Alpinismo Acrobatico … WanderVogel ― 2011/02/15
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ギド・レイの書いた古典的山岳文学
日本語訳は、1956年にエーデルワイス叢書(Alpinisme Acrobatique)から出版されましたが、僕が読んでいたのは1979年に近藤 等訳で講談社文庫から出版されたものでした。
当時(1979年)でも、登山やクライミングは今のように広く認知されてはいなかったように思います。
残念ですが「山ガール」なんていませんでした。 影も形もありませんでした。
植村直己氏も登山家と言うよりは「冒険家」と、よく解らない紹介のされ方をされていましたし…。
山登りや岩登りはどちらかと言うとアウトロー的なスポーツでした。
もちろんアプローチする交通機関も宿泊施設(質素なテント・薄いツェルト)も、山の装備も今と比べ物にならないほどお粗末でしたから、相応な精神的経験と肉体的訓練があってこそ踏み出せる世界でもありました。
「アルピニズモ・アクロバチコ」の著者ギド・レイは、それほど傑出したクライマーではなかったと思います。
でも彼の語る文章は 雄大で叙情的な趣に溢れていて、心の中に美しい山の世界を魅せてくれます。
「山への憧れは、労働のように有益で、芸術のように高尚で、信仰のように美しい」 と書いています。
ギド・レイは、ガストン レビュファーと双璧をなす偉大な登山家にして、アルピニズムの名ガイドでしょう。
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ギド・レイの書いた古典的山岳文学
日本語訳は、1956年にエーデルワイス叢書(Alpinisme Acrobatique)から出版されましたが、僕が読んでいたのは1979年に近藤 等訳で講談社文庫から出版されたものでした。
当時(1979年)でも、登山やクライミングは今のように広く認知されてはいなかったように思います。
残念ですが「山ガール」なんていませんでした。 影も形もありませんでした。
植村直己氏も登山家と言うよりは「冒険家」と、よく解らない紹介のされ方をされていましたし…。
山登りや岩登りはどちらかと言うとアウトロー的なスポーツでした。
もちろんアプローチする交通機関も宿泊施設(質素なテント・薄いツェルト)も、山の装備も今と比べ物にならないほどお粗末でしたから、相応な精神的経験と肉体的訓練があってこそ踏み出せる世界でもありました。
「アルピニズモ・アクロバチコ」の著者ギド・レイは、それほど傑出したクライマーではなかったと思います。
でも彼の語る文章は 雄大で叙情的な趣に溢れていて、心の中に美しい山の世界を魅せてくれます。
「山への憧れは、労働のように有益で、芸術のように高尚で、信仰のように美しい」 と書いています。
ギド・レイは、ガストン レビュファーと双璧をなす偉大な登山家にして、アルピニズムの名ガイドでしょう。
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