シルクロードを放浪する老バックパッカーの想い出7 … 海外・WanderVogel2021/08/28

クーンブ地方のトレッキング
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写真:2017年冬、クーンブ地方エベレスト街道のトレッキング途上にて、新旧2本の吊り橋の掛かるドードー・コシ渓谷をバックに。渓谷の向こうにピョコンと頭を見せているのはナムチェバザールの奥にそびえるクンビラ山。

僕はシルクロードを放浪する、をメルクマールとして旅を続けているが、時にはそうではないところを歩く時もある。

東部ネパールの北部国境に接するクーンブ地方は、二つの大きな谷からなる。
ナムチェ・バザール(標高3,440m)を基点に、一つは北東方向ヘ延び、世界最高峰に達するドードー・コシ水系、もう一つは北西方向ヘ延びるボーテ・コシ水系である。

ボーテ・コシ川沿いの道はナンパ・ラ(5,850m)峠でヒマラヤ山脈を越えチベットへと続く古くからの交易路である。
シェルパ族の本拠地ナムチェバザールは、チベットに通じる古くからの通商路上に位置し、今でも何隊ものヤク(チベット牛)の隊商が行き交い、物資が運ばれているという。またこの道は、1959年のラサへの中国人民解放軍軍事侵攻の際に多くのチベット人がネパールに逃れて来た道のひとつでもある。

ただし、チベットとの交易が盛んな時期であっても、交易の実際はチベットから安い羊毛を取り寄せ、ナムチェで絨毯に織って加工し、南に運び売っていたり、チベットから運ばれる岩塩が主な交易品であった程度で、逆に輸出していたものはゾウ(ヤクとウシの混血種)と穀物ぐらいだったようだ。交易と言ってもその規模は決して大きくはない。
現在ナムチェバザールで開かれている週に一度のバザールにしても、開かれ始めたのはせいぜい50年ほど前のことであり、それ以前には今のような開かれた定期市はなかったという。そのころは今のような観光・交易もなく、住民も少なくみんな一応に貧乏だったようだから、他のヒマラヤ越えの主要交易路と比べると交易規模はかなり小さかったと想像出来る。


一方、いわゆる「エベレスト街道」と呼ばれる有名なトレッキングルートは、交易路のあるボーテ・コシ川沿いではなく、ドードー・コシ川沿いに遡行して行く。その先、エベレストを中心として中国国境との間にまさしく「壁」の様に立ちはだかる大山脈には、その向こう側に広がるチベット高原へと抜けていく隊商路・交易路は存在しない。それほどまでにこの「壁」は絶望的に高く厳しい。

アンナプルナ方面/ムスタン・ドルポやランタン方面などと違い、クーンブのエベレスト街道に点在する村々はチベット仏教寺院を持ついくつかの村を除き、エベレスト方面への観光トレッキングのための村・キャンプといっても間違いではないだろう。少なくとも現在の村の姿からは往時の雰囲気を想像することは出来ない。
圧倒的な迫力でせまるエベレスト山塊の姿には神々しさを感じるのだが、ここでの村の営みからは交易路上の村の持つ魅力を感じることは残念ながら無い。


エベレスト街道のトレッキングは小さな飛行場のあるルクラから始まる。
カトマンズから同行したガイドは、まずはポーターを手配することが最初の仕事になる。
ルクラからナムテェまでは2日程度かかるが、周りにはヒマラヤの濃い樹林帯が広がっていて、その中に気持ちの良い山道が続いている。この雰囲気を味わうのもヒマラヤトレッキングの魅力のひとつだ。(雨期にはヤマビルが多くて難儀するらしいので、歩くのはやはり乾期/冬期が良いだろう。)

ルート上に点在する集落の近くに広がる森林は、モミ、マツを主とする針葉樹林であり、建築用材や燃料としても使われる。ほかに、シャクナゲ、カンパ(ダケカンバやシラカンバといったカバノキ科の高木)などもよく目に付く。
ほかにも日々の生活の中で毎朝の祈りの時に焚かれ、香りの良い煙を出す葉として知られるビャクシン(ヒノキ科のネズ、ジュニパー松)なども見られる。

ナムチェバザールから先はそれまでの樹林帯とは対照的に、これぞ「ヒマラヤ」という壮大で神々しい光景が眼前に広がり、岩稜の岩肌が美しい雄大な自然景観と地球規模の造山活動の有り様を堪能することが出来る。

ここでは誰でもその名を耳にしたことのある有名な山々のダイナミックな姿をパノラマで楽しむのに徹して歩こう。

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