馬車道で開催されている「繭と鋼」展を見て … 建築散策・文化財保全/HM2014/06/16

アンペラの梱包
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横浜馬車道に建ってる「県立博物館」は、元々は横濱正金銀行として明治37年に竣工した 石造/煉瓦造の建物で、横浜の歴史を代表する建築物です。

今、「繭と鋼」展(6/22まで)が開かれていて、先日 神奈川県建築士会に寄ったついでに、足を運んで見てきました。
ちょうど「富岡製糸場と絹産業遺産群」が今年の世界遺産登録にリストアップされたということで、タイムリーな企画でした。

今月の初めに大桟橋近くにある「横浜開港記念館」で開かれていた「蚕の化せし金貨なり」を見てきた(6/2のblog)こともあり、明治期の横浜開港と絹生産・貿易が日本に果たした重要な役割というのを包括的に再認識することが出来ました。

横浜では他に「シルク博物館」を加えた3館で絹をテーマにした「横浜絹回廊」という展示会を行っていて、みなそれぞれ興味深い展示内容になっています。

展示室内には明治大学やクリスチャン・ポラックのコレクションが多く出品(撮影禁止)されていますが、このアンペラの輸出用梱包はシルク博物館所蔵のもので以前も見たことがありました。

幕末から明治期には「絹製品」だけでなく「お茶」なども、こういったアンペラで編んだ梱包方法で貨物船に積み込まれて、横浜港から海外へと運ばれていったのです。

会場にはこのアンペラ梱包や絹糸の包みに貼られた「商標」の紙が大量に掲示されていて、それぞれが精緻に描かれた図案が明治期の気概を感じさせます。

また、同じようにアンペラ梱包でその頃輸出されていた「茶」には「西洋文字を使った絵票(ラベル)」という意味の「蘭字」という薄い和紙で出来たラベルが貼られていたといいますから、輸出の方法は「絹」の場合と全く同じだったんですね。

ちなみに、茶業界で使われる「蘭字」という言葉は、中国語で「蘭」は「西洋」を「字」は「文字」を表しているのだそうです。お茶の場合には、明治の頃に使用された洋式印刷の強い匂いのインクが嫌われたことで、蘭字は木版印刷の多色摺りだったということです。

また、会場には当時の横浜の古写真(西洋人・主にフランス人 から見た日本の風物、人物写真)と日本人から見た西洋の文物、西洋人の錦絵が向かい合わせに展示されていて、西洋人・日本人のお互い側から見たそれぞれの捉え方がわかるような気がして面白い仕掛けになっています。


ネットで調べてみると、「アンペラ」とはポルトガル語を語源とするようで、筵(ムシロ)とか敷物の意味のようです。
一説には同じポルトガル語の日覆い「amparo」から転じたという。また、茎を平らにして、敷物や帽子などを編んだことから「編平(アミヘラ)」が転じたという説もあります。

原料はカヤツリグサ科 アンペライ属のアンペライという植物で、低地の湿地に生え、高さ1メートル以上にもなる多年草だといいます。

この生糸輸出用梱包のアンペラは、明治期には主に香港などを経由して東アジアから輸入されていたと言いますから、開港されると同時に一気に横浜港は輸出入の一大港として発展していった様子をうかがい知ることができますね。

1930年(昭和5年)就航の(横浜港に係留展示されている)日本郵船の氷川丸には「シルクルーム」という輸出生糸専用の貨物室まであったといいますから、幕末/明治から昭和の初めまで「生糸」は日本の重要な輸出産物だったことがわかります。

「明治大正の生糸産地と横浜」展:http://hd2s-ngo.asablo.jp/blog/2014/06/02/

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