山上の畑にも少しずつ春が近づいています … 自然観察・WanderVogel2015/02/11

畑脇の紅梅
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先週土曜日に行った山上の畑。
山の上の方にあるだけあって海沿いの自宅よりも風が冷たく感じられます。でも、そこにも確実に春が近づいて来ているのが解ります。

畑脇の紅梅・白梅がもう咲き始めていました。
白梅の方は三分咲きという感じでしたが、紅梅の方は八分咲きという感じでほぼ満開です。
反対側に並んで植えてあるサクラ(ソメイヨシノ)のつぼみはまだ固いですが、それも数日間暖かさが続くと、一気に膨らんできそうな感じです。

近くには(地元では有名な)田浦の梅林(2,700本の梅が植えられています)というのもあって、これからの時期、梅の花見が盛んになります。


畑の脇には水仙が繁殖しています。
よく見ると2種類の水仙が植わっていて、ひとつは花弁が白で副花冠が鮮やかな黄色の日本水仙、もうひとつは黄色の色が少し薄いラッパ水仙です。
見栄えと匂いの良さでは、やはり日本水仙(房咲き水仙)のほうが勝っていますね。

畑の周りには水仙の他にも、春の草花が咲いています。薄紫色の花をつけたホトケノザ、鮮やかなブルーの小さな花が特徴のオオイヌノフグリなどが咲き始めています。
白い清楚なハコベの花もチラホラ咲き始めています。
春はすぐそこまで来ています。

横浜中華街・お粥の名店「安記」 … 食べ物・WanderVogel2015/02/12

安記のお粥
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たまに中華街まで出ることがあるが、昼食を食べるとなると何といっても「安記」でお粥でしょう。中華街なので当然「中華粥」です。

お粥ジャンル(そういうのがあるのかどうかは知らんが…)で言えば、謝甜記(しゃてんき)と双璧を為すのだが、僕にとっての「安記のお粥」は幼稚園児の時から家族とともによく行っていたので、もう50数年のつながりがある特別な一杯なのだ。
その頃は金沢八景ではなく、山元町に住んでいたので中華街へは歩いて行けるほど近かった。

お粥と聞くと朝食っぽいイメージがあるのだが、なかなかどうしてボリュームがあるので、昼食にもちょうど良い。

「安記」は昔からお粥専門店として営業していましたので、その他の一品料理を食べた記憶はほとんどない。まあ、お粥を食べようと決めて店に入るわけだから、メニューを見ることもない。他のものは注文しない訳だよな。

たしかに表のショーケースやメニューには、麺類やご飯ものも載っている。アラカルトももちろんあるのだろうが、そういうわけで、僕は食べたことは無い。
唯一サイドメニューでオーダーするものとしたら「モツ皿」とシューマイくらいなものか。モツ皿と言ってもハチノス(牛の二番目の胃)の煮物のことです。(写真右上)

見た目は、飾りっ気のないラーメンどんぶりにドサッと無造作に入れられた白い「お粥」で、上に載っている「油条・油條」(揚げパンのこと)が、かろうじて中華粥らしさを出している。
お粥の種類は多いのだが、味付けはみなどれもあっさりとした塩味です。僕はシンプルな海鮮お粥か鶏肉お粥が一番だと思っていますが、どれを選んでもハズレはない。

お店の場所も(僕が知っている限り)50数年変わらずで、店構えも内部の様子も変わらずまったくそのままに思えます。

目まぐるしく変化する表通り(中華街大通り)と違って、一歩路地裏に足を踏み入れると昔からまったく変わらない中華街の猥雑で活気のある世界がせまってきます。


余談・・・
若いころに、中国を3ヶ月間バックパックで旅したことがあるのだが、北京での朝食はかならずお粥だったことを思い出します。
その頃(1980年代中ごろ)の北京は中心部でも土ぼこりがすごかったですが、それでも道端で店を出しているホコリっぽいお粥屋さんに通ってよく食べたものです。

1980年代の中国では、旅行者が両替出来る「兌換券」というお金と、一般の中国人が使っている「人民元」という2種類のお金があって、ホテルや空港、タクシーなどでは「兌換券」しか使えず、逆に町中(町の商店、屋台やバックパッカーが泊まるような安宿/旅社など)では「人民元」しか通用しないというややこしい仕組みでした。

外国人旅行者が正規の手続きで「人民元」を手にするのは、ものすごく交換率が悪かった。(つまり、旅行者が人民元を手にする必要などまったくない、というのが中国当局の考えでしたから)
そんな環境ですから当然、どの町に行っても町なかには両替屋という名の闇両替商が堂々と店を出していて、もっぱらそこで両替をすることになる。両替レートは町によって大きく変わり、都市を離れるほど率は上がっていきました。
逆に、中国の人(一般の人というよりは、金持ちということですが)が兌換券を欲しがったのは、その頃 中国国内で輸入品を購入するには兌換券でしか買うことが出来なかったからです。

また、お米を使った料理(ご飯やお粥)や小麦粉を使った料理(万頭や小籠包など)には、料金(人民元)のほかに「毎票(まいぴょう)」という引換券のような配給票が同時に必要でした。毎票はコツを掴むと割と簡単に入手することが出来ました。

そういうわけで、一般の(?)外国旅行者(香港人も含む)にとっては、道端の屋台で食事をするとか、ローカル鉄道に乗るとか長距離のローカルバスに乗るとか、安宿(旅社)に泊まるとかということは、全く不便な環境にありました。
(まあ、バックパッカーの自由な旅などは、中国当局にとってはまったくの「想定外」「迷惑行為」だったのでしょうからね。)

中華粥を食べるたびに、そんな昔のことを思い出します。

三渓園の梅林もそろそろ見頃をむかえます … 自然観察・WanderVogel2015/02/14

三渓園・紅梅と三重塔
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今日(土曜日)は、横浜本牧の三渓園でガイドボランティア活動。写真は、大池脇の紅梅越しに見る室町時代建立の旧燈明寺三重塔

今日も横浜は暖かい一日でした。暖かい陽射しにつられるように、大池の周りの紅梅、白梅が咲き出しました。
蓮池や睡蓮池は朝のうちこそ表面に薄氷が張っていましたが、陽が昇るにつれ徐々に解け出し、昼近くにはすっかり解けてしまいました。

三渓園の梅林は一気に見頃を迎えるというよりは、それぞれの木が順々に咲き始めるという感じですので、けっこう長い期間楽しむことができます。
早咲きの紅梅、白梅の後には、三渓園名物の「臥竜梅」も咲き始めます。3月に入ると、横浜の友好都市「上海市」から贈られた「緑萼梅」も咲き始めます。
緑萼梅は漢字の通り、花の付け根の萼の部分が鮮やかな緑色をしている白梅で、三渓園の南側の出入口「海岸門」あたりに植えられています。
その頃には早咲きの淡墨桜や黄色い鮮やかな花のサンシュユなども咲き始め、春の花の競演が見られます。

今の大池にはキンクロハジロに混じって、白い顔のオオバンも浮いています。
ウメの花の間を可愛いメジロが花の蜜を求めて盛んに飛び廻っていました。春ですねぇ〜。

サンシュユの堅いつぼみもほころび始めました … 自然観察・WanderVogel2015/02/15

サンシュユの開花
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横浜/三渓園のサンシュユの堅いつぼみも、春の暖かい陽射しを浴びてほころび始めました。
(昨日行ったガイドボランティア活動のついでに、サンシュユの花を確認してきました)

サンシュユという変わった名前は、中国名の「山茱萸」という漢字の音読み、なのだそうです。
「茱萸」とはグミのことで、秋にはグミのような実がなるというのですが、僕はこの木ではまだ見たことがないなぁ。
別名「春黄金花(はるこがねばな)」というのだそうですが、今の姿はその名の方がピッタリという気がします。

もう少しで満開という感じでしょうか。枝いっぱいにつぼみが付いていますので、満開になるとさぞ見応えのある姿でしょうね。

これと良く似た花に、檀香梅がありますが、ダンコウバイはクスノキ科、サンシュユはミズキ科ですので、ぜんぜん別の木なんですね。
ダンコウバイは黄葉が特にきれいで、葉の先が三つに分かれた特徴ある大きな葉が秋の山ではよく目立ちます。

2ヶ月前のサンシュユのつぼみ(冬芽):http://hd2s-ngo.asablo.jp/blog/2014/12/25/

冬枯れた玄倉林道を歩いてきました … 山歩き・WanderVogel2015/02/16

玄倉林道・手掘りの隧道
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昨日(日曜日)は丹沢湖に注ぐ3つの川のひとつである「玄倉川(くろくらがわ)」沿いの玄倉林道を歩いてきました。

真夏のキャンプシーズンや紅葉の時期にはけっこうなにぎわいを見せますが、さすがにこの時期は歩く人はまったくいませんでした。
唯一ひとりだけ僕を追い越していった登山者がいました。林道をこのまま詰めて、塔ノ岳に登った後に大倉方面に下るようです。

丹沢湖に注ぐ3本の川はともに、大雨が降るたびに大暴れする川として有名ですが、特に玄倉川はバックウォーター部から上流部までいたるところでその爪痕を見ることができます。
丹沢山塊特有の崩れ易いザレて風化した花崗岩は、地表に現れている岩肌を手で触れただけでもサラサラと崩れ落ちていくほどです。

玄倉林道にはいくつもの隧道(ずいどう:トンネル)が掘り抜かれています。
もともとは写真のような手掘りの隧道だったのですが、崩れ易い花崗岩は天井部分からも絶え間なくボロボロと崩れ続けています。一部はコンクリートで固められていますが、短い隧道などではまだそのまま現役で使われています。
染み出した雨水が長いツララを作っていて、時々ポキリと折れて落ちてきます。
トンネル内の岩肌は、しみ込んだ水分が「凍結し溶解し」を繰り返していて、そのたびに岩盤の表面がわずかずつ剥がされてバラバラと崩落していきます。

玄倉川の上流部・源流部は、北側に檜洞丸、蛭ヶ岳(神奈川県の最高峰1673m)があり、東側に丹沢山、塔ノ岳、南側に鍋割山、檜岳(ひのきだっか)、雨山などがあって、周りを比較的標高のある山でぐるりと囲まれているかっこうです。
急峻に切り立ったその地形と崩れ易い地質の影響で、どの河床も崩れて砕けた花崗岩の岩や小石で埋め尽くされています。
崩れる岩を何とか堰き止めるには、何重にも積み重ねられた無骨な「砂防堰堤」を、これでもか!と造るしかないのもここに来ると何となくうなずけます。

世附川の上流部のような、岩と樹木の混在した日本の里山らしいやさしげな源流域の風景はここには見当たりません。


林道を歩いていると時々「○○桟道」という標識が立っている箇所を通ります。
ただ道を歩いているだけではまったく気が付かずに、普通に歩き通してしまいがちですが、この「桟道」とは何のことなのでしょか?

桟道とはもともとは山岳用語で、切り立った山腹や崖(がけ)の垂直面に沿って,木材で棚のように張り出して設けた道のことを言います。
沢沿いに付けられた昔からの道は、暴れる川に精一杯抵抗するかのように川の弱点を探し探し「道」を造ってきました。

ですから昔の人は(今も同じでしょうが)、尾根越しの巻き道、手掘りの切通し、手掘りの隧道、桟道など様々な手法を駆使して、なんとか一本の道を繋ぎ通してきました。
古道を歩いていてこういう箇所を通るたびに、古人の苦労と執念みたいなものを感じずにはいられません。
こうした道造り(道普請)を手作業で行いそれを維持してきたのですから、昔の人はホントにたいしたものです。

丹沢湖ビジターセンターから林道の始まるゲートまでの間(玄倉川と小菅川との間の尾根一帯かな)で、ニホンジカの管理捕獲のハンターが10名ほど山に入っていました。
猟犬を連れての巻き狩りのようですが、地形図を見ると尾根上を除いてかなりの急斜面です。
このあたりは山北町三保猟区と呼ばれる「猟区」に指定されていて、山北町三保鳥獣保護協会という協会では、一般狩猟者も参加しての実技研修会を開催しているとのことですから、それをやっているのかもしれませんね。

山歩きの楽しさ:http://hd2s-ngo.asablo.jp/blog/2015/02/04/
古道・昔の杣道:http://hd2s-ngo.asablo.jp/blog/2015/02/02/

8:00林道ゲート前駐車スペース(自宅から約75km)出発 ~ 8:40新青崩隧道 ~ 8:50玄倉ダム ~ 9:50ユーシンロッヂ着(休憩)10:05発 ~ 10:40熊木沢ダム通過し、熊木沢出合で河原に降り休憩10:55発 ~ 11:20箒杉沢/鍋割沢出合で河原に降り昼食12:00発 ~ 12:15林道終点(塔ノ岳登山口/鍋割沢渡河ポイント):本日の折返し点 ~ 14:30林道ゲート前駐車スペース着:終了
地図:1/25,000 中川・大山、CARMIN GPS

雪面には、たくさんの楽しい発見がありました … 自然観察・WanderVogel2015/02/17

雪面に落ちた種子
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一昨日の西丹沢・玄倉林道の自然散策は、全線に渡って(一部ガチガチに凍結した)雪の道を歩くことになりました。

林道ゲートから2時間弱のところにあるユーシンロッヂ。そこまでは凍結と積雪が半々くらいで続き、熊木沢出合いから先は完全に雪道(積雪が8cm程度)の状態でした。
雪の上にはシカやタヌキ、イタチなどの足跡も見られますが、楽しい発見はそれだけでありません。
白一面の固まった雪面上では、いろいろな種類の種子を簡単に見つけ出すことができます。

写真に写っているものは、ヤシャブシとオオバヤシャブシ、ハンノキの球果、(ちょっと違うようにも見えるが)カラマツの小さな球果、イロハモミジの翼果、カラマツの球果から飛び出した翼果などが見てとれます。
また、種子を付ける前に折れてしまったのか、カラカラに枯れたフサザクラの花の枝も落ちていました。その周りには、鋭く尖ったかたちが面白いフサザクラの種子が雪面上にあたり一面降り注いで散らばっています。

羽毛のような羽根を持ったたくさんの種子を付けたボタンヅルの小枝が、枝ごと落ちて風で雪面上を流されていきます。道端には葉っぱを全て落とし、立ち枯れてドライフラワーのようになったガクアジサイやレモンエゴマ、ウツギなどを見ることができました。

ヤシャブシやイヌシデの冬芽観察も楽しい時間でした。

玄倉川は沢登りのメッカでもあるんです … 自然観察・WanderVogel2015/02/18

玄倉川カヤノキ棚沢出合
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西丹沢・玄倉川はよく知られているように、東西丹沢を代表する「沢登り」のメッカでもあります。

有名なところでは、バックウォーターから上流すぐのところで玄倉川本流と分岐する小川谷の上流域中沢の小川谷廊下、玄倉川に注ぎ込む各支流の女郎小屋沢、モチコシ沢、同角沢、そしてユーシンロッヂ奥で合流するユーシン沢、石小屋沢など、ちょっと拾い出してみても、玄倉川水系のほとんどの沢が沢登りのゲレンデとして名の知られた沢が並んでいます。

しかも難ルートが多く、遡行テクニックはもちろん、ザイルやロッククライミング用の登坂用具が必ず必要なほど、難しくて楽しい「沢」がひしめいていて、多くの沢登ファンを集めています。

支流部だけでなく玄倉川本谷を遡行する沢登り(沢歩き?沢泳ぎ?)の人もいますので、こうなると玄倉川流域のどこでもが沢を楽しむ舞台になります。

そのへんが穏やかな世附川水系の渓相とは少し違うところですね。
それだけ玄倉川の本/支流の渓相がダイナミックで、沢登り・沢歩きにはうってつけの魅力を持っているということなんです。


巨岩が積み重なって出来た何段もの滝や、高い壁のような一枚岩の滝が次々に現れる独特の渓相が魅力の玄倉川にあって、写真のような光景に行き当たると僕などはホッとしてしまうのです。
この先、この垂直の岩肌を廻り込んだ先には、いったいどんな光景が広がっているのだろう、とちょっとワクワクする気持ちにもなります。

写真はカヤノキ(茅ノ木)棚沢の出合い付近のもので、この沢を詰めて行くと鍋割峠と雨山峠の間にある痩せた尾根上の「茅ノ木棚沢の頭」に突き上げます。
上部はかなりザレています。茅ノ木棚沢の頭から見下ろすと、とても降りられそうにも登れそうにも思えません。

玄倉川にも渓流釣りで入る人は多いと思いますが、僕にはやはり世附川上流部のやさしい渓相の方がのんびりとフライフィッシングが楽しめます。

ただし、そこにたどり着くまでの道程は、林道が完全崩落している分だけ玄倉川よりも危険度は高いのですが。

横浜山手に建つ文化財のフレスコ壁修復の現場 … ヘリテージ/文化財保全・修復2015/02/19

フレスコ壁修復現場
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先日、横浜山手に建つベーリック・ホールの修復作業をじかに見させてもらうため、全面修復のために長期閉館になっている建物内に入れていただいた。

外壁の塗り替えから各室内の塗装の塗り替えなど、いろいろな場所で修復作業が同時進行で行なわれている。
そのなかでも修復作業の難易度が一番高く、かつ 壁の仕上げでも一番特徴のあるものになっている 2階の子息の部屋に向かいます。

べーリック・ホール(旧ベリック邸)というのは、横浜の観光パンフや建築案内などでよく知られているように、イギリス人貿易商B.R.ベリック氏の邸宅として、昭和5(1930)年にアメリカ人建築家J.H.モーガンによって設計された建物です。
J.H.モーガンという建築家は、横浜山手の丘の上に、山手111番館、山手聖公会、根岸競馬場など数多くの建築を残していますが、なかでもベーリック・ホールは現存する戦前の山手外国人住宅の中では最大規模の建物になっています。

もともとここにはこれより古いベリック邸が建っていたのですが、大正12年に起きた関東大震災で完全に倒壊し、その跡にこれが建ったということです。
関東大震災では山手の外国人住宅だけでなく、横浜市内中心部の建物はあらかた全てが倒壊し、その後の火災・延焼で焼け野原になってしまったほどの、それまでに類を見ない巨大災害だったのです。

余談ですが、この大正12年(1923年)9月1日の関東大震災(相模沖が震源地)と、翌年の丹沢直下を震源とする(本震を上回る)余震によって、丹沢山塊のほぼ全域が崩れ落ち、道も村も全て呑み込まれ、禿げ山になったと言われています。


ベーリック・ホールは外観・内観ともに、建物全体のベーシックデザインが当時流行ったスパニッシュスタイルでデザインされた住宅建築です。

写真左手に見える変わったかたちの特徴ある小窓が、スパニッシュスタイルでよく取り入れられるイスラム様式(といっても、ヨーロッパでは割と古典的でポピュラーなデザインになっていますが…)のクワレットフォイル(四葉のクローバー)と呼ばれる窓です。

カッチリと固いイメージでデザインされた部屋なのですが、ひとつこうした(スパニッシュな)デザイン要素が入るだけで、堅苦しい雰囲気の部屋が一気にくだけた柔らかみのある部屋に変化して行くのが解ります。


今回見学させていただいたのは(というか、作業の邪魔をした感がなきにしもあらずですが…)、2階の子息の部屋のフレスコ壁の修復作業です。
建設当初からこの部屋だけこういった特別仕様だったのかは解りませんが、他の部屋にはない、スタッコ磨きで仕上げられています。落ち着きと深みのあるややグリーンがかったターコイズブルーのきれいな壁です。

これは磨き壁というフレスコ技法の塗り方で、石灰に顔料を入れて塗った後に、鏝で磨きさらに蜜蝋で磨くという手法で、壁全体が厚みのある艶を持ったなめらかな質感になる仕上げです。
ツルツルの手触りと色の深みが特徴です。

現場は、以前より面識のあるフレスコ作家の大野彩先生が指揮をされ、左官は三重県四日市の松木憲司さんが担当し、芸大関係者二名がサポートして作業が進められていました。
ご一緒させていただいた上石神井の「土の田村先生」がおっしゃるには、「一度、古い仕上げを全部落としてからやり直した方が、よっぽど早くてきれいなものになりそうなものだが…」ということでしたが、文化財相当のものの修復の場合、なかなか全面的に解体して 一からやり替えるというわけにはいかないようです。

もともとこの壁は12年ほど前に大野彩先生率いる「壁画LABO」が復元制作したものだそうで、今回はこの12年間で出来た傷みをきれいに磨き直すことが目的だそうで、そういう意味からも全面的な解体・修復にはならなかったようです。
このように(文化財レベルの)建物の修復現場を見せていただけるのは、僕からすると全くありがたいことで、大変勉強になりました。

一方で、もし適うのなら、一般の方でもこういう貴重な作業の裏方見学が出来るようになれば、文化財の保全やこういった伝統技法についてもっともっと興味を持ってもらえるのではないか、と思った次第です。
きれいに磨き上がった完成した壁を見ることもよいのですが、その制作過程を実際に見ることは本質を理解する上でとても大切なことなのですから。

こういうことは、言葉で説明するよりも、それこそ「百聞は一見に如かず」で、見ること、触ること、体験することが理解の一番の早道です。


作業や材料のお話を聴いてみても、実際の修復作業を見ていても、フレスコの「磨き壁の修復」というのはものすごく難しいものだなぁと、つくづく感じます。

なんにしても、この作業には「これで終わり、完成!」という終着点がないんですね。

グレート・ヒマラヤ・トレイルという試みについて … 旅・WanderVogel2015/02/20

トレイル報告会
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先日、「山渓」がバックアップするグレート・ヒマラヤ・トレイル踏査プロジェクトなる試みの(第1回目となる踏査の)報告会というのに参加してきた。

神田・神保町にある「インプレスグループ神保町セミナールーム」で平日の夜に行なわれたこの催しは、山と溪谷社/マウンテンスポーツネットワーク(MtSN)がバックアップする「Team Monsoon」という(30代の若者3人を中心とする)グループのヒマラヤ・トレイルの報告会です。

狭い会場にいっぱいの参加者(60名ほど)が集まり、関心の高さを感じました。

集まった皆さんの関心が、ヒマラヤの山にあるのか、ロングトレイルという山旅のスタイルにあるのか、MtSNの主たる活動であるトレイルランニングのお客さんなのか、単に楽しそうだったから来たのか、はたまた関係者ばかりなのか、そのへんは知る由もないが、僕は面白く話を聴かせてもらった。

手元にあるイベント案内には、「ヒマラヤ山脈を貫く「グレート・ヒマラヤ・トレイル(GHT)」全行程踏査プロジェクトのメンバーを招き、昨年末に1カ月半かけて行なわれたプロジェクトの報告会」、とあったのだったのが、すでに全行程を踏査し終ったというわけではなくて、これからの全行程踏査目標に向けて、第一弾としての報告会ということでした。
僕の思い込みとは少し違っていましたが、それなりに楽しめました。


彼らの言う「旅行客の姿もまれな辺境地域。そこに暮らす人々や昔のまま残っている風習・文化は、とても興味深いもの」「高所登山でもなければ観光地化されたトレッキングルートでもない、昔ながらの生活に入り込む「触れ合いの旅」の魅力を求めて行きたい。」という発想自体は何もそんなに新しくも珍しくもないが(どちらかといえば、これまで言い尽くされてきたフレーズなのだが、それはそれで良いのだ)、ヒマラヤの山旅スタイルのひとつのジャンルとして一般に(ほんの少し)認知されていけば素晴らしいことではないかな、と思う。

いずれにしても、ヒマラヤを舞台に1人あるいは少人数でトレイルをするのであれば、旅の知識や経験、体力/持久力と精神力、幅広い興味の対象などベーシックな素養を持ち合わせていることはもちろんのこと、最低でも半月からひと月間というまとまった休暇が取れることが何よりもその前提条件となることは確かです。
これが普通の社会人にはかなり高いハードルとなるだろうなぁ。
しかも、雨期(モンスーン時期)を除いた期間内での半月間、ひと月間ということなので、活動時期はかなりピンポイントに限定されてしまうのだ。

とはいえ、(実際に行ってみればよ~く解るが)それらの難題を何とかクリアして、ネパールヒマラヤの辺境を歩く価値は十二分にある、と僕は思っている。


今回報告会で話しのあったルートは、僕もぜんぜん馴染みのない地域で「辺境」と呼んでもよいところだろう。
ネパールの東の端、インド/シッキムとの国境上にそびえる世界第3位の高さを持つカンチェンジュンガ。その北側(カンチェンジュンガBC)からスタートした彼らのトレックは、中国国境に並行するように西走し、アルン川沿いまでの区間を約2週間かけて歩いたことになる。
(出発点までの行きの道、今回の最終地 Numからの帰路を合わせると、合計1ヶ月以上になる。)

彼らは今後、今回歩いた後を繋ぐようにアルン川沿いからさらに西走するのだろう。次回の報告会がまた楽しみだ。


僕はカンチェンジュンガを南東側(ダージリンやガントーク)からしか見たことはないが、そこから見る山塊はまったく壮大であって無辺、女性的・母性的な迫力?!(偉大な母なる山という感じ) をもった素晴らしい山という印象を強く持っている。大好きな山のひとつだ。


このグレート・ヒマラヤ・トレイル(G.H.T)というトレッキングルートは、北側(山岳ルート:1,700km)と南側(丘陵ルート:1,500km)の2本があって、2011年10月に開通(?)したというが、この場合、“開通した” という表現が適切かどうかは意見の分かれるところだろうな。。
現段階では「そう名付けてみた」、というような感じなのではないのかな? どうなんだろう? 


でも、最高に面白い!
この素晴らしい魅力溢れるルートを僕もぜひ、全ルート踏破してみたい。と思わせてくれた報告会でした。

ピークハントにこだわらない山旅・ヒマラヤの山旅 :http://hd2s-ngo.asablo.jp/blog/2015/02/04/

三渓園・トサミズキの花芽の芽吹き … 自然観察・WanderVogel2015/02/21

トサミズキの冬芽
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三渓記念館前に植えられているトサミズキの木。
枝先にいくつもついた冬芽(花芽)が、はち切れんばかりに膨らんでいます。

写真の丸い冬芽は花芽です。中央奥の(少しピンぼけていますが)尖った細い冬芽の方は葉芽です。

冬の冷たい風が吹付ける間は、紅色をした薄い大きな1枚の芽鱗が花芽をシッカリと包み込んで保護しています。

トサミズキは先日(2/15)に書いたサンシュユと同じように、葉っぱよりも先に花が咲き始めます。でも、この小さな花芽のなかにあの大きな房状の花が隠れているとはちょっと想像出来ませんね。

サンシュユはミズキ科なのですが、このトサミズキはミズキという名前が付いていますが、マンサク科の木なのです。何だかややこしいです。

こうして枯れ木同然になってしまった冬の林の中にあっても、良く目を凝らして観察してみると、春がもうそこまで来ていることが解ります。

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