小田原・板橋地区の町並み散策 … HM・建築の旅・WanderVogel2013/01/20

箱根板橋町並み
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風邪をおしてHM講習の一環として、小田原・板橋地区の町並み散策に出掛けた。

小田原はお城とかまぼこ、干物が有名で、かえってそれ以外思い浮かばない人も多いかと思いますが、城下町であり東海道の宿場町として栄えたところであるとともに、明治期に入ると有数の保養地として注目されるようになり、多くの別荘/別邸がつくられるようになります。

明治34年(1901)に元の小田原城が御用邸として整備されたのをきっかけに、皇族方や軍人/政治家、財界人たちが次々に別荘を構えることになります。
そのころに、箱根から続く尾根の斜面に沿って造られた山縣有朋や三井財閥を支えた益田孝らの別荘/別邸には、日本を代表する茶人らが集まり、小田原は「茶の湯総本山」と言われたほど文化的にも重要な地であったといいます。

写真は板橋地区の旧東海道に面して建つ明治36年に造られた「旧内野家住宅」です。
醤油製造業兼店舗として使われていた店舗併用住宅で、当時流行した東京/川越などに残る「関東型土蔵造り」で造られています。
(この建物は小田原市の歴史的風致形成建造物指定候補になっている)

今、全国でこうした、国宝とまでは言えないが(おじいちゃん/おばあちゃんの時代までは普通の風景であった)古い町並みや地域の佇まいを民間の歴史的遺産として守っていこうという機運が高まってきています。
ただ、こうした取り組みは個人や地域ボランティアのレベルでは限界があるのも事実で、市や県/国の支援体制が整わないとあっという間に消えていってしまうものです。

公的予算削減の世の中の動きの中で、行政が必要な予算を付けるのは高いハードルであることは解りますが、経済対策と称してスクラップアンドビルドの再開発事業に予算を付けるより、こういう当たり前の風景でありかつ貴重な地域文化遺産を守っていくことの方が「国」レベルで考えたとき、重要な施策なのだと思うのだが…


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