西丹沢・大叉沢支流法行沢 … FF・WanderVogel2014/01/08

大叉沢支流法行沢
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昨日の写真に引き続き、西丹沢にある 法行沢の冬枯れた早朝の渓相:法行沢橋から上流側を見た風景。

大叉沢の支流の一つ 法行沢、途中に堰堤や小滝やゴルジュ帯もあるが沢通しで遡行することが出来ます。(堰堤上から入渓するほうが無難かも)
法行沢は上流で上法行沢と名を変えて、大栂へと突き上げていきます。
途中 1/25,000地図の803m表記のピークを左に巻いたあたりから右岸を突き上げる(踏み跡あり)と織戸峠に出ます。そこから反対方向を下ると織戸沢に出て旧水の木集落(水の木沢)へと下って行けます。

西丹沢ほぼ全域に言えることですが、山中には昔の製紙会社や電力会社、林業関係の作業路や旧林道などが沢や峠、尾根沿いに縦横に走っていてその踏み跡にかえって惑わされるほどで、よほどのことが無い限り遭難するということは無いのではないかと思います。
とは言え、山は山です。くれぐれも油断は禁物です。

東丹沢には沢登り遡行に適した魅力的な沢筋が数多くあり、私も大学のワンダーフォーゲル部時代には東丹沢の沢にはよく通いました。
対して、西丹沢の沢というのは比較的穏やかで沢屋のゲレンデというよりは渓流釣り師のホームグラウンドという感じの渓相をした沢が数多くあり、南関東でも数少ない自然渓流釣りが楽しめる貴重なエリアではないかと思っています。

その多くは酒匂川水系・丹沢湖上流の沢だと思いますが、世附川、河内川、玄倉川、小菅沢など丹沢湖に注ぐ支流の中でも渓流フライフィッシィングに限れば、世附川の沢筋が一番魅力的に感じます。
その理由は、渓相が美しくて穏やかなわりに山深いことから沢の長さが長くて一定の水量が常にあること、また電力会社の取水口が比較的少なくその上から釣り上がっても源頭部まで十分な距離が確保されていることなどが挙げられます。
また、沢筋が比較的開けていて真夏でもボサが少なく、フライフィッシィングのロッドの取り回しも楽というのも良いですねぇ。

何といっても魚影が濃いというのは大きな魅力です。
関東エリアでも一番西寄りで、首都圏からはちょっと遠いので現場までは車でアプローチするしかありません。首都圏からならその移動時間を考えると、群馬県や新潟県(南魚沼)、長野県まで移動するのとたいして変わりません。
世附川の場合に限れば駐車場から林道歩きが長い(2時間)ことと、林道の崩落が未だに改修されていないことなどもあってなおさら足が遠のくのかもしれません。
そのような理由から、他の河川に比べると渓魚(多くは放流魚ですが)が残る結果となり、魚影の濃さにつながっているのだと思います。

ただ、ここ数年は大きな台風が来るたびに荒廃した山肌が崩れて大水が発生し、沢が荒れてしまうことの繰り返しが起こっています。最近では日本中のどの川・どの沢でも同様のことが言われていますが、特に世附川では顕著に現れています。

今さらながら、丹沢の山を(沢を)守っていく地道な(草の根)活動はさらに重要度を増していくのだろうな、と感じています。
渓流に棲む魚だけでなく、丹沢水系の水は神奈川県民の水の「源」であり生命線なのですから。

根岸にある洋館付き和風住宅・旧柳下邸 … 建築散策・WanderVogel2014/01/08

昔の玄関のしつらえ
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年末に建築士会とYOKOHAMAヘリテージの町歩きイベントがあって、三渓園ボランティアの帰りに参加して来ました。
その時に拝見した横浜/根岸の高台に建っている洋館付き和風住宅「旧柳下邸」の洋館部分の表玄関のスナップです。(撮ったのはこの1枚だけですよ)

今では貴重な存在となってしまったこうした和風のしつらえも、ほんの一昔前までは結構自分の家でも見かけたような何てことない和の風情なのですが、本当に周りから一気に姿を消してしまいましたねぇ。

木製格子のガラス戸も玄関タタキのモザイク文様のタイル張りも、人造石研ぎ出しの靴脱ぎ石も、板目模様の式台のような小上がりもつい最近まで(いや、子供の頃と言うべきか…)普通に目にしていたような気がします。
それこそ私が子供の頃には、どの家にも玄関脇には写真のような外套掛けの付いた木製の傘立てがあったりしたものです。また、同じような造りの彫り物の付いた台の上には電電公社の重いダイヤル式の黒電話が乗っていて、黒電話の上には手作りの白いレース編みのカバーなんかが掛かっていたりしたものです。
家でも家具でも欠けたり壊れたりすれば直して使うことが当然で、捨てて新しいものを買う(住宅も同じ)ということはあまり無かったように思います。また、いろいろなものは役目を終えれば別なものに再利用することが前提だったんですね。

ですのでこういうものを見るにつけ、建築も住宅も何だか慌ただしい時の流れと共に本当に大切なものを次々に失っていった、そんな寂しい気持ちがしてきてしょうがありません。

ことさら昔を懐かしむという気持ちは無いのですが、最近では近代的で(この言葉も死語だな)新しい建築物を見に行くたびに、何だか偽物っぽい、まがいものの匂いがして感動すること自体少なくなってきています。(そりゃ〜 なかには感動するものもありますよ、ええ)

町の風景は、建物は、住宅は、本当に豊かになったのだろうか? 私たちの日常は昔より豊かになったのだろうか? 以前よりも豊かな時間をみんな過ごしているのだろうか? と、ふっと思ったりします。

それはさておき、とりあえず旧柳下邸HPの紹介文の一部を転記すると、
「旧柳下邸(きゅうやぎしたてい)の建物は明治~大正期の有力商人であった柳下氏により建設されました。大正12(1923)年の関東大震災では一部倒壊したものの、大部分は損失を免れ、その後、戦争など激動の昭和史の中を、柳下家の人々により大切に守り受け継がれてきました。」とあります。

大きくて存在感のある神社仏閣や有名な茶室など国宝・重要文化財級の建物を見に行くことももちろん楽しいことですが、たまにこういう一昔前まで普通にそのあたりに存在していた(あるいは昔の自分の家もそうだった?)、そういう住宅を見に行くこともすごくためになるのではないかな。私たちが失ってしまったものを思い出すために。

ここでは、1月12日(日)と13日(月/祝日)に「和を楽しむ小正月〜お飾り〜」というイベントが行なわれ、かるたとり・福笑い・百人一首など子供の頃のあそびが行なわれるそうです。

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