地元散策:浜空と横空と追浜空 … 地元の歴史探索・WanderVogel2016/02/26

雷神社内の浜空神社
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僕は金沢八景の六浦に住んでいるのですが、ここは田舎のわりに周りにいろいろ面白いものがころがっていて飽きない土地なんですよ。
ということで、今日はひとつ 地元自慢をしてみよう。(今までも何回か地元自慢をしてますが…)

日頃利用する交通機関にはいくつかあって、横浜駅やみなとみらい方向であれば京急本線の金沢八景駅、横須賀・三浦方面であれば京急/追浜駅、逗子や鎌倉・小田原方面ならば京急逗子線の六浦駅、杉田や幸浦へは(滅多に使うことが無いのだが)モノレールのシーサイドライン金沢八景駅が最寄りの駅と言うことになります。
大都会の東京・渋谷・新宿などへ出るにはちょっと遠いのですが、横浜駅までなら電車で15分~20分程度なので、気軽に行ける「都会」と言うとみなとみらいくらいでしょうかね。
ですから、やはりここは田舎だな・・・

自宅近くまで海が入り込んでいて、海釣り・舟釣りが盛んで船宿もたくさんあって、近くに漁港(柴漁港)もあります。
目の前の川は汽水域ですので、季節によってハゼ釣り、ウナギ釣り、ボラ/スズキ釣りなど川岸に釣り糸を垂らす人の姿をよく見かけます。
野島の浜では(撒いたものではない)アサリやハマグリも採れます。引き潮では潮だまりが出来ますので、たくさんの渡り鳥や海鳥もやってきます。

車で10分も走ると、横浜市で一番広い面積の自然公園や里山もあり、日本野鳥の会の自然探索やバードウォッチングも盛んで、動物園や植物園も中にあります。
また、近くには水族館(八景島シーパラダイス)もあって、バーベキュー場も併設されていて、自然に囲まれた野趣豊かな田舎町という感じです。


鎌倉時代には金沢八景(六浦)までが武蔵国、追浜(おっぱま)から三浦半島や逗子・鎌倉などが相模国という感じで、国境(くにざかい)を形成していた地でもあります。
六浦から鎌倉へと抜ける朝比奈切通しや、逗子から鎌倉に抜ける名越切通し などは、周りを鬱蒼とした木々に囲まれ外界からすっかり隔絶されていて、往時もこんな感じだったのではないかと想像を膨らませるほど鄙びた雰囲気を今に残しています。

また、追浜の「夏島」にあった伊藤博文の別荘は、明治20年に大日本帝国憲法が草案された場所として(一部の人には?)よく知られています。
(金沢八景の野島にも伊藤博文金沢別邸というのがあって、こちらでは建設当時の姿に復元されていて、内部の見学も出来ますし抹茶もいただけます。)


大正時代から敗戦までの間は、追浜にはお隣の横須賀海軍航空隊(横空)から分離設置された追浜(おいはま)海軍航空隊(追浜空)があり、金沢八景から富岡・根岸にかけては横浜海軍航空隊(濱空・浜空)、飛行艇専用民間飛行場(根岸飛行場)などが置かれていた、という具合に海軍航空隊や民間航空会社の施設が海岸線にずらっと並んでいたという歴史があります。

写真は追浜にある雷(いかずち)神社の境内に移築建立されている「浜空神社」の社です。
もともとは金沢区富岡にあった横浜海軍航空隊(濱空)(現在の富岡総合公園の位置)内に建立されていた守護神社(鳥船神社)なのですが、世話人の老齢化により維持管理が出来ない、ということから横須賀市追浜の雷神社境内に慰霊碑とともに平成20年に移されたのだそうです。最近ではけしからんことに、「艦これ」の聖地のひとつなのだといいます。

では、追浜に元々あった追浜海軍航空隊(追浜空)の慰霊碑などはいったいどこにあるのかと言うと、京急/追浜駅から夏島方向に2kmほど行った小高い丘の上・貝山に建てられています。
ちなみに、この貝山の地中には当時の海軍の大防空壕があり、長野県松代(まつしろ)の松代大本営跡(象山地下壕)よりも規模が大きいと言われていますが、残念なことに松代と違い一般公開はされていません。

もちろん、夏島の方にも大規模な海軍防空壕が掘られていますし、野島にいたっては国内最大級の掩体壕が掘り抜かれています。掩体壕内に、隣にあった追浜空の海軍機100機分を収納することを目指していたといわれています。


横浜海軍航空隊(濱空)というのは、日本初の飛行艇による航空隊として昭和11年に発足しためずらしい航空隊だそうで、説明には「広大な陸上の敷地と(現在埋立てられてしまっている)根岸湾に水上の飛行艇発着場を専有していた。隊員約1千名と大型飛行艇(九七式飛行艇、二式大艇など)二十四機を有する海軍最大の飛行艇専門航空隊としてその威容を誇ったものである。」と記されています。
そして、航空隊の最後は地元横浜ではなく、「ソロモン最前線のガダルカナル諸島ツラギに進攻作戦中、アメリカ海軍機動部隊の反撃をうけて(米海兵隊の上陸、全機駐機場で破壊)、昭和十七年八月、宮崎司令官以下三三八名が壮烈な玉砕(全滅)を遂げたのである。」とありました。

その歴史をもってこの神社をお参りすると、何とも言えない悲しみがこみ上げてきますね。(艦これの聖地だなんて言って浮かれている場合じゃないぞ!)


と、最後は地元の自慢話でもなんでもなくなってしまいましたが、当時、民間航空路として根岸湾内の海上の飛行場から(当時日本の統治下にあった)南太平洋の島々へ向けて民間の大型飛行艇が飛び立って行ったというのは、(歴史的なことは抜きにして)みなと横浜らしくもあり、そこだけ見るとなんだかとってもロマンチックな雰囲気が漂ってきますね。

ちなみに「飛行艇」というのは、映画「紅の豚」に出て来るような車輪の替わりに翼の下に大きなフロートを取付けた、双発あるいは四発の飛行機のことです。
海上を走って離着水をしますので、南方の小さな島で飛行場の無いような島でも、波の穏やかな湾さえあれば安全に着水が出来るというわけです。

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