ネパールヒマラヤ・Phuへの旅/記録 6 … 海外・WanderVogel2021/08/04

Phu村のバッティにて
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写真:Phu村で唯一開いていたバッティにて、2018年12月

Phu村で唯一開いていたバッティで朝を迎えた。
旅では毎晩ガイドのラムさんが湯たんぽを用意してくれる。極寒の室内でもベッドの中だけは極楽だ。う~ん、やはり湯たんぽはありがたい!

朝食の時に聞いてみると、このバッティの一家も含めて、村人はだいたいみな今日中に下のkyang村まで下るのだそうだ。
いやそうだとすると、昨夜いきなり来て泊まることが出来て、ホントにラッキーだった! というか、1日ズレていたらどうなっていたことか!ほんと今回も冷や汗ものだった。(実際その話を聴いたときは恐ろしさで身体が震えた。)

Phu村では冬は、年寄り連中は動物たちを連れてKyang村あたりまで下って「冬ごもり」をする。若い人はカトマンズまで出稼ぎに行くという。
12月以降の冬期間は、まとまった積雪があるとKyang村からPhu村までの山道(生活道)が閉ざされてしまうので、村人はみな下の村に下るとのこと。そうなると、我々のような外国人がこの間にトレッキングをすることなど到底 ”無理”ということだ。なんとか村までたどり着いても泊る場所もなく、食事すら手に入らないというのでは、命にも関わる問題だ。
ひと雪ドカッと降ればそれこそ言葉通り「進退窮まる」事態になりかねない

村人と共に下って行くロバや馬、ヤギ、ヤクの隊列を眺めながら、ガイドのラムさんと「いやぁ~、ギリギリセーフ!という感じだったな。到着が一日遅れていたら途方に暮れていただろうな」などとしみじみ話しをした。

朝食後、Phu村を散策。村自体はそれほど大きくないので1時間もあればぐるっと一周することが出来る。すり鉢状の地形に沿って家屋が展開しているPhu村の裏山頂上に建てられている古いゴンパまで登ってみる。上からの村の俯瞰もなんとも幻想的で不思議な光景だ。(僕が出発間際に見た写真がまさしくこれだった。)

標高4,080mのPhu村でも夏の間は(種類は解らなかったが)「麦」が収穫出来るのだそうだ。逆に、荒れた地でも良く育つと言われる「蕎麦」は、標高が高いゆえに育たないのだそうだ。
この乾燥した地だと青菜類も採れそうにないだろうし、耕作の条件としては最悪な土地の部類だろう。食料にせよ他の物資にせよ、ヤクや馬、人の背を利用して運び込むしか方法が無いのだが、交易の民「チベット族」ならそのあたりはNo Problemなのだろう。


朝9時を回るとPhu Kholaの河原にまで太陽の陽射しが射し込み、Phu村全体に陽が当たり出す。
昨夜泊ったバッティも各扉に外から大きな錠が掛けられ、旅立ちの準備をしている。
バッティの一家も他の村人と家畜と一緒に今日中にKyangに下るのだと言う。

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