ピークハントにこだわらない山歩きで見えてくるもの … 山歩き・WanderVogel2015/02/04

冬の渓流脇でお茶を沸かす
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ピークハントにこだわらない山歩きの楽しさ・面白さと、そこから見えてくるもの。

ピークを目指さない「ロングトレイル」という言葉を日本に広めたのは、「ジョン・ミューア・トレイルを行く」という本を書いた加藤則芳氏だと思っていますが、実はもっと前から日本にはロングトレイルという概念は存在していたんじゃないかとも思っている。

1970年代から整備が始まった「長距離自然歩道」がそれですが、当時の環境庁が主体となって、北は北海道から南は九州まで総延長21,000kmにおよぶ壮大なロングトレイルルートが計画されました。
最初に作られたのは、今ではなんだか懐かしい呼び方になってしまいましたが、関東圏に設定された「東海自然歩道」です。

ただ、この自然歩道は今ではあまり機能していないような悲しい状況になっています。整備が追いついていない箇所が多々あり、荒れ果てているところも多く見られます。
一部では薮や倒木で道でふさがれてしまっていたり、路肩が崩れて道が荒廃していたり、ルート表示看板などは腐って倒れていたり、と、お世辞にも整備されているとは言えない状況が目に付きます。
これには、運営システム上の問題も指摘されています。
「長距離自然歩道」自体の計画主体は環境庁だったのですが、その維持管理を各都道府県に任せっきり(丸投げ)にしてしまったことが、自然歩道の整備管理がうまく行っていない原因かと思われます。
(言ってみればお役所仕事と言うか、なんだか他でもありがちな構図です。)


ただ、自然歩道自体には大きな魅力もあります。昔からある旧街道や地元の集落同士を結んだ山道/峠道といった今まで利用されて来た「道」を使って付けられていることです。

丹沢の山中にも何本かの自然歩道が指定されています。
そのひとつは東丹沢を縦断する「関東ふれあいの道」で、蓑毛から大山阿夫利神社のある大山山麓を廻って丹沢山東側のルートを通り、仏果山を経由して津久井湖へと抜ける道です。
道はさらに高尾山方面へと延びています。

もうひとつは「東海自然歩道」で、西丹沢の丹沢湖から世附川を遡り、支流の大棚沢沿いに切通峠を経て山中湖(旧平野集落)方面へと抜ける道ですが、東海自然歩道は稜線に沿ってさらに道志村との県境尾根を菰釣山へと延びていて、白石峠・犬越路で中川川から来るもう1本の東海自然歩道ルートと合流します。
犬越路からさらに、姫次(東海自然歩道最高地点:1,433m)、黍殻山を経由し、道志川へ下ります。そこからさらに石老山へ登り返してねん坂、嵐山を経由して相模湖に下ります。
東海自然歩道はその後、神奈川県内の旧甲州街道上で唯一「本陣」の残っている小原宿を経由して、高尾山へと延びていきます。


神奈川県内には多くの「街道」「古道」があります。
有名なところでは主街道である東海道と、そこにつながる脇街道として、鎌倉街道、大山街道、地元金沢八景を通る金沢街道なども古道と言えるでしょう。
また、鎌倉時代に整備された足柄峠を通る足柄古道は、西丹沢の山北から静岡県の駿河小山,御殿場を越えて沼津,三島に抜ける東海道の間道(かんどう=脇道)として古くから利用されていました。

同じく鎌倉時代に整備された、金沢八景(六浦:むつら)と鎌倉を結ぶ朝比奈切通しをはじめ、鎌倉七口と呼ばれる七つの切通し(古道)が鎌倉の山中には今も残っています。


当時の大動脈と言うべき街道や古道には歴史的にも重要なエピソードがついて回りますが、そういった目立った歴史も無く、ひっそりとした山中に細く付けられた“杣道”にこそ、有名な街道にはない別の魅力があるものです。
山中の細い古道・峠道は山と集落、集落と集落とをつないだ部落民の生活の道でした。人や馬の背に載せた山の産物が盛んに行き来した村人の生活がそこから垣間見えて来ます。


西丹沢にも昔はたくさんの“杣道”が通っていました。時が流れ、いつしかそうした“道”は古道になり、今では通る人もいません。
今、そういう「道」をあらためて歩いてみると、自然石で組まれた少し崩れた石垣や山人の手で切り開かれたであろう素朴な切通しの跡など、今でもその痕跡を見ることができます。

沢沿いの少し広くなったところには、昔そこで人が暮らしたであろう生活の痕跡が残っています。炭焼き釜の跡や欠けた茶碗、小型の水力発電の機械部品なんかが錆びてころがっていたりして、その年代ごとの生活の跡を見ることができます。

峠の上や沢沿いのちょっとした広場には古い馬頭観音や山神様が祀られています。その前を行き来していた多くの人馬を見守ってきたのでしょう。

江戸時代から明治・大正・昭和の時代まで周辺集落で延々と引き継がれていた「杣稼ぎ・山稼ぎ」「駄賃附け」といった山での生活の一端を想像することが出来ます。

昔は確かに生活のための「道」だったものが、時代が過ぎてその意味を替えて今度はそれを楽しむ「道」に変わっていくとすれば、それはそれで意味のあることなんじゃないか。

なにより、昔の「山街道」や「杣道」を再認識して歩く、山の旅はホントに刺激的で楽しいものだ。

ヒマラヤの山旅 2:http://hd2s-ngo.asablo.jp/blog/2014/12/10/
ヒマラヤの山旅 1:http://hd2s-ngo.asablo.jp/blog/2014/12/09/

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