シルクロードを放浪する老バックパッカーの想い出5 … 海外・WanderVogel2021/08/15

ウルムチのナン屋 1984年冬
- -
写真:1984年秋 新疆ウイグル自治区ウルムチのナン屋の店先

旅での楽しみのひとつに現地での「食事」がある。
でも、場所によってはこの「楽しい食事」が苦痛に変わることもある。

特に土漠地帯(イスラム圏)は気候も厳しかったし、食事環境も過酷だった。
写真は、新疆ウイグル自治区にある「烏魯木斉・ウルムチ」という地方都市の街角のナン屋(パン屋)の様子。
ウルムチは、北にジュンガル盆地、南に天山山脈に挟まれた乾燥した地にある。シルクロード・東西交流で栄えてきた天山北路の要衝で、歴史のある古都だ。
店の中のカマドで焼き上げた数種類のナンを店先に積み上げて売っている。形は違えどだいたいみな同じ味だ。酵母を使っていないので総じて硬い。

ナンの脇には半身に切られたヤギの肉がぶら下がっている。先ほど屠殺され皮を剥かれ柱にぶら下げられたもので、当然これも売り物である。
1970年代、1980年代は中国西域地域では一般には「冷蔵庫」といったものが普及していなくて、肉類(魚も含む)は基本的に屠殺してすぐに販売・調理するものと決まっていた。なので、肉屋の店先と売られていく動物の待機所とは直結していた。

パキスタンやイランの土漠地帯ではそれでもまだ、ヤギ肉やヒツジ肉の他に副産物としてヨーグルトやチーズが作られていて、調理素材のバリエーションがいくらか広がるのだが、新疆ウイグル自治区では基本的に食事と言えば、シシカバブとナン、チョウメン(ヤギ肉入りの焼きそば、のようなもの)、刀削麺(ヤギ肉風味のスープに入った短い麺、のようなもの)、モモ(ヤギ肉入りの包子)などで、それをローテーションで毎日食べることになる。

1週間、2週間であれば「若さ」で乗り切ることも出来るが、1ヶ月、2ヶ月と続くとなかなか辛いものである。
特にヤギ肉はイカンな。一度その独特の匂いが気になり始めると、その匂いだけで身体が受け付けなくなる。

1980年代は妻と2人で旅をしたこともあって、いくら元気な若い女性であったとしても、さぞかし辛い旅であったことだろうなぁと、60歳を過ぎ今さらながら懺悔するのである。
(そこへいくとインドなどは天国である。当時でも、インドには「カレー」しかない(つまり、マサラの匂いのしないものは無い)と言われていたが、それでもバリエーションがあるので救いがある。)


西域土漠地帯の食べ物で唯一の救いは果物だ。
総じてどこでも果物(あるいはドライフルーツ)は豊富で、数種類のブドウ、フットボール大のメロン、ザクロ、アンズなど美味しい果物がたくさん売られていて、市場でも露天でも簡単に手に入った。ただし、すべて常温で売られているので温かい。
なので、いったん宿に戻って冷たい泉の水で冷やして食べるとこれがまさに「絶品」なのである。
ついでに言うと、200年以上前に紀昀(きいん)も記しているように、ブドウなら土魯蕃(トルファン)産、メロンなら哈密(ハミ)産が一級品だ。

烏魯木斉(ウルムチ)の町の南側には4,000~5,000mを越える天山山脈がそびえ、その高峰は夏でも雪が消えることはない。山間から延々とカレーズによって冷たい雪解け水が引かれ「泉」となり、人々の喉を潤してきた。
西域土漠地帯にあるウルムチは他のオアシス都市に比べると降水量には恵まれた地ではあるが、麦を作るにも果実を育てるのにも基本的に雨には頼らない。古来よりカレーズによって引かれる雪解け水で暮らしを維持してきたのだ。

西域・土魯蕃の暮らしぶりについては、中国、清代乾隆年間の学者であり詩人の紀昀(きいん)の詩に良く描かれている。
紀昀は、罪を問われ(左遷され)新疆ウルムチに1770年から1771年の2年間流されていた。その間に著したという「烏魯木斉雑詩」がとても面白い。
西域ならではの珍しい風景や風俗などが情景豊かに詠われていて、200年の時の流れを越え1980年代の旅の中でも納得させられるものがあった。

- -
アクセスカウンター