確認申請と工事中の「軽微な変更」について2008/04/02

3月22日に国土交通省が発表した建築基準法施行規則の改正案では、小梁の位置の変更などを「軽微な変更」と認め、着工後の計画変更手続きを迅速に進めるとしている。大きな変更点は、建築基準法施行規則第3条の2に条文を追加し、計画変更確認を必要としない「軽微な変更」の対象を構造関係の変更にも広げていることだ。
 改正案では、構造に関する変更のうち、(1)屋根ふき材や内装材、外装材、帳壁、手すりなど、構造耐力上主要な部分以外の材料や構造方法、位置の変更、(2)基礎杭や雑壁、スラブ、小梁などの位置の変更(部分的な検討で安全を確認できる場合に限る)、(3)構造方法の種別に変更がなく、同等以上の強度や耐力を確保できるような構造部材の変更 等を、軽微な変更と位置付けている。
 耐力壁の位置やスパンの変更など、変更した部位の影響が他の構造部位に及ぶような変更は、今まで通り「計画変更確認」の手続きが必要である。また、構造耐力上主要な部分の強度や耐力を下げる変更は、余裕を見込んだ設計であっても、軽微な変更には該当しない。
建築基準法施行規則の改正案ではこのほか、設備関係の変更のうち、位置や高さの変更、同等以上の性能が確保できる変更は、軽微な変更として扱うことも盛り込んだ。
これで現場が始まってからの変更等の際の混乱などが多少とも改善されスムーズに進むであろう。しかしそれでも確認申請時にほぼ全ての事柄を決めておかなければならないという一番の問題点は改善されていないが・・・。

テレビで見るラサのチベット建築・歴史地区の惨状2008/04/03

僕が初めてチベットの首都ラサに行ったのは1983年の初夏だった。そのころ中国国内の外国人個人旅行はかなり制限されていて、もちろん民間人の家や民宿に泊まることは禁止されていた。外国人は政府指定の外国人専用のホテルにしか正式には宿泊できなかったが、僕は個人での貧乏旅行だったので泊まるのはもっぱら民宿レベルの宿だった。
流通するお金も2種類あって、外国人が使える「兌換券」と呼ばれるお金と庶民の使う「人民元」の2種類あった。都市部のホテルやレストランでは「兌換券」しか通用しないし、銀行などの両替で手に入るのは「兌換券」しかなかった。もともと外国人が「人民元」を使うという前提がないからだ。
しかし地方の民宿や町の小さな食堂では逆に「人民元」しか通用しない。一種の闇両替?のようなことで人民元を手に入れるのである。町の小さな食堂ではこの人民元のほかに、料理に使用される小麦粉の量に応じてマイピョウ「毎票」とよばれる配給票が別に必要であった。これだけは回りにいる地元の人から分けてもらうしか手はなかった。
成都(チョンドゥ)に着いた時に公安局(ビザの延長のため旅行中たびたび訪れていた)でラサが準開放都市になったことを聞かされた。準開放都市になれば手続きは非常に煩雑であるが滞在許可書を入手することが出来る。急いで公安局でパーミッションの申請をし、中国国内航空に予約に走った。
チベット高原は海抜3000m以上ときわめて標高が高い。中国国内航空の2発のレシプロ機はかなりの振動と騒音を発しながらラサ郊外の河原に造られた砂利の滑走路に降り立った。ラサには今のように漢民族の姿は少なかった。というより役所以外には町中ではあまり目につかなかった。しかしその時でもラサ中心のジョカン寺(大昭寺、だいしょうじ)周辺の歴史的門前町で民家など古い文化財級の建物・地区の組織的破壊が始まろうとしていた。今考えると文化的粛清の始まりの年だったのである。建築を見に行っている者にとって目の前でどんどん破壊が始まっている町の姿を見るのはとても辛い。
このところテレビで流れるラサ市内の状況を見ると、そこに写っている町の姿はもう僕の歩いた「ラサ」の町ではなかった。まったく違う姿になっていた。チベット人が数世紀にわたって育み、作り上げてきた町が漢民族の組織的破壊によってその姿を変えてしまっていた。テレビを観ていて彼らの精神のよって立つ「根っこ」が無くなってしまうのではないかと悲しくなった。彼らがデモという手段に訴えてもチベットの置かれている窮状を世界に発したかったその気持ちは僕にはほんとうに良く解る。
僕はその後インド北部のダラムサラでダライラマ14世の説法を直接聞く機会に恵まれたが、一刻も早く「チベット」がチベット民族の手に戻ることを祈らずにはいられない。

久しぶりの温泉ツーリング・修善寺2008/04/05

修善寺ツーリング
伊豆半島中央の修善寺温泉にある共同浴場「筥(ハコ)湯」に行ってきた。暖かい春の日差しを浴びてのツーリングを兼ねた日帰りの温泉旅だ。朝8時過ぎにゆっくりと横浜を出発。横横道路から東名高速に入り沼津のインターで下り、国道136号線を南下する。距離的にもたいしたことは無いのでゆっくり走っても11時半頃に到着。「筥湯」脇の駐車場にバイクを停め入浴料350円を払い入浴する。さすがにお昼前なので入浴客はいない。ゆっくり浸かって温泉を満喫。しかしちょっと塩素の臭いが…ちょっと残念。掃除の行き届いた清潔な檜の浴槽がとても贅沢だ。
「筥湯」の脇には望楼が建っている。仰空楼(ギョウクウロウ)と名付けられた望楼が温泉地らしさを演出している。3階分の高さがあるが登ってみても温泉地が一望できるわけではない。でも温泉に入ったついでに登ってみよう。
http://www.asahi-net.or.jp/~hd2s-ngo/spa/2008hakoyu/2008hakoyu.html

バイクツーリングの魅力2008/04/06

Moto Guzzi?いえFuria
気候が良くなり暖かい風が吹き始めると無性にバイクツーリングに出たくなる。ソロツーリングが多いせいかツーリング計画の際は何かひとつ目標を立てることになる。目標とはたいがい何か仕事に役立つものを見に行くということで、新しい建築を見に行くとか温泉施設を見に行くとかである。
せっかくのバイクツーリングなので「移動手段としての機械」だけではもったいないのでコース選びもとても大切だ。うまいことに温泉地はたいがい山奥に多くあるので目的地までの道にワインディングロードを加えられればベストである。伊豆半島の温泉地であれば伊豆スカイラインやターンパークを入れ込むのもいい。群馬の草津温泉や長野の渋温泉方面ならば軽井沢から万座ハイウェーや上信スカイラインを加えるのがいい。山梨方面ならば石和・ほったらかし温泉に入ったあとは雁坂トンネルを抜け秩父に抜けるのがいい。
バイクツーリングの魅力の大きなファクターは気持ち良い風を感じることだ。山上の清々しい風を切って走るワインディングロードはツーリングの最大の魅力だ。そして温泉と名物の食べ物で完成する。
最近は運動不足のせいで、朝から走って夕方になると足はつるし、クラッチレバーは重くて引けなくなるは、で とても情けないことになっている。おまけに旧型の縦置きVツインの激しい振動は手を 身体を 痺れさせる。
それでもバイクツーリングは面白い。

http://www.asahi-net.or.jp/~hd2s-ngo/spa/2008hakoyu/2008hakoyu.html

新潟・南魚沼の春2008/04/11

南魚沼の春の里山
新潟県の南魚沼地域に行ってきた。仕事で出かけたので解禁したばかりの渓流にも、ちらほら出始めた山菜にも縁の無かった出張であった。4月に入ってやっと春らしい景色が目についてきた。里山の雪も立木の幹の回りから円形に解けてきて木々の春の息吹を感じる一瞬である。山菜はだいたいが出始めの新芽を食するのでその旬の時期は本当に短い。1週間おいて行ってみるとほんの小さなつぼみであったものが大きく伸びすぎてしまうのだ。この季節の雪国の景色の変貌ぶりは毎年のことながら驚かされる。山の木々から発せられる生命力溢れる「気」は、大気さえもそのエネルギーで満ち溢れていく。とうぜん回りの動物や人間もその影響を受けることになる。川は雪解けの水「雪代」が流れ込み少し白濁した大量の水で満たされている。桜のつぼみもまだピンク色に色付く前の状態で、これから一気に様々な色に大地が染まるのであろう。このかけがえのない一瞬があるからこそ雪国は美しいのだ。

新潟・南魚沼の春 22008/04/27

今年のこごめ
新潟県の南魚沼も一気に春めいてきた。いよいよ山菜の季節である。この辺りは本当に山菜の豊富なところで、ふきのとうから始まって今はこごめと木の芽、ウドなどが盛りだ。これからコシアブラやウルイ、タラノメと続きワラビやゼンマイ、タケノコ(ヒメ竹)と春いっぱいは山菜づくしとなる。
出張最終日に小出あたりの魚野川脇の土手で30分ほど車を停め、こごめを採ってきた。こごめはだいぶ大きくなってはいるがそれでも探すと食べ頃の伸びきっていない新芽を見つけることが出来る。アクも少なく、下ごしらえもいらず、茹で時間も2〜3分と早く食べられるのも魅力だ。そしてマヨネーズ醤油で食べるととっても美味しい。春を運んでくれる味である。
ちなみに、こごめとはクサソテツのことである。太くて柔らかい巻きのしっかりした新芽が美味しい。
魚野川は雪代が多くまだ渓流釣りには時間が必要だ。
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