隣町の追浜町にある雷(いかづち)神社 … 周辺散策・WanderVogel2015/04/14

追浜の雷神社
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金沢八景・六浦の横須賀寄りに追浜(おっぱま)町はある。
その町を通る国道16号線に面するように「雷神社」は建っている。

昔から「かみなりじんじゃ」と何となくみんな呼んでいたが、正式には「いかづちじんじゃ」というのが正しい呼び方なのだそうだ。

社伝によれば創建はかなり古く、承平(じょうへい)元年(931年・奈良時代)といわれている。
以前は築島というところに社があったのだそうだが、天正9年(1581年・安土桃山時代の最初のころ)に、落雷によって焼失した築島の鎮守・社を朝倉能登守(小田原北条氏時代の浦郷村(今の追浜南町)の領主であった武将)が今の地に移し「雷(いかづち)神社」と名を改めた、とある。

また、朝倉能登守の居城(浦郷陣屋)は、今の京急追浜駅の裏側、湘南病院の隣にある鷹取公園内にその痕跡を見ることが出来る。

築島(今の追浜町3丁目会館が建っている場所)には、社の御神木であった柏槇(ビャクシン)の枯れ木のようになった古木が今も残っている。
当時、この辺りまで海が入り込んで入江になっていて、塩田の中の小さな島となっていたのだそうだ。
昭和6年に建てられた「雷神社旧跡之碑」の後ろには(ほとんど気付く人もいないですが)小さな池が残っていて、その名残をわずかにとどめている。

・・豆知識・・
柏槇・ビャクシンとはヒノキ科の針葉樹のことで、中国大陸ではこれをヒノキ(檜・桧)というのだそうだ。
(くれ板葺き屋根の材料として知られる「ネズ」もビャクシンの仲間だ。)
鎌倉・建長寺の境内には、樹齢750年というビャクシンの古木が、三門から仏殿との間に立っていて、そのうちの7本が鎌倉市の天然記念物に指定されている。


雷神社の境内には写真に写っているイチョウの巨木をはじめ、樹齢400年を超えるといわれているご神木のイチョウの木が何本もそそり立っていて、なかなか壮麗な雰囲気に包まれている。
残念なことに年々周辺が住宅地などで浸食されてきていて、僕が高校生の頃から比べると境内の景色も、かなり規模が小さくなったような気がする。
石の階段を登った高台にある現在の社殿は、昭和35(1960)年に竣工したRC造の建物ですが、当時の県コンクール入選の建築物だそうです。

境内には本殿やご神木の他に、階段脇の下の段に戦没者慰霊碑と浜空神社とが並んで祀られている。
浜空神社は追浜海軍航空隊(おいはまかいぐんこうくうたい)の守護神であった鳥船神社から遷座されたものだ。

・・補足・・
戦中、雷(いかづち)という名の旧日本帝国海軍の駆逐艦があった。1932年に浦賀船渠(ドック)で竣工した駆逐艦だ。
追浜海軍航空隊の戦没者をお祀りしていた「浜空神社」が移築されていることもあって、雷(いかづち)神社は(何を勘違いしているのか) “艦これ” の「聖地」と言われて、最近は聖地巡礼で参拝者(?)が増えているという。
そのせいで、雷神社には “艦これ” の「雷・いかづち」という“艦娘”を手描きで描いた絵馬がたくさん奉納されるようになった。
まったくもって、世も末である。

ちなみに、“艦これ” とは「艦隊コレクション」というネットゲームのことをいう。
旧帝国海軍の航空母艦・戦艦・巡洋艦・駆逐艦などの艦艇を(海軍つながりなのか?セーラー服を着た)女性キャラクターに擬人化して、そのカード「艦娘・かんむす」を駆使して、ネット上で交戦するゲームのことをさす。

これの陸軍バージョンともいうべきものが、いわゆる「ガルパン」。言わずと知れた「ガールズ&パンツァー」のことであるが、話が長くなるのでここは省略する。

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