現場までは車でアプローチするしかありません。首都圏からならその移動時間を考えると、群馬県や新潟県(南魚沼)、長野県まで移動するのとたいして変わりません。
世附川の場合に限れば駐車場から林道歩きが長い(2時間)ことと、林道の崩落が未だに改修されていないことなどもあってなおさら足が遠のくのかもしれません。
そのような理由から、他の河川に比べると渓魚(多くは放流魚ですが)が残る結果となり、魚影の濃さにつながっているのだと思います。
ただ、ここ数年は大きな台風が来るたびに荒廃した山肌が崩れて大水が発生し、沢が荒れてしまうことの繰り返しが起こっています。最近では日本中のどの川・どの沢でも同様のことが言われていますが、特に世附川では顕著に現れています。
今さらながら、丹沢の山を(沢を)守っていく地道な(草の根)活動はさらに重要度を増していくのだろうな、と感じています。
渓流に棲む魚だけでなく、丹沢水系の水は神奈川県民の水の「源」であり生命線なのですから。
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昨日の写真に引き続き、西丹沢にある 法行沢の冬枯れた早朝の渓相:法行沢橋から上流側を見た風景。
大叉沢の支流の一つ 法行沢、途中に堰堤や小滝やゴルジュ帯もあるが沢通しで遡行することが出来ます。(堰堤上から入渓するほうが無難かも)
法行沢は上流で上法行沢と名を変えて、大栂へと突き上げていきます。
途中 1/25,000地図の803m表記のピークを左に巻いたあたりから右岸を突き上げる(踏み跡あり)と織戸峠に出ます。そこから反対方向を下ると織戸沢に出て旧水の木集落(水の木沢)へと下って行けます。
西丹沢ほぼ全域に言えることですが、山中には昔の製紙会社や電力会社、林業関係の作業路や旧林道などが沢や峠、尾根沿いに縦横に走っていてその踏み跡にかえって惑わされるほどで、よほどのことが無い限り遭難するということは無いのではないかと思います。
とは言え、山は山です。くれぐれも油断は禁物です。
東丹沢には沢登り遡行に適した魅力的な沢筋が数多くあり、私も大学のワンダーフォーゲル部時代には東丹沢の沢にはよく通いました。
対して、西丹沢の沢というのは比較的穏やかで沢屋のゲレンデというよりは渓流釣り師のホームグラウンドという感じの渓相をした沢が数多くあり、南関東でも数少ない自然渓流釣りが楽しめる貴重なエリアではないかと思っています。
その多くは酒匂川水系・丹沢湖上流の沢だと思いますが、世附川、河内川、玄倉川、小菅沢など丹沢湖に注ぐ支流の中でも渓流フライフィッシィングに限れば、世附川の沢筋が一番魅力的に感じます。
その理由は、渓相が美しくて穏やかなわりに山深いことから沢の長さが長くて一定の水量が常にあること、また電力会社の取水口が比較的少なくその上から釣り上がっても源頭部まで十分な距離が確保されていることなどが挙げられます。
また、沢筋が比較的開けていて真夏でもボサが少なく、フライフィッシィングのロッドの取り回しも楽というのも良いですねぇ。
何といっても魚影が濃いというのは大きな魅力です。
関東エリアでも一番西寄りで、首都圏からはちょっと遠いので現場までは車でアプローチするしかありません。首都圏からならその移動時間を考えると、群馬県や新潟県(南魚沼)、長野県まで移動するのとたいして変わりません。
世附川の場合に限れば駐車場から林道歩きが長い(2時間)ことと、林道の崩落が未だに改修されていないことなどもあってなおさら足が遠のくのかもしれません。
そのような理由から、他の河川に比べると渓魚(多くは放流魚ですが)が残る結果となり、魚影の濃さにつながっているのだと思います。
ただ、ここ数年は大きな台風が来るたびに荒廃した山肌が崩れて大水が発生し、沢が荒れてしまうことの繰り返しが起こっています。最近では日本中のどの川・どの沢でも同様のことが言われていますが、特に世附川では顕著に現れています。
今さらながら、丹沢の山を(沢を)守っていく地道な(草の根)活動はさらに重要度を増していくのだろうな、と感じています。
渓流に棲む魚だけでなく、丹沢水系の水は神奈川県民の水の「源」であり生命線なのですから。
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根岸にある洋館付き和風住宅・旧柳下邸 … 建築散策・WanderVogel ― 2014/01/08
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年末に建築士会とYOKOHAMAヘリテージの町歩きイベントがあって、三渓園ボランティアの帰りに参加して来ました。
その時に拝見した横浜/根岸の高台に建っている洋館付き和風住宅「旧柳下邸」の洋館部分の表玄関のスナップです。(撮ったのはこの1枚だけですよ)
今では貴重な存在となってしまったこうした和風のしつらえも、ほんの一昔前までは結構自分の家でも見かけたような何てことない和の風情なのですが、本当に周りから一気に姿を消してしまいましたねぇ。
木製格子のガラス戸も玄関タタキのモザイク文様のタイル張りも、人造石研ぎ出しの靴脱ぎ石も、板目模様の式台のような小上がりもつい最近まで(いや、子供の頃と言うべきか…)普通に目にしていたような気がします。
それこそ私が子供の頃には、どの家にも玄関脇には写真のような外套掛けの付いた木製の傘立てがあったりしたものです。また、同じような造りの彫り物の付いた台の上には電電公社の重いダイヤル式の黒電話が乗っていて、黒電話の上には手作りの白いレース編みのカバーなんかが掛かっていたりしたものです。
家でも家具でも欠けたり壊れたりすれば直して使うことが当然で、捨てて新しいものを買う(住宅も同じ)ということはあまり無かったように思います。また、いろいろなものは役目を終えれば別なものに再利用することが前提だったんですね。
ですのでこういうものを見るにつけ、建築も住宅も何だか慌ただしい時の流れと共に本当に大切なものを次々に失っていった、そんな寂しい気持ちがしてきてしょうがありません。
ことさら昔を懐かしむという気持ちは無いのですが、最近では近代的で(この言葉も死語だな)新しい建築物を見に行くたびに、何だか偽物っぽい、まがいものの匂いがして感動すること自体少なくなってきています。(そりゃ〜 なかには感動するものもありますよ、ええ)
町の風景は、建物は、住宅は、本当に豊かになったのだろうか? 私たちの日常は昔より豊かになったのだろうか? 以前よりも豊かな時間をみんな過ごしているのだろうか? と、ふっと思ったりします。
それはさておき、とりあえず旧柳下邸HPの紹介文の一部を転記すると、
「旧柳下邸(きゅうやぎしたてい)の建物は明治~大正期の有力商人であった柳下氏により建設されました。大正12(1923)年の関東大震災では一部倒壊したものの、大部分は損失を免れ、その後、戦争など激動の昭和史の中を、柳下家の人々により大切に守り受け継がれてきました。」とあります。
大きくて存在感のある神社仏閣や有名な茶室など国宝・重要文化財級の建物を見に行くことももちろん楽しいことですが、たまにこういう一昔前まで普通にそのあたりに存在していた(あるいは昔の自分の家もそうだった?)、そういう住宅を見に行くこともすごくためになるのではないかな。私たちが失ってしまったものを思い出すために。
ここでは、1月12日(日)と13日(月/祝日)に「和を楽しむ小正月〜お飾り〜」というイベントが行なわれ、かるたとり・福笑い・百人一首など子供の頃のあそびが行なわれるそうです。
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年末に建築士会とYOKOHAMAヘリテージの町歩きイベントがあって、三渓園ボランティアの帰りに参加して来ました。
その時に拝見した横浜/根岸の高台に建っている洋館付き和風住宅「旧柳下邸」の洋館部分の表玄関のスナップです。(撮ったのはこの1枚だけですよ)
今では貴重な存在となってしまったこうした和風のしつらえも、ほんの一昔前までは結構自分の家でも見かけたような何てことない和の風情なのですが、本当に周りから一気に姿を消してしまいましたねぇ。
木製格子のガラス戸も玄関タタキのモザイク文様のタイル張りも、人造石研ぎ出しの靴脱ぎ石も、板目模様の式台のような小上がりもつい最近まで(いや、子供の頃と言うべきか…)普通に目にしていたような気がします。
それこそ私が子供の頃には、どの家にも玄関脇には写真のような外套掛けの付いた木製の傘立てがあったりしたものです。また、同じような造りの彫り物の付いた台の上には電電公社の重いダイヤル式の黒電話が乗っていて、黒電話の上には手作りの白いレース編みのカバーなんかが掛かっていたりしたものです。
家でも家具でも欠けたり壊れたりすれば直して使うことが当然で、捨てて新しいものを買う(住宅も同じ)ということはあまり無かったように思います。また、いろいろなものは役目を終えれば別なものに再利用することが前提だったんですね。
ですのでこういうものを見るにつけ、建築も住宅も何だか慌ただしい時の流れと共に本当に大切なものを次々に失っていった、そんな寂しい気持ちがしてきてしょうがありません。
ことさら昔を懐かしむという気持ちは無いのですが、最近では近代的で(この言葉も死語だな)新しい建築物を見に行くたびに、何だか偽物っぽい、まがいものの匂いがして感動すること自体少なくなってきています。(そりゃ〜 なかには感動するものもありますよ、ええ)
町の風景は、建物は、住宅は、本当に豊かになったのだろうか? 私たちの日常は昔より豊かになったのだろうか? 以前よりも豊かな時間をみんな過ごしているのだろうか? と、ふっと思ったりします。
それはさておき、とりあえず旧柳下邸HPの紹介文の一部を転記すると、
「旧柳下邸(きゅうやぎしたてい)の建物は明治~大正期の有力商人であった柳下氏により建設されました。大正12(1923)年の関東大震災では一部倒壊したものの、大部分は損失を免れ、その後、戦争など激動の昭和史の中を、柳下家の人々により大切に守り受け継がれてきました。」とあります。
大きくて存在感のある神社仏閣や有名な茶室など国宝・重要文化財級の建物を見に行くことももちろん楽しいことですが、たまにこういう一昔前まで普通にそのあたりに存在していた(あるいは昔の自分の家もそうだった?)、そういう住宅を見に行くこともすごくためになるのではないかな。私たちが失ってしまったものを思い出すために。
ここでは、1月12日(日)と13日(月/祝日)に「和を楽しむ小正月〜お飾り〜」というイベントが行なわれ、かるたとり・福笑い・百人一首など子供の頃のあそびが行なわれるそうです。
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根岸・昭和10年築の「間門の家」 … 建築散策・WanderVogel ― 2014/01/09
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横浜/根岸の間門(まかど)というところに、昭和10年に建築された個人住宅がひっそりと残されています。
昨日blogに書いた「根岸の町歩き・交流会」で最後に訪れた家がこの「間門の家」でした。
きれいに手入れされた庭では「江戸五木」のうちのいくつかを見ることが出来ました。
昨日書いたように、取り立てて「後世に残さなければならない」と感じさせない市井の個人住宅が次々に(知らないうちに、しかも急速に)どんどん消えていっています。
幸いにしてこのお宅の場合は、残せるものでしたら出来るだけ残していきたいとの働きかけが実を結び、現在は(期限付きではありますが)NPO 日本民家再生協会の手で管理・運営がなされ、かろうじて消えずに残っています。
この日は保存に尽力された協会の民家トラスト部会の矢野さんを講師に、こういった昔はあちらこちらで見かけた普通の民家をどのように守っていくのか、後世につなげていくかの「勘所」をお聞きすることが出来ました。
こういった住宅(民家)の場合はその建っている場所柄も大切ですし、門や庭のしつらえ全体がいっしょに残って始めて価値が出てくるものです。けっして民家の建物だけを解体・移築して、野外博物館に飾っておくという性質のものではありません。
つまり、それだけ一昔前まではほんとにどこででも見かけた「そのへんにある」普通?の住宅・民家だったわけです。
これは一昔前まで町のあちこちにたくさんあった「銭湯」建築についても全く同じことが言えますね。
…つづく
江戸五木:http://hd2s-ngo.asablo.jp/blog/2013/09/02/
町の銭湯:http://hd2s-ngo.asablo.jp/blog/2013/09/03/
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横浜/根岸の間門(まかど)というところに、昭和10年に建築された個人住宅がひっそりと残されています。
昨日blogに書いた「根岸の町歩き・交流会」で最後に訪れた家がこの「間門の家」でした。
きれいに手入れされた庭では「江戸五木」のうちのいくつかを見ることが出来ました。
昨日書いたように、取り立てて「後世に残さなければならない」と感じさせない市井の個人住宅が次々に(知らないうちに、しかも急速に)どんどん消えていっています。
幸いにしてこのお宅の場合は、残せるものでしたら出来るだけ残していきたいとの働きかけが実を結び、現在は(期限付きではありますが)NPO 日本民家再生協会の手で管理・運営がなされ、かろうじて消えずに残っています。
この日は保存に尽力された協会の民家トラスト部会の矢野さんを講師に、こういった昔はあちらこちらで見かけた普通の民家をどのように守っていくのか、後世につなげていくかの「勘所」をお聞きすることが出来ました。
こういった住宅(民家)の場合はその建っている場所柄も大切ですし、門や庭のしつらえ全体がいっしょに残って始めて価値が出てくるものです。けっして民家の建物だけを解体・移築して、野外博物館に飾っておくという性質のものではありません。
つまり、それだけ一昔前まではほんとにどこででも見かけた「そのへんにある」普通?の住宅・民家だったわけです。
これは一昔前まで町のあちこちにたくさんあった「銭湯」建築についても全く同じことが言えますね。
…つづく
江戸五木:http://hd2s-ngo.asablo.jp/blog/2013/09/02/
町の銭湯:http://hd2s-ngo.asablo.jp/blog/2013/09/03/
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葛葉緑地に思う東京オリンピック … ナショナルトラスト・WanderVogel ― 2014/01/10
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今日は秦野市の葛葉緑地近くに建設中の住宅の構造検査に行って来ました。
葛葉緑地は丹沢を源として、葛葉川が台地を大きく刻み蛇行してできた渓谷一帯を指します。秦野駅は表丹沢(大倉やヤビツ峠など)への登山客の下車駅ですので、山に囲まれているイメージがありますが、街なかはしっかり建物が建ち並んでいます。
その密集した住宅地の中にエアポケットのように残されているのが「葛葉緑地」です。
ここは、かながわトラストみどり財団と秦野市が連携して行なった「かながわのナショナル・トラスト運動」によって1987年に保全された「かながわの第1号緑地」です。
かながわトラストみどり財団は神奈川県内の自然環境保全活動や森林づくり支援、森林学習支援などを行なっている財団で、私も昨年2年間の実地講習を終えて取得した「神奈川県森林インストラクター」を養成する講座の開催やその派遣などを県からの委託を受けて行なっています。
近くに立派な自然・丹沢山系があるのだからそこへ行けば良いではないか、という意見もあるでしょうが、こういう自然環境(川の流れる里山環境)は本来 町なかにあってこそ価値があるものです。
整った自然環境を内在することで、町は(都市は)その厚みを(深みを)増していきます。
それは管理された自然(都市公園や里山環境)であっても同じことです。
水が湧き、流れ、木々が育ち、鳥が集まり、小動物が生息する、そういう自然のサイクルは都市機能の中には不可欠な要素です。
2020年に開催される東京オリンピック。短期間の(スポーツという名の)イベント開催の施設建設のためだけに巨額の費用を使ってまで、貴重な都市の中の自然「神宮の森」や、都内有数の野鳥の飛来地「葛西臨海公園」を潰してしまってはいけないのです。
東京湾に残されていた自然の干潟を埋め立て、造成して1989年にオープンした葛西臨海公園は、その後24年かけて自然の生態系が形成されて(戻って)いきました。
日本野鳥の会の調べでは、園内で野鳥226種、昆虫140種、クモ80種、樹木91種、野草132種が確認されている、と公表してます。同会では、競技場建設で公園の3分の1程度の自然環境がなくなった場合、その影響が公園全体の生態系に及ぶとも指摘しています。
ちなみに、日本で最初のナショナル・トラスト運動は、1964年(昭和39年)に鎌倉の鶴岡八幡宮の裏山「御谷(おやつ)」で持ち上がった開発計画に対する鎌倉市民による反対運動がきっかけだったそうです。
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今日は秦野市の葛葉緑地近くに建設中の住宅の構造検査に行って来ました。
葛葉緑地は丹沢を源として、葛葉川が台地を大きく刻み蛇行してできた渓谷一帯を指します。秦野駅は表丹沢(大倉やヤビツ峠など)への登山客の下車駅ですので、山に囲まれているイメージがありますが、街なかはしっかり建物が建ち並んでいます。
その密集した住宅地の中にエアポケットのように残されているのが「葛葉緑地」です。
ここは、かながわトラストみどり財団と秦野市が連携して行なった「かながわのナショナル・トラスト運動」によって1987年に保全された「かながわの第1号緑地」です。
かながわトラストみどり財団は神奈川県内の自然環境保全活動や森林づくり支援、森林学習支援などを行なっている財団で、私も昨年2年間の実地講習を終えて取得した「神奈川県森林インストラクター」を養成する講座の開催やその派遣などを県からの委託を受けて行なっています。
近くに立派な自然・丹沢山系があるのだからそこへ行けば良いではないか、という意見もあるでしょうが、こういう自然環境(川の流れる里山環境)は本来 町なかにあってこそ価値があるものです。
整った自然環境を内在することで、町は(都市は)その厚みを(深みを)増していきます。
それは管理された自然(都市公園や里山環境)であっても同じことです。
水が湧き、流れ、木々が育ち、鳥が集まり、小動物が生息する、そういう自然のサイクルは都市機能の中には不可欠な要素です。
2020年に開催される東京オリンピック。短期間の(スポーツという名の)イベント開催の施設建設のためだけに巨額の費用を使ってまで、貴重な都市の中の自然「神宮の森」や、都内有数の野鳥の飛来地「葛西臨海公園」を潰してしまってはいけないのです。
東京湾に残されていた自然の干潟を埋め立て、造成して1989年にオープンした葛西臨海公園は、その後24年かけて自然の生態系が形成されて(戻って)いきました。
日本野鳥の会の調べでは、園内で野鳥226種、昆虫140種、クモ80種、樹木91種、野草132種が確認されている、と公表してます。同会では、競技場建設で公園の3分の1程度の自然環境がなくなった場合、その影響が公園全体の生態系に及ぶとも指摘しています。
ちなみに、日本で最初のナショナル・トラスト運動は、1964年(昭和39年)に鎌倉の鶴岡八幡宮の裏山「御谷(おやつ)」で持ち上がった開発計画に対する鎌倉市民による反対運動がきっかけだったそうです。
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丹沢やどりき水源林・山の神祭 … 森林ボランティア・WanderVogel ― 2014/01/12
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今日はかながわ森林インストラクターの会の行事「山の神祭」で、丹沢の寄(やどりぎ)にあるやどりき水源林に行って来ました。
1期から13期まで総勢70数名の老若男女の森林インストラクターが集まり、今年の山の作業の安全を祈願しました。
山の中腹に作られた社(やしろ)に集まり、祝詞を捧げ玉串を奉納し献杯をしたあとは、水源林の広場で直会(なおらい)を行ないました。
お供えした目刺しやスルメを七輪で焼いて、持ち寄った煮物などをつまみにして、奉納した こだわりの地酒や濁り酒、杏酒などでまた乾杯、乾杯です。
その際に配られた小冊子に面白い書き込みがあったので転記します。
戦国時代から江戸時代にかけて丹沢山地の木材は、小田原城や江戸城の築城の木材として利用されると共に、炭や薪に加工され100万人の江戸の町の都市生活を支えていました。
江戸時代、東丹沢一帯は幕府の御用林(直轄地)となり、山の木が盗木されないように近郊の村々に御用林の見回りが命ぜられたそうです。
ツガ、ケヤキ、カヤ、モミ、クリ、スギの6種類の木は「丹沢六木」と呼ばれ、伐採などは固く禁じられ大切に守られてきました。
丹沢のヤビツ峠の先にある「札掛」という地名は、村人が見回りの時に札を掛けたことから名付けられたといいます。
大戦後には木材需要が大幅に増加したことで西丹沢でも林業が盛んになり、材木の切り出しのために世附川の浅瀬集落を起点に大叉沢沿いに延びる大叉沢線と、世附川沿いに延びる浅瀬金山線の2本の森林鉄道が敷かれていたということです。
今でもそのあたりの林道を歩くと、昔の林業集落の跡や廃屋と化した大きな宿舎、古い軌道レールなどが打ち捨てられているのを目にします。
追記:(20140114)
「山の神」「山神」はウィキペディアによると、山に住む山民と、麓に住む農民とでは捉え方や祀り方に違いがあるらしいのですが、どちらにも共通しているのは山神は「女の神様」であるということです。
農民の間では、春になると山の神が、山から降りてきて田の神となり、秋には再び山に戻るという信仰があり、山の神 イコール 田の神(祖霊)でもあるということのようです。
猟師・木こり・炭焼きなど山の民にとっての山の神は、自分たちの仕事の場である山を守護する神であり、農民の田の神のような去来の観念は無く、山の神は常に山に居るとされるものなのだそうです。
山の神は女神なので出産や月経の穢れを特に嫌うとして、祭の日には女性の参加は許されてこなかったくらい山民にとっての山の神は禁忌(タブー)に厳しいとされています。
とはいっても、森林インストラクターには女性の方も数も多いですし、みんないっしょに揃ってお参りをいたしました。
また、「山の神」は女性と考えられていることからも恐ろしいものの代表的存在!であったようですので、(中世以降)口やかましい妻を比喩して言う言葉としても用いられていた。ということを付け加えて追記を終りにします。
…
今日はかながわ森林インストラクターの会の行事「山の神祭」で、丹沢の寄(やどりぎ)にあるやどりき水源林に行って来ました。
1期から13期まで総勢70数名の老若男女の森林インストラクターが集まり、今年の山の作業の安全を祈願しました。
山の中腹に作られた社(やしろ)に集まり、祝詞を捧げ玉串を奉納し献杯をしたあとは、水源林の広場で直会(なおらい)を行ないました。
お供えした目刺しやスルメを七輪で焼いて、持ち寄った煮物などをつまみにして、奉納した こだわりの地酒や濁り酒、杏酒などでまた乾杯、乾杯です。
その際に配られた小冊子に面白い書き込みがあったので転記します。
戦国時代から江戸時代にかけて丹沢山地の木材は、小田原城や江戸城の築城の木材として利用されると共に、炭や薪に加工され100万人の江戸の町の都市生活を支えていました。
江戸時代、東丹沢一帯は幕府の御用林(直轄地)となり、山の木が盗木されないように近郊の村々に御用林の見回りが命ぜられたそうです。
ツガ、ケヤキ、カヤ、モミ、クリ、スギの6種類の木は「丹沢六木」と呼ばれ、伐採などは固く禁じられ大切に守られてきました。
丹沢のヤビツ峠の先にある「札掛」という地名は、村人が見回りの時に札を掛けたことから名付けられたといいます。
大戦後には木材需要が大幅に増加したことで西丹沢でも林業が盛んになり、材木の切り出しのために世附川の浅瀬集落を起点に大叉沢沿いに延びる大叉沢線と、世附川沿いに延びる浅瀬金山線の2本の森林鉄道が敷かれていたということです。
今でもそのあたりの林道を歩くと、昔の林業集落の跡や廃屋と化した大きな宿舎、古い軌道レールなどが打ち捨てられているのを目にします。
追記:(20140114)
「山の神」「山神」はウィキペディアによると、山に住む山民と、麓に住む農民とでは捉え方や祀り方に違いがあるらしいのですが、どちらにも共通しているのは山神は「女の神様」であるということです。
農民の間では、春になると山の神が、山から降りてきて田の神となり、秋には再び山に戻るという信仰があり、山の神 イコール 田の神(祖霊)でもあるということのようです。
猟師・木こり・炭焼きなど山の民にとっての山の神は、自分たちの仕事の場である山を守護する神であり、農民の田の神のような去来の観念は無く、山の神は常に山に居るとされるものなのだそうです。
山の神は女神なので出産や月経の穢れを特に嫌うとして、祭の日には女性の参加は許されてこなかったくらい山民にとっての山の神は禁忌(タブー)に厳しいとされています。
とはいっても、森林インストラクターには女性の方も数も多いですし、みんないっしょに揃ってお参りをいたしました。
また、「山の神」は女性と考えられていることからも恐ろしいものの代表的存在!であったようですので、(中世以降)口やかましい妻を比喩して言う言葉としても用いられていた。ということを付け加えて追記を終りにします。
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西丹沢のミツマタ・まだまだつぼみです … 自然観察・WanderVogel ― 2014/01/13
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昨日行った、丹沢のやどりき水源林「山の神祭」で見つけたミツマタのつぼみ。
和紙の原料としてコウゾと共に知られているミツマタの木ですが、本当にその名の通り枝が必ず三叉に三叉に生えていきます。
その意味では「名は体を表す」を地でいっているような非常に解り易い木です。
雪の残る中で早春と呼ぶにはまだまだ早い季節ですが、枝先にちっちゃな蜂の巣のような雰囲気の小さなつぼみが柔らかそうに膨らんでいます。
中国中南部やヒマラヤ地方原産のジンチョウゲ科の低木で、西丹沢(東丹沢のヤビツ峠近くにも群生があります)では3月になると鮮やかな黄色の小さな花が(下向きに)いっせいに咲き競います。
特に丹沢湖のある西丹沢では、昭和20年頃まで地域の産業として「みつまた」を育て、和紙(お札や切手、証券など)の原料として国立印刷局に出荷していたのだそうです。生産をしなくなった今でも西丹沢の山中にみつまたの群生地が数多く残っているのはそういう歴史があったのですね。
もうひとつ、群生がまとまって残っている要因に、ミツマタは鹿が嫌いな木なので食べられずに残っている、ということがあるようです。
いやぁ〜、鹿が嫌いで良かった!
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昨日行った、丹沢のやどりき水源林「山の神祭」で見つけたミツマタのつぼみ。
和紙の原料としてコウゾと共に知られているミツマタの木ですが、本当にその名の通り枝が必ず三叉に三叉に生えていきます。
その意味では「名は体を表す」を地でいっているような非常に解り易い木です。
雪の残る中で早春と呼ぶにはまだまだ早い季節ですが、枝先にちっちゃな蜂の巣のような雰囲気の小さなつぼみが柔らかそうに膨らんでいます。
中国中南部やヒマラヤ地方原産のジンチョウゲ科の低木で、西丹沢(東丹沢のヤビツ峠近くにも群生があります)では3月になると鮮やかな黄色の小さな花が(下向きに)いっせいに咲き競います。
特に丹沢湖のある西丹沢では、昭和20年頃まで地域の産業として「みつまた」を育て、和紙(お札や切手、証券など)の原料として国立印刷局に出荷していたのだそうです。生産をしなくなった今でも西丹沢の山中にみつまたの群生地が数多く残っているのはそういう歴史があったのですね。
もうひとつ、群生がまとまって残っている要因に、ミツマタは鹿が嫌いな木なので食べられずに残っている、ということがあるようです。
いやぁ〜、鹿が嫌いで良かった!
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葉を落とした木々の判別はけっこう難しい … 自然観察・WanderVogel ― 2014/01/14
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先日行った丹沢の小尾根で見つけた木の実ですが、何の木なのかなかなか解らなかった。
サンショウ(山椒)の実らしいので、アタリをつけてみたのですが葉をすべて落としているので、ハッキリ判別出来ませんでした。
木自体は低木で枝も張っていて、幹にも枝にも鋭いトゲがあります。(ハゼノキの実のようにも見えますが、ハゼノキにはトゲがありませんから違いますね)
二つに裂けた殻からは黒っぽい実も見えますが、大半は(鳥に食べられて?)無くなっていて殻だけになっています。
鋭いトゲのついた枝の先端からだけでなく、枝の途中からもたくさん実が垂れ下がっているところを見るとカラスザンショウではなさそうです。それにカラスザンショウは幹も枝ももっとトゲトゲしているしね。
とすると、サンショウかイヌザンショウか? 葉っぱをすべて落としていることから常緑樹のフユザンショウではないでしょうね。(カラスザンショウもサンショウもイヌザンショウも落葉樹です。ですから黄葉した後に葉を落とします。)
また、サンショウもイヌザンショウも雌雄異株なので、この木は雌株ということか。
どうやら、最終的な決め手は刺のつき方にあるようです。(戻ってきて調べました。)
サンショウは刺のつき方が対生で、イヌザンショウは互生だそうですので、そのへんが判断基準となりますか。
よく見るとこの木のトゲは対生のようですので、この木はサンショウか?(まだ?が取れませんけど…)
冬はなかなか樹種の判別が難しいです。(まあ、夏でも難しいのだけどね)
ちなみに、山菜天ぷらで有名なタラノキにはトゲがたくさんありますが、何とトゲのないタラノキというのもあって「メダラ」と言うのだそうです。
山の畑に大きなメダラの木があって、始めはトゲもないしメダラも知らなかったので、何の木なのかなかなか解らなかったです。
植物観察というのは、つたない先入観に振り回されず、正面からつぶさに観察しないといけないことを知りました。
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先日行った丹沢の小尾根で見つけた木の実ですが、何の木なのかなかなか解らなかった。
サンショウ(山椒)の実らしいので、アタリをつけてみたのですが葉をすべて落としているので、ハッキリ判別出来ませんでした。
木自体は低木で枝も張っていて、幹にも枝にも鋭いトゲがあります。(ハゼノキの実のようにも見えますが、ハゼノキにはトゲがありませんから違いますね)
二つに裂けた殻からは黒っぽい実も見えますが、大半は(鳥に食べられて?)無くなっていて殻だけになっています。
鋭いトゲのついた枝の先端からだけでなく、枝の途中からもたくさん実が垂れ下がっているところを見るとカラスザンショウではなさそうです。それにカラスザンショウは幹も枝ももっとトゲトゲしているしね。
とすると、サンショウかイヌザンショウか? 葉っぱをすべて落としていることから常緑樹のフユザンショウではないでしょうね。(カラスザンショウもサンショウもイヌザンショウも落葉樹です。ですから黄葉した後に葉を落とします。)
また、サンショウもイヌザンショウも雌雄異株なので、この木は雌株ということか。
どうやら、最終的な決め手は刺のつき方にあるようです。(戻ってきて調べました。)
サンショウは刺のつき方が対生で、イヌザンショウは互生だそうですので、そのへんが判断基準となりますか。
よく見るとこの木のトゲは対生のようですので、この木はサンショウか?(まだ?が取れませんけど…)
冬はなかなか樹種の判別が難しいです。(まあ、夏でも難しいのだけどね)
ちなみに、山菜天ぷらで有名なタラノキにはトゲがたくさんありますが、何とトゲのないタラノキというのもあって「メダラ」と言うのだそうです。
山の畑に大きなメダラの木があって、始めはトゲもないしメダラも知らなかったので、何の木なのかなかなか解らなかったです。
植物観察というのは、つたない先入観に振り回されず、正面からつぶさに観察しないといけないことを知りました。
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