海外の山歩き・放浪の思い出(山と土漠と建築) … WanderVogel ― 2011/09/07

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思い起こせば、今までいろいろなところを見て歩いてきましたが、どこもけっこう今でも鮮明に記憶に残っているもので、食べたものまで何となく思い出せます。
その頃アノニマスな建築に非常に興味がありましたし、日本人の源流はいったい何処なのだろうとか、シルクロードの建築文化にも強く惹かれていましたから、どうしてもそういう地域に行って見たかったのです。
ウルムチから準開放都市になったばかりのカシュガルまで、茫漠たるタクラマカンの土漠の中をおんぼろローカルバスで丸3日間かけて行ったこともあります。
インドではカシミールの奥地、ラダック・ザンスカール地方をゴンパ(チベット寺)を尋ねながら、チベット文化の色濃く残るラダックの村々を1ヶ月以上かけて巡ったことも、パキスタンでは桃源郷のモデルと云われるフンザ・ギルギットまで行き(K2を見ることはかないませんでしたが)、特徴的な木造ヒンドゥ寺院やラカポシやナンガパルバットに感動したことも思い出されます。
ネパールでは、アンナプルナ山系をぐるっと1ヶ月間かけて歩いたこともありますし、朝日に光るカンチェンジュンガを見に数週間ダージリン・カリンポン・ガントクに滞在したこともありました。
(インドとシッキムの国境付近に位置するダージリンは、イギリスのコロニアルスタイルの建築物が多く残り、プランテーションで栽培されるダージリンティーで知られています。)
ソビエト軍(まだUSSRだった頃)が南下占領する前、1979年のアフガニスタンの砂漠をイラン側からパキスタン側まで機銃掃射で孔だらけになったバスで、2週間かけて縦断したこともありましたが、その時はすでにバーミアン遺跡もバンディ・アミール一帯も戦争状態に突入していて、見ることが出来なかったのが今でも悔やまれます。
(写真は1979年にアフガニスタンを横断した時に撮った、カンダハルのバザールのスナップ)
また、バルチスタンの土漠をクエッタからイラン南部の町ザヒダンまでバスとピックアップトラックを乗り継いで渡ったときはさすがに干涸びるかと思いました。
その後、少し足を伸ばしてペルセポリスやダリウスⅠ世の墓などを見に行ったのも忘れられません。
アフリカのサハラ砂漠はアジア・中近東と違い、砂の粒子がものすごく細かいので、砂嵐の中に入ると髪の毛の1本1本に砂がまとわりつき、口の中も鼻の中も目もジャリジャリになったことを思い出します。
「思い出」というものは、時間が経てば自分の頭の中で美化されるもので、不思議と苦しさは忘れ去られ、楽しい記憶だけでまとめられるものです。
山歩きの思い出の中で一番美しかったのは、ヨーロッパアルプスかもしれません。
アルプスの山荘や民宿に連泊し、朝な夕なにユングフラウ、メンヒ、アイガーといった美しい岩肌の山をテラスから眺め、おいしい料理と地ビール、ワインと地元のチーズ、、、1ヶ月なんてあっという間でした。
いやいや、そんな軟弱なことを思い出してはいけない。
ネパールの山歩き10日間の3食ダルバート(レンズ豆のカレー)攻めもなかなかなものです。いや、この歳になって毎日ダルバートはどうだろ?
・・・つづく
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思い起こせば、今までいろいろなところを見て歩いてきましたが、どこもけっこう今でも鮮明に記憶に残っているもので、食べたものまで何となく思い出せます。
その頃アノニマスな建築に非常に興味がありましたし、日本人の源流はいったい何処なのだろうとか、シルクロードの建築文化にも強く惹かれていましたから、どうしてもそういう地域に行って見たかったのです。
ウルムチから準開放都市になったばかりのカシュガルまで、茫漠たるタクラマカンの土漠の中をおんぼろローカルバスで丸3日間かけて行ったこともあります。
インドではカシミールの奥地、ラダック・ザンスカール地方をゴンパ(チベット寺)を尋ねながら、チベット文化の色濃く残るラダックの村々を1ヶ月以上かけて巡ったことも、パキスタンでは桃源郷のモデルと云われるフンザ・ギルギットまで行き(K2を見ることはかないませんでしたが)、特徴的な木造ヒンドゥ寺院やラカポシやナンガパルバットに感動したことも思い出されます。
ネパールでは、アンナプルナ山系をぐるっと1ヶ月間かけて歩いたこともありますし、朝日に光るカンチェンジュンガを見に数週間ダージリン・カリンポン・ガントクに滞在したこともありました。
(インドとシッキムの国境付近に位置するダージリンは、イギリスのコロニアルスタイルの建築物が多く残り、プランテーションで栽培されるダージリンティーで知られています。)
ソビエト軍(まだUSSRだった頃)が南下占領する前、1979年のアフガニスタンの砂漠をイラン側からパキスタン側まで機銃掃射で孔だらけになったバスで、2週間かけて縦断したこともありましたが、その時はすでにバーミアン遺跡もバンディ・アミール一帯も戦争状態に突入していて、見ることが出来なかったのが今でも悔やまれます。
(写真は1979年にアフガニスタンを横断した時に撮った、カンダハルのバザールのスナップ)
また、バルチスタンの土漠をクエッタからイラン南部の町ザヒダンまでバスとピックアップトラックを乗り継いで渡ったときはさすがに干涸びるかと思いました。
その後、少し足を伸ばしてペルセポリスやダリウスⅠ世の墓などを見に行ったのも忘れられません。
アフリカのサハラ砂漠はアジア・中近東と違い、砂の粒子がものすごく細かいので、砂嵐の中に入ると髪の毛の1本1本に砂がまとわりつき、口の中も鼻の中も目もジャリジャリになったことを思い出します。
「思い出」というものは、時間が経てば自分の頭の中で美化されるもので、不思議と苦しさは忘れ去られ、楽しい記憶だけでまとめられるものです。
山歩きの思い出の中で一番美しかったのは、ヨーロッパアルプスかもしれません。
アルプスの山荘や民宿に連泊し、朝な夕なにユングフラウ、メンヒ、アイガーといった美しい岩肌の山をテラスから眺め、おいしい料理と地ビール、ワインと地元のチーズ、、、1ヶ月なんてあっという間でした。
いやいや、そんな軟弱なことを思い出してはいけない。
ネパールの山歩き10日間の3食ダルバート(レンズ豆のカレー)攻めもなかなかなものです。いや、この歳になって毎日ダルバートはどうだろ?
・・・つづく
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