街路樹のヤマボウシの花 … 自然観察・WanderVogel2014/06/17

ヤマボウシの花
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今日、現場検査(千葉県市川市)に行く途中で見つけた、街路樹のヤマボウシ

街路樹にはハナミズキ(アメリカヤマボウシ)を植えることが多いのかと思っていましたが、ここの街路樹は日本のヤマボウシでした。

ハナミズキの実と違って、ヤマボウシの実は食べても美味しいですし、果実酒にしてもおいしい。
未成熟のうちは緑色をしていますが、熟すと黄色からピンク色のサッカーボールのような可愛い実(8月~9月頃)になります。

この街路にはこの他にヤマモモの木も並んで植えられていました。この市は実の付く街路樹が好きなのかなぁ。
でも、ヤマモモもヤマボウシも熟した実はちゃんと収穫してあげないと、地面に落ちると靴底に貼り付いてベタベタの歩道になって歩きにくいことこの上ない。

先日行った箱根で見つけたヤマボウシの高木は、広げた枝一面に花が咲き乱れて、それは見事でした。
ちなみに、花は中心にある淡黄色をした小さな球状のツブツブの部分で、周りの白い大きな4枚の花弁状のものは総苞片といって、つぼみを包んでいた葉っぱが変化したものです。

この実で思い出したのだが、先月末に杉並区に住む友人のところで飲んだのだが、2軒目までは覚えているが、2人ともその後の記憶が定かではない。
ただ僕のポケットの中にモミジバフウの実(ヤマボウシの実とよく似ている)がひとつ入っていて、この木の下を歩いて友人宅まで帰ったことだけは確かだな、というところまでは解った。

後日友人にこの木を探してもらったのだが、とんでもないところに1本だけモミジバフウの街路樹があることがわかり、二人で大笑いしたことを思い出した。

いい気持ちに酔って歩き回ると、普段の行動とは違う道を徘徊してしまうもんだなぁ。。と、ちょっと反省するも面白いもんだ!

箱根・神山のサラサドウダンの花 … 自然観察・WanderVogel2014/06/19

箱根のサラサドウダン
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丹沢でも見頃を迎えているサラサドウダンの花。
写真は先日歩いた箱根・神山のサラサドウダン。
名前の由来は、写真のように花の紅白の縞模様がサラサのようなので名付けられました。

6月から7月かけて、枝先に淡黄色に紅色の筋が入る鐘型の花がたくさんつり下がるように咲くのが特徴です。
写真では葉はまだ開ききっていませんが、葉は互生で枝の先に集まり輪生状に広がります。

仲間のドウダンツツジは秋の紅葉がきれいですが、サラサドウダンの葉はあまりきれいに色づかないという印象があります。

朝比奈・鎌倉へと続く山道に咲く草花 … インストラクター・WanderVogel2014/06/21

ドクウツギの実
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先日(箱根)とは別の小学校の野外授業で、横浜市金沢区朝比奈周辺の森の自然観察にインストラクターとして引率することになり、その下見に行ってきました。

身近な森の中で小学校低学年の児童がどういうことに興味を示すのか、が最大の課題です。
とりあえずインストラクター数名と森の中を歩き廻り、興味を引きそうな話しのネタ集めをしてきました。

ここには自然に近い林・森もありますし、岩壁から水が染み出して小川へと変化する源流域のような場所やカワセミも来る小さな沼もあります。
また、里山のようにクヌギやコナラなどが植林された斜面もあります。クヌギ林では定期的に下草刈りが行われ、管理された里山の状態を観察することが出来ます。

まずはネムノキの花が咲いている場所を見つけました。花の香りはほのかですが、その分だけ わずかな匂いを嗅ぎ取ろうと真剣に反応してくれるかもしれません。
巨木に成長したカラスザンショウのトゲトゲの幹なんかも面白がるかもしれないね。
オカトラノオの名前通りの「虎の尾」のような花の形状も興味を引いてくれるのではないかなぁ。

森の中にはとうぜん毒の草花もたくさんあります。
ウルシの仲間のヌルデがあちこちに目に付きます。小葉の間の葉軸に、翼があるのが特徴なのですが、まれに翼の無いのもありますので、注意が必要です。
体質にもよりますが、葉や幹を傷つけると出てくる白い樹液に触れると、かぶれることがあります。

美味しそうな小さな紅い実をつけたオニシバリ(鬼縛)は、夏になると葉を落とし、冬に葉を茂らせるという変わった(へそ曲がりな)木ですが、落葉樹の多い林内にあっては、かえってその方が年間を通して太陽の恩恵にあずかれる、という低木ならではの生き残り策です。
鬼を縛れるほどの強い枝を持っていることからこの名が付けられました。ただし、その紅い実は有毒とされています。

いかにも毒々しい赤と黒の実をたくさん付けた低木は、その名も「ドクウツギ」
日本固有の在来種で、日本三大毒草(トリカブト(鳥兜)、ドクゼリ(毒芹)、ドクウツギ(毒空木))のひとつ。果実だけでなく全草が猛毒です。
口に入れるだけでなく、触った手で目や口を擦っただけでも心配です。
低木なので子供の手が届き易く、間違って口に入れる事故が多かったようで、見つけ次第駆除されてきたと言います。ここのは周りにバッチリと柵が巡らされていて、迂闊に触れることが出来ないようになっています。

ポッカリと空いた草地の広場には、たくさんのチガヤの白い綿毛が風に揺れていて、穏やかな風景が広がっていました。

どうと言うことも無いが、ネジバナ … ボランティア・WanderVogel2014/06/22

三渓園のネジバナ
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今日、三渓園の蓮池の縁で見つけたネジバナ。

湿っていて日当たりの良い、背の低い草地に良く生育するというが、まさしくその条件ピッタリのところに生えていたネジバナです。
多くは薄いピンク色をしていますが、ちょっと珍しい白色のものも咲いていて形でも色でもなかなか楽しませてくれます。

右巻き・左巻きが決まっているということはなくて、どちらもあるそうです。
なかには、途中から巻き方が変化する個体もあるということですので、やっぱりかなり変わり者です。

それにしてもこの花は、みごとにねじれてますねぇ!

ランの仲間なので珍しい花なのかと思うと割とそうでもなくて、気をつけて歩いているとけっこうそのへんに雑草として生えているものです。
ですがこのネジバナ、周りの他の植物と共に植木鉢に植えておくとよく成長するのに、単独で鉢植えにすると短期間で弱ってしまうといいます。

ラン科の植物はすべてが菌根を発達させて、共生する菌類から栄養を吸い上げているので、緑の葉が良く発達していても単独での鉢植え栽培が難しいのはそういうことなんですね。

植物というのは、知れば知るほどほんとうに面白いものです。

金沢八景・野島層のイワタバコの花 … 自然観察・WanderVogel2014/06/24

野島層のイワタバコ
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金沢八景・六浦から朝比奈、鎌倉にかけてはいわゆる「野島層」と呼ばれる凝灰質砂岩の地盤で出来ています。

三浦半島はだいたいどこも(年代的に開きはありますが)堆積(たいせき)層ですので、古代の海底に砂や火山灰・火山礫が堆積して出来た地層です。

鎌倉の山間部を形作っている「鎌倉石」と呼ばれる石・岩もこの凝灰質砂岩のことで、野島層、浦郷層、池子層などの層から採取される石のことです。
この地層は、柔らかく水分を含みやすく、摩耗し易いという特質があります。
今から300万年前から170万年前頃に海底に堆積した砂が隆起して岩化したもので、そのために貝の化石もそこからたくさん発見されます。

横浜の金沢区と栄区の区境を源とする「いたち川」の源流部周辺では、露出したこの「野島層」から水が染み出していて、(写真のように)イワタバコの生育にはピッタリの環境なのでしょう。
有孔質で根が張り易い垂直の岩肌に、地層に沿って横一列に紫色の可愛らしい花をつけたイワタバコの群生が連なっています。


この時期には鎌倉の古刹でも、同様に、凝灰質砂岩で出来た庭先に咲くイワタバコの群生を見ることが出来ます。
北鎌倉の東慶寺境内の崖に生えるイワタバコは美しいと、この時期かならず話題に上ります。

この東慶寺ですが、明治時代までは鎌倉尼五山として由緒ある尼寺で、駆け込み寺・縁切寺としても有名でしたが、明治4年に縁切りの寺法が廃され、広大な寺領もすべて失ってしまいます。

その後は寺院の維持もままならず急速に荒れ果ててしまい、とうとう明治35年には廃寺となり、多くの建物が荒れ果て朽ちて崩れてしまったようです。

では、その頃の建物はすべて消滅してしまったのかというと、明治40年に荒れ果てた仏殿は原三渓によって救われ、本牧三渓園に移築・再建されて今日も目にすることが出来ます。

茅葺き屋根の旧矢箆原家住宅の隣に、凛として美しい 方三間裳階付き(ほうさんげんもこしつき)の禅宗様の建物(旧東慶寺仏殿)がちゃんと移築され残されています。
もちろん、国指定の重要文化財です。

もとは鎌倉にあった尼寺・旧東慶寺仏殿 … 三渓園/文化財保全・HM2014/06/25

旧東慶寺仏殿正面
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昨日チラッと書いた、三渓園に残る「鎌倉の旧東慶寺仏殿」正面の様子(2014年6月)

建てられたのは江戸初期ですが、鎌倉の禅宗様建築、禅宗独特のスタイルをそのまま残しているので、禅宗様式の仏殿のデザインを学ぶにはうってつけの建物です。
もっとも、鎌倉まで足を伸ばせば、同様に方三間裳階付きの禅宗様建築である円覚寺舎利殿(室町時代建立で国宝に指定されている)をはじめ、多くの神社仏閣を見ることが出来ますけどね。

鎌倉の禅宗様建築の大きな特徴は、建物全体は石造りの基壇の上に建ち、内部にも床は張らない。ここでは瓦の四半敷きとなっています。
柱は石の礎盤の上に立ち、上端と下端を少しすぼめて丸めて細くしている。垂木下の組物は柱の上だけでなく、柱間にも配して詰め込んでいる。垂木は放射状に組み、扇垂木としている。

仏殿本体(身舎・もや)は桁行三間、梁間三間でその外側に裳階(もこし)と呼ばれる張り出しの下屋が付く「方三間裳階付き」という様式・スタイル。
屋根は今は寄棟造りの茅葺きで、裳階部分は杮(こけら)葺きとなっている。

入口正面の扉は桟唐戸で、側面の壁には火灯窓や板唐戸がある。内部の天井は板天井と化粧垂木の組み合わせではなく、格天井の厳格な造りとなっています。

といったように、禅宗様のデザインセオリーの通りに造られていることが解ります。


原三渓はこれを室町時代(弘安8年・1285年)創築(その後、江戸時代に改修された)と信じていたようですが、その後の研究から建てられたのは江戸初期(寛永11年・1634年)だ、というのが現時点での結論になっているようです。
*「三渓園の建築と原三渓」西和夫著、「鎌倉の古建築」関口欣也著 に詳しい。

東慶寺仏殿前の落ち葉掻き:http://hd2s-ngo.asablo.jp/blog/2013/12/21/

山上の農園(6月)・畑脇のエゴノキの実 … 畑仕事・WanderVogel2014/06/26

エゴノキの実
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昨日、東京・板橋では記録的な雹(大きさも量も)が降ったということで、山上の畑がどうなっているか少し心配で、今日時間をみて農作業に行ってきました。

東京のゲリラ豪雨騒ぎほど横浜は雨が降らなかったこともあり、畑は何ごともなく かえってもう少ししっかりと雨が降ってくれれば良かったなぁ、という感じでした。

今日の畑仕事は、ジャガイモの収穫が主で、あとは水やりとサツマイモの追加の植え付けなどで農作業は終わりにしました。

畑脇にはいろいろな樹木が生えていますが、この写真のエゴノキもそのひとつです。5月に白い清楚な花を下向きにたくさん付けていました。
それが今、みんな丸い白灰色の実になって、枝いっぱいに垂れ下がっています。

この実は、10月ころに熟して、果皮が裂けて種子が落下します。落ちた種子はヤマガラやカケス、ヒヨドリ、キジなど多くの山鳥のエサになります。
特に、エゴノキの実はヤマガラの大好物なのそうです。

エゴノキの果皮にはエゴサポニンという成分が多く含まれ、昔は石鹸の代わりに使ったり、魚毒性(麻酔?)があるので、すりつぶして小川に放り込んで「毒流し漁」に使ったといいます。
少量ですと人にはそれほど害はなく、この果実を口にすると、のどを刺激してえぐい(えごい)ため、この名前がついたといわれています。

毒流し漁は(ダイナマイト漁と同様に)今では、日本だけでなく世界中の多くの国で禁止されている漁法なのですが、明治・大正以前までは日本の山間部で(特に東北のマタギのあいだでは)村の年中行事という感じで行われていたのだそうです。
ある書物では、日本では縄文時代から行われていた「伝統の漁法」なのだとも書かれています。


越前谷武左衛門 著の「山村の八十年 マタギの里」には、「大正4年の夏・・・4部落の親方達が相談し、アメ流しをすることになった。・・」という書き出しで、「アメ流し(毒流し漁)」のことが書かれている。主にトコロ(オニドコロ・ヤマノイモ科)の根を揉み出して流したようだ。

「山椒の木の皮でもやった。皮を乾かして砕き、粉を作る。木灰を混ぜて川に流せばよくきいた。山椒の粉と木灰を等量に入れた木綿袋を水に入れて揉んだ。濃い茶色の汁が沢に流れ、イワナが弱って出てきた。なかには40センチ程もある大きなのが、苦しがって夢中で水面を下って来て、陸へ跳ねてバタバタしているのもあったし、次から次と出てサデ網ですくうのが忙しかった。・・・魚がいなくなるとまた袋を揉む。また利いて出てくる。」 と書かれている。
このへんのことは、秋田・食の民俗シリーズ ④ というサイトにも詳しい。


毒(麻酔)として使われる植物は、上記のトコロの根やサンショウの樹皮、エゴノキの(未熟な)果皮のほかにも、ウルシの樹皮やクルミ・ムクロジの実なども使われたようです。

いずれにせよ、今それを試してみることは出来ないが、「毒」と言っても一時的に魚を痺れさせるだけの効果しかないのでしょうから、川魚を壊滅させるわけではなく必要な分だけ獲ればあとは流れて逃げていくわけですから、「毒流し漁」という言葉の持つインパクトとは裏腹に、自然と共生した漁だと言えなくもないな。

山上の農園(6月)・畑脇のマサキの花 … 畑仕事・WanderVogel2014/06/27

マサキの花
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畑の脇にはマサキも植わっていて花を咲かせていますが、色も地味で花びらも小さいので花はあまり目立ちません。

ニシキギ科の仲間は、葉っぱは対生で共通しているのですが、落葉樹がいたり常緑樹がいたり、ツル性の植物がいたりするので見分け方は少々複雑です。

落葉樹のニシキギやマユミ、ツリバナなどは秋の美しい紅葉で有名ですが、マサキやツルマサキは常緑樹なので紅葉はしません。
また、コマユミは通常は落葉するのですが、中には常緑タイプもあるので、これがまたややこしい。

ニシキギ科の木は一見よく似ていて、パッと見では判別に迷うことがあります。

ニシキギ科の花はどれも写真のような緑白色の小さな花びらなので見分けがつきにくいのですが、花弁の枚数を数えると多少は区別しやすい。

マサキやマユミ、ニシキギ、コマユミなどは花弁が4枚、ツリバナやツルウメモドキは花弁が5枚ありますので、そこで見分けられます。
また、ニシキギには枝に茶色いコルク質の翼が付いていますので、そこを見るとマユミやコマユミとの判別は付き易い。


種子・実の様子に到ってはそれぞれにすごく個性的で、マユミの実は4裂して赤橙色の仮種皮に包まれた種子が4つ出てくるが、コマユミの実は2裂して赤橙色の仮種皮に包まれた種子が2つ出てくる。

また、ツリバナの実は5裂して赤橙色の仮種皮に包まれた種子が5つ出てくるが、ツルウメモドキの実は3裂して赤橙色の仮種皮に包まれた種子が5つ出てくる、といった具合に同じニシキギ科でもそれぞれバラバラでその姿もとてもユニークです。

秋になって実がつく時期に、マサキやニシキギ、マユミ、ツリバナ、ツルウメモドキなどニシキギ科の実をぜひ観察してみてください。 とても面白いですよ。

横浜自然観察の森・自然観察とホタル鑑賞 … インストラクター・WanderVogel2014/06/29

小学生の自然観察
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今日は午前中から、市内の小学校の4年生を対象にした自然観察会+ホタル鑑賞会のインストラクターを務めてきました。

金沢区と栄区の間にある自然観察の森のフィールドを借りて、140名余りの児童と先生方を対象に8名の森林インストラクターが引率して、森の中やアップダウンのある尾根筋・谷筋、水鳥の集まる沼、森と人とのかかわり合いを学べる里山・雑木林など多岐に渡る自然の姿を2時間半かけて見て回ります。

日本に生えている木も草も、昔から利用されすべて人の役に立ってきました。
山の中には役に立たないものはひとつもない、といえるほどすべてに渡って様々な効用を見つけて人はそれをうまく使ってきました。
いま、そういう「先人の知恵」みたいなものが日本から急速に失われていっているような気がします。

木材と言えば建築材料(柱、梁、壁材、屋根葺き材など主要な材料)をすぐに思い浮かべますが、じつはそれ以外にも様々なことに利用されてきました。

春の新芽は料理して口に入りますし、樹皮を取って染料にしたり紙を作ったり、葉っぱからは畑や田んぼの肥料も作りました。木の実は人間にも動物にも貴重な食料になりますし、絞って灯火の油にもなります。

もちろん石油や電気が生活に入り込むまでは、言うまでもなく木材が(暖をとるにも、煮炊きをするにも)唯一無二のエネルギー源でした。

小学生を連れて山を歩きながら、周りに生えている大きな木々を見ながらそんなこともお話をしていきます。

写真は、園内にある炭小屋(僕も会員になっている雑木林ファンクラブが行っています)に小学生たちを集めて、森の樹木がどういう具合に私たちと関わってきたのか、役に立ってきたのか、をお話ししているところです。
炭を焼く「炭焼き窯」なんて見たことない子たちがほとんどですから、とても興味を持ってもらえたようです。(なかには窯の中まで入って見る子も)


今日の関東地方の天気は、午後から突然の雷雨やスコールで大嵐のようになっているところも多かったようですが、横浜南部は朝方少し降った以外は終日かんかん照りの日差しで、まるで真夏のようでした。雨に降られることがなかったので、足下の不安はなかったのですが、アップダウンのある自然観察コースではちょっと暑すぎてハードだったかもしれません。

日が暮れてから、再度みんなでホタルの群れる池まで出かけます。
暗い闇の中を幻想的に飛び回る本物のホタル(ゲンジボタル・ヘイケボタル共に)を見せてあげることが出来たこと以外に、もうひとつ良かったなぁ、と思ったことがありました。
わずかな時間ではありましたが、班ごとに少人数に分かれて森の家からホタル池までの行き帰り、電灯もない真っ暗な山(?)道を歩いたことです。

真っ暗な山を歩く時に感じる自然に対する素直な恐怖心・気味の悪さなど、昼間同じ道を歩いた時とまるで違った姿がそこにはあるんだ、ということを経験できたと思います。
真っ暗な山道なんてものともしない子もいましたが、多くの子にとっては、自然の持つ「二面性」を少しは理解できたと思いますが、どうかな?

普段の生活のなかでは、本当に真っ暗な夜なんてありませんからね。
普段、経験しないことを今回は経験出来たのではないか、と思います。

小中学校の自然観察会では、こういうことを経験させることがとても大事なのではないかな、と思います。
大人の観察会インストラクター活動や古建築の解説ガイド活動などでは得られないものを今日は子供たちからもらうことが出来ました。
私のとっても今日は大変気持ちの良い、実り多い一日でした。

木造住宅の平面・構造・技術の流れを考える … 建築講義・文化財保全/HM2014/06/30

木造塾の講義スナップ
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先日、建築士会の技術支援委員会 木造塾部会の主催で開かれた「木造塾 2014第1回」に行ってきました。
ヘリテージマネジャーの講習他でもおなじみの小沢 朝江先生による「寝殿造・書院造から現代へ ・木造住宅の平面・構造・技術の流れを考える」と題された講義・講座でした。

今回の講義は表題のように、日本の平安時代~室町・鎌倉時代を経て江戸時代へと続く、木造住宅の流れを(駆け足で)探って行こうというものでした。
中身がすごく濃いのに時間が少ない(時間が無くて現代まではいけなかったよ)ので、話しをされる先生も苦労されたと思いますが、大変興味深い話題で楽しいものでした。

書院造りから数寄屋造りへの変遷の話しに関しては、(たんに僕が何となく思っていた)利休の思い描いた「書院造りを頂点とする正当派デザインあるいはあまりにきらびやかな桃山建築に対するカウンターパート」としての茶室・数寄屋造りという捉え方とは違う側面があるようで(そりゃそ~だ)、これもまだまだ奥が深いなぁ。 面白いなぁ!


話しのなかでも特に、民家に使われていた木材の材種の研究成果はとても興味深かったですね。
当時としては(厳格な)家作制限もあっただろうと思いますが、やはり民家の建築材種のセレクトにあたっての大きな要因は、(私有林であろうと入会林であろうと)その地方地方の山の植生に左右されていたことが解ります。(まあ、あたりまえと言えばそうなのだが…)

古くから材種の性質(耐候性・腐朽性、木材表面の緻密さ)や構造的な(材料力学的な)こと、をよく解っていて使っていたであろう、各使用部分ごとに変えられていた材種選定の内訳のことなど、興味は尽きません。
この辺のことって、意外と解っていそうで解っていない(研究が進んでいない)ことなんだよなぁ、とあらためて思ったしだいです。
また、民家であろうと神社仏閣であろうと、日本の建築の木材材種、材の大きさ(径と長さ)の変遷の解明とその時の日本の山の植生、大径木の総量などが明らかになれば、より多くの事柄が細かく解ってくるのだろうと、これもまた興味が尽きない。

日本にありながら、日本の建築、日本の民家に関してしっかりとした研究が進んでいない、知られていない、ことは残念なこと、さびしいことです。
極論すれば、「木と土で出来ている日本の建物」そのすばらしさを建築に関わる人だけでなく、一般の人にも伝え残していきたいものです。

森林インストラクターと三渓園でのガイドボランティア、、少しはそんなことの手助け・手伝いが出来ているのかなぁ、と思ったりもしているが、僕にはまだまだだな

横浜山手に関東大震災後に建てられた洋風住宅の修復見学会:http://hd2s-ngo.asablo.jp/blog/2014/03/29/

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