神奈川県建築士会・近代建築の幕開けと横須賀 … シンポジウム・邸園/文化財保全2013/11/08

横須賀シンポジウム
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今日は第11回 神奈川県建築士会活動交流会 よこすか大会が、横須賀の文化会館で開かれました。
午前中から横須賀の軍港や街並み散策などのツアーも催されましたが、都合がつかずシンポジウムだけ参加してきました。

講演は2題で、横須賀開国史研究会会長の山本詔一氏の「日本の近代化は横須賀から」と防衛大学校准教授の正垣孝晴氏による「横須賀造船所第1号ドライドックの建設と編年変化」と題した公演でした。

特に「横須賀造船所第1号ドライドック」についての講演は期待以上に充実した内容で、講演する時間が足りなくなり、しっかりと話しが出来たのは半分くらいであとは時間切れ、という感じでした。もっと聞きたかったなあ、と残念な気持ちで閉会となってしまいました。

江戸幕府、明治維新、明治新政府と新しい日本の激動の時代を背景として「横須賀造船所・ドック」がどれほど重要な位置づけであったのか、なぜ横浜ではなく横須賀が選ばれたのか、建設にあたっての東京湾の成り立ちからの地質学的な観点、江戸/帝都の防衛上の見地からの話しなど多岐に渡る話しのひとつひとつが非常に興味深くとても有意義な講演でした。

ドライドック建設の技術的な興味はもちろんですが、日本が開国に向けて動き始める時代のフランスやイギリスの対東アジア戦略や、中国、日本が直面していた国際情勢の緊迫感などがひしひしと伝わってきました。

この時のドライドックの建設技術、製鉄技術、レンガやタイルの製造技術、木骨レンガ造の建築技術などがそのまま、群馬にある「富岡製糸場」建設に直接的に結びついていることなど、歴史上の事柄が推理小説をひも解くような臨場感を持ってピタッと一つにつながった感じがしました。
そして、このドライドック建設に費やされた莫大な建設費は、横浜を舞台とした「生糸」輸出で稼いだ外貨で支払われていると言う事実にも改めて納得させられました。

横須賀製鉄所(後に横須賀造船所)の建設を指揮したフランス人技師ヴェルニー、軍医であり植物学者でもあったサヴァチェ、設計技師フロランとバスティアン(後に富岡製糸場を設計/建設)、日本(幕府)側の総責任者であった小栗上野介忠順(タダマサ)らの活躍は、そのまま近代日本建設の基礎となったと言ってもよい。
同時に、江戸末期から明治時代にかけて国内外の激動の時代にあって、幕府側、新政府側のどちらにも「日本」という国の行く末を真剣に考え、実現に向けて英断を下した政治家と優秀な官僚たちがいたことに今さらながら感謝の気持ちを強くしました。
その時代のことを私たちはもっともっと知らなければいけないと思います。

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