越後妻有トリエンナーレ・今度生まれて来る時も、また … 建築の旅・WanderVogel2012/09/11

トリエンナーレ 蓮
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越後妻有トリエンナーレの思い出、最後の紹介は「今度生まれて来る時も、また」という本多裕紀(ユキ)氏の作品。

詩的で清浄な空気感を持った、幻想的でコンセプチュアルな良い作品だと思います。僕はこういうのすごく好きです。

土のMuseum もぐらの館 にあって、唯一「土」を使ってない作品です。

茎も葉も花もすべて白色に塗られた「蓮」が上に向かって伸びていて、天井付近に蓮の葉や花が開いています。

説明書きには、
「蓮は泥沼に生息するが、花は水をくぐり抜けて水面に咲く。古来、現世は泥沼で、極楽浄土は美しい蓮の花で満ちている。
鑑賞者は水面下から頭上にある「理想の世界」を見上げるが、私たちが立つ泥沼の「希望」という栄養素があってこその花たち。」
とあります。

古い小学校を改造したもぐらの館の屋上に通じる階段に展示されていて、階段を上っていくに従って少しずつ水面に向かって登っていくようなイメージです。
ただし、けっして蓮の葉や花の上(水面上)に出ることはない。

階段を登るとその振動で、かすかに蓮の葉が揺れてゆらぎを生み出し、幻想的な世界を見せています。

屋上に出る扉からは明るい外光が差し込み、下界に降り注いでいます。


日本民家園・特別公開/旧原家住宅 … 建築の旅・WanderVogel2012/09/16

日本民家園 旧原家住宅
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川崎市立の日本民家園の中の「旧原家住宅」をお借りして、歴史的建造物調査の実測調査演習を行ないました。
ですので正確には「特別公開」ではなく、上記実測演習のために日頃立ち入れないエリアまで入らせてもらい、隅々まで見せていただくことが出来た、ということでした。

旧原家住宅(屋号:石橋)は、川崎市中原区小杉陣屋町に所在した大地主の母屋を川崎市が譲り受け、昭和63年に解体工事に着手し平成3年にここ日本民家園の敷地内に移築復元がなった建物です。

上棟は明治44年4月といいますから、江戸時代まで綿々と続いてきた「士農工商」の厳格な身分制度が解体したことで、使える建築材料・建築素材も、床の間や違い棚、書院といった意匠など、それまでの「縛り」を気にすること無く、施主のお金の許す限り自由にデザインし、普請をすることが出来た時代に入っていました。
“その意味”では、かなり興味深い大地主の邸宅建築です。

目につく部分の木材にはケヤキ材をふんだんに使って、当時まだ高価だったであろう板ガラスも回廊の外側全面に使用するなど、建築素材にはかなりお金をかけていることが解ります。
豪壮で重厚感のある大きな瓦屋根も、身分制度が残っていた時代ではいくらお金を持っている豪農と言えども、絶対に建てることなど出来なかったものです。

そういった時代背景を持ったこの建物、完全なかたちで移築されたことで歴史的にも価値があり、使っている素材も贅を尽くしていて、建築技術(構造的な技術水準の高さや精巧で複雑な仕口など)の面からも、資料的価値のとても高い建物のひとつであると言えます。


ただし、全体の印象を素直に言いますと、「身分制度の時代の中では、決して出来なかったことをとりあえずみんなやっちゃおう!」的な(なんかちょっとズレてる)違和感を感じてしまって、前回行った原三渓の隠居住宅で感じたような「落ち着きと上品さ」「思慮深さ」「爽やかな品性」といった感覚とはちょっと違う感じがしたのが残念でした。

もっとも、旧原家住宅のような大地主の豪放な和風住宅と、同年代に造られた同じような和風の住宅と言っても、完全に数寄屋の造りがされている三渓園の「鶴翔閣」や「白雲邸」とを同じ目線で比べてしまうのは“酷”なのかもしれませんね。
(こんなことBlogに書くと日本民家園の学芸員からお叱りを受けるかもしれませんな…。)

日本民家園には、他にも多くの茅葺き民家があって、民家建築の木造技術の資料的にも、日本の各地の民家史的にも価値のある、かなり見応えのある日本有数の民家野外博物館です!
(と、最後にゴマすっておこうっと)

十日町・星名家:http://hd2s-ngo.asablo.jp/blog/2012/09/07/
三渓園・白雲邸:http://hd2s-ngo.asablo.jp/blog/2012/08/13/
三渓園・鶴翔閣:http://hd2s-ngo.asablo.jp/blog/2012/08/12/


日本民家園・江向家住宅 … 建築の旅・WanderVogel2012/09/17

日本民家園 江向家住宅
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川崎市立の日本民家園の中に移築されている、越中五箇山の合掌造り住宅「江向家住宅」(国指定重要文化財)の大きな茅葺き屋根。

越中五箇山とは、富山県と岐阜県の境、富山県南砺市周辺を言いますが、合掌造り住宅では岐阜県側の白川郷が有名で、この地域周辺では同じスタイルの系統からなる合掌造りが継承され造られていると思われがちですが、実はこの狭い(?)山間地域の中でもその立地(旧藩)ごとに構造もデザインも造り方も違っている、というところが最も興味深いところです。
特に外観を形作っている大きな茅葺き屋根の茅の葺き方や、妻側破風、棟周りの葺き方に特徴を見て取れます。

横浜国立大学准教授/大野先生の解説では、4パターンに分類されるこの地域の合掌造りの系統の内、ここでは3パターン(白川郷白川村、五箇山上平、五箇山利賀村)を比較してみることが出来るということです。
残りの1パターンは、横浜本牧「三渓園」に移築されている白川郷荘川村の「旧矢篦原(ヤノハラ)家住宅」で確認することが出来ます。

川崎市の多摩区(向ケ丘遊園・生田緑地)にある「日本民家園」では、神奈川・関東・信越・東北など地域別に25棟の特徴ある民家やその付随建物が移築されていて、とても一日では見て回れない内容の「濃さ」でした。


山と渓谷10月号・絶品!紅葉美山 … WanderVogel2012/09/18

山と渓谷10月号
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山と渓谷10月号は紅葉美山案内とマルチピッチクライミング特集です。

これを読んで山行の目的地を決めようという訳ではありませんが、こういった美しい写真を眺めるだけでもモチベーションは上がるものです。
また、特集2のマルチピッチクライミングの記事も楽しそうで、数日間は夜の酒のお供になりそうです。


石川賢治氏といえば、「月光浴」(私も買い求めましたが)という写真集で一躍有名になった写真家ですが、10月号には「月とアンナプルナ」という 満月の光に青白く浮かび上がる霊山マチャプチャレ(6,993m)と、アンナプルナ(8,091m)の美しく神秘的な写真が掲載されています。

こういう素敵な写真を見ると、またネパールの山々が恋しく(戻りたく?)なります。
前回 ネパールの山登りに行った時から、ちょうど1年が経とうとしています。
Nepal Trekking 201109:http://blog.goo.ne.jp/hd2s-ngo


三渓園・合掌造り/旧矢箆原家住宅 … 建築の旅・WanderVogel2012/09/20

荘川村合掌造り 旧矢篦原家
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横浜市本牧の三渓園の中に移築されている、岐阜県白川郷(荘川村)の合掌造り住宅・旧矢篦原(ヤノハラ)家住宅(国指定重要文化財)です。

江戸時代宝暦年間(1751〜1764)に、飛騨三長者のひとりといわれた岩瀬の(矢篦原)佐助の家として飛騨高山の大工によって建てられたと伝えられていて、御母衣ダムの建設で湖底に沈む運命にあったものを昭和35年(1960)に三渓園に寄贈され、移築されたものだそうです。

大きな茅葺き屋根を妻側から見ると、豪壮な入母屋造の上段の窓の火灯窓(火頭窓)形式の意匠が珍しいようで、この家の格式の高さを表している、と説明書きには記されています。
玄関は平入で、式台付玄関を持ったかなり位の高い上流農家であったことがうかがえます。

隣村に位置する越中五箇山の合掌造り住宅・江向家住宅(blog/20120917)と比べても、同じ茅葺き住宅であっても、その系統の違いが一目で解ります。

古建築を巡る旅は、コンテンポラリーな新しい建築を見て回る面白さとは少しベクトルが違い、建築本体への新鮮な興味や新しい発見/提案など直接目に見えてくるものに加えて、その地域の文化的な成り立ちやその藩内での関係性、建てられた時代背景、階級や身分制度、その土地の気候や植生など 様々な要素が入り交じって成立している分だけ理解するにはとても奥が深く、その地方の持っている歴史の深淵を覗き込むような神秘性も加味されて、古建築に惹き付けられる大きな要因になっているのかなと思います。

以前のBlog:http://hd2s-ngo.asablo.jp/blog/2012/08/12/

森林づくりボランティア・間伐/枝打 … 森林インストラクター・WanderVogel2012/09/22

森林づくりボランティア
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今日は神奈川県小田原市の山中で森林づくり活動の一環として、ヒノキの林の間伐と枝打ち作業のボランティアに行ってきました。

朝8時過ぎに小田原駅に作業ボランティア50名+森林インストラクター10数人が集合して、マイクロバスに分乗して今日の作業地であるヒノキの林に向かいます。

林の中ですので、それほど大きな木があるわけではありませんが、小振りな木といっても高さは12m~15mほどはありますから、倒れる時にはそれなりに快感です。
参加したメンバーもすぐにコツを覚えて、ワイワイ楽しみながら結構良いペースで切り倒していきます。

間伐した木は枝打ちをしたあと適当な長さ(3mほど)に切って、ロープをかけて林道まで運びます。

間伐作業は基本的には1本1本の木を大きく育てるために行ないますが、大きな目的としてはこの林を含めた山林一帯を健康的な姿のまま維持することで、水源地としての山の自然環境を守っていくことにあります。

今日は実質作業した時間は半日程度なのですが、朝入山した時と比べると明らかにスッキリとした姿になっていて、地表面まで陽の入る明るい林に生まれ変わっていました。
ヒノキの香りいっぱいの林の中での作業は、とても贅沢なものでした。


秋田市/新政酒造・純米吟醸「青やまユ」 … 食と酒2012/09/23

新改酒造 青やまユ
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日本酒ファンの間で今とても注目されている(?) 秋田の酒蔵・新政(あらまさ)酒造のお酒・純米吟醸「青やまユ」です。

スペックには、写真内の作り手のコメントの他、秋田県産美山錦を使用し、精米歩合55%(麹米50%、掛け米55%)、日本酒度-2~±0、アルコール度15度で、酵母はこの蔵発祥の協会六号酵母を使用、とクレジットに記載されています。

こういった成分詳細書きは、「酒を飲む」行為自体にはそれほど意味を持たないのかもしれませんが、たとえば 温泉の「源泉/温泉分析書」「温泉効能書」を読み解くのと同じように、そのもの自体を深く知ることにつながりますし、つくり手(杜氏)の「思い」や「意気込み」「こだわり」を理解する上では結構大切なことなのかと思います。


飲んでの感想は、、、説明するボキャブラリーも知識も少ないので控えます・が・・とても美味しくいただきました。
やはり、日本酒は秋田産か新潟産に限るのかなぁ。


Billie HolidayとI'll be seeing youのLyric … JAZZ MUSIC2012/09/23

Billie Holiday STRANGE FRUIT
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Billie Holiday 珠玉の1枚、COMMODORE盤「STRANGE FRUIT」の1曲
I'll be seeing you の Lyric(一部 略)

I'll be seeing you

In all the old familiar places

That this heart of mine embraces

All day through



In that small cafe

The park across the way

The children's carousel

The chestnut trees
The wishing well

・・省略・・

懐かしい場所を思い浮かべるたびに
胸のうちに抱かれた思い出とともに
いつでも君と会うことができるんだ

あの小さなカフェ、道を渡った公園
子供らが乗るメリー・ゴーラウンド
栗の並木道、二人で願いをかけた泉

いつでも君と会うことができるんだ
あの光輝く、素晴らしい夏の日々に
そんな風にいつも君を想い続けてる

朝の日差しの中にも君の姿が浮かぶ
夜がきて、僕の目は月を追ってても
僕に見えているのは君のすがただけ

ビリーのスローで神秘的な歌声がリリックに悲しさを増します。

作られたのは1938年ですが、人気を博したのは1940年代に入り、第二次大戦で多くの若者が戦場に駆り出されるようになってから。
単に失恋を歌ったものとしてではなく、遠い戦場にいる恋人を想う「絶望的な願い」が、歌詞の主題に重なってみえるのはそういった背景ゆえにでしょう。

そういう目でみると、2人の思い出の場所を並べていく前半の部分は、戦場の悲惨な情景と対比させて、抗いようのない不条理と逢いたくとも逢うことの出来ない一層の悲しさを訴えかけます。

歌詞の内容が美しければ美しいほど、表現が簡潔でシンプルであればあるほど、訴えかける悲しさは心を打ちます。

と、「やまユ」を飲み過ぎた夜、尖閣を想いながらビリーの歌声に酔った頭で思いを巡らせてしまいました。

以前のBlog:http://hd2s-ngo.asablo.jp/blog/2010/04/23/

大阪市最古の住宅・渡辺邸の解体に想う … 建築の旅・WanderVogel2012/09/25

大阪市渡辺邸解体
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昨日の全国版のニュースに載っていましたから、目を留めた方もいるでしょう。
「大阪市内で最古とされ、大阪府の文化財に指定されていた江戸時代初期の民家「渡辺邸」(同市淀川区)が近く解体される。
府の古い規則に基づく指定だったため、府の文化財保護条例などと違い、所有者の申請だけで4月に指定が解除された。」
さらに、大阪府内にはこういった古い規則に基づく文化財が他に27件あり、府は今後も同様の事態が生じかねないかと懸念している。ということでした。

渡辺邸は平安時代の武将、渡辺綱(わたなべのつな)の子孫の家と伝えられ、約2,560m2の敷地内に17世紀初頭に建てられたと推定される母屋や土蔵など6棟が建つ。といいます。

保存活動も細々と続けられてはいたのでしょうが、住宅の場合 まったくの個人の所有ですので、相続となると莫大な相続税が一般と同じようにかかりますし、現行法では行政が主体となり土地を含めての買い取るか、持ち主からの寄贈という形にならないと、現実問題として「その地での保存」は難しいということになります。

ともあれ、こういった民家は今となっては数少なくなってしまった「日本の宝」ですから、超法規的な扱いをしてでも「土地を含めた完全保存」に舵を切らないと、これまで同様に、それこそ何の痕跡も残さず消えてなくなってしまいます。
これはその土地の歴史の消失と同じ意味を持つと思います。

戦前までは日本のあちこちに当たり前のように代々受け継がれ残ってきた、(平安時代、鎌倉時代あるいは江戸初期に建てられた)歴史ある民家や邸宅。
空襲の戦火をくぐり抜けて奇跡的に残った、こうした「日本の歴史」が、平和を手に入れた戦後(特にここ20~30年の間に)になって片っ端から壊され消えていくことが何とも皮肉なことで悔しく、悲しい。

日本・日本人のアイデンティティーは私たちの住み暮らしてきた地方の歴史の中にあります。
地方の歴史を形作っているものの大きなファクターが、村(町)の成り立ちであり、こういった民家の姿だと思います。
古くからの「地名」もそのひとつです。昔から呼び慣らされてきた「地名」にはその土地の歴史が詰まっています。

「民家」と「地名」が失わされていく現代の状況(風潮)は、亡国の危機に瀕しているともいえます。
そんな状況を少しでも改善するために必要なことは、無関心でいないことです。目を背けないことです。

失ってしまったものは二度と元には戻りません。
そして、私たちがやらなければならないこと(出来ること)は まだまだたくさんあります。

関連するBlog:http://hd2s-ngo.asablo.jp/blog/2012/05/20/

トレッキングポールを使っての山歩きは … WanderVogel2012/09/27

トレッキングポール
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若い頃は、こういったトレッキングポールなどはなかったし、使うことなど全然意識していませんでしたが、最近は山を歩いていると筋肉や関節の痛みを感じることがあって、薦められて買ってしまいました。

トレッキングポールを使うのがブームなのか、そういう歩き方がすでに定着してしまったのか、最近の山では歳に関係なく(かえって若い人の方が)使っている人を良く見かけるようになりました。

どんな条件下でもオールラウンダーに使えるということはないでしょうが、平坦な稜線上や長い林道、あるいは尾根を突き上げる時と尾根道を下山する際には使い勝手が良いのではと想像しますがどうでしょう。
(渓流釣りで流れの早い沢を渡河する時などには、確かにこれは便利そうです。)

本やネットなどを見てみると、いろいろと使い方などが書かれていますが、とりあえず自分で使って登ってみないと何とも言えませんので、次回から使ってみますよ。


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