浦安市堀江の旧浜野医院(昭和二年/1927年) … 邸園/文化財保全・HM2013/04/12

浦安市堀江/旧浜野医院
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第三者監理の現場への行き帰りにいつも前を通って眺めていた、浦安市堀江の旧浜野医院の修景工事がやっと終わったようです。
この辺りには(前にblogにも書いた)明治2年築の民家「旧宇田川家住宅」や、江戸末期築の茅葺き屋根を持つ漁師の家「旧大塚家住宅」など浦安の民家建築が多く残されています。

この医院は昭和2年に建てられたものだそうで、この辺りでは当時としては珍しかった(イギリス風の意匠を持つ)洋館建築になっています。洋館部分は医院として、つい最近までずっと使われ続けて来たということです。
洋館の向こう側に平屋の日本瓦の和館(先生の住まい?)がくっ付いていますので、正確には「洋館付き和風住宅」と呼ぶのが正しいのかもしれません。裏手には江戸川の支流の「境川」が隣接して流れています。


先の戦争のじゅうたん爆撃で、東京や横浜の主要部は全て焼き尽されてしまったかのような錯覚を覚えますが、実際にはこういった(その地域にとって)文化的価値のある「普通の」建物が次々と消えていった最大の原因は、バブル経済や再開発ブームといった ごく最近の、なりふり構わぬ(税制を含めた)経済活動が一番大きな要因と言えます。
よく思い起こしてみると一昔前(30年~40年前)までは、こういった昭和初期の「洋館の医院」は割と日本中あちこちに残っていました。

戦後一貫して行なわれた不毛な歴史教育のせいで、基礎教育では近代史の授業はまったく組み入れられず、明治維新から大東亜戦争敗戦までの日本の歴史/文化/思想について、正しく教えられずに今に至ってます。

明治から現在に至るごくごく近い期間に起こったこと、日本/アジアを取り巻く社会情勢、その時に先人達が思い描いた理想や思想/芸術などを正しく理解できなければ、時代はつながっていきません。
そして、時代の継続性/同時代性といったものをしっかり頭で意識しなければ、人はこういう建物にも興味を示さなくなります。

最近ようやく 日本の近代史、地方の持っていた独自文化を見直そうという気運が少しずつ出来てきていて、こうした明治/大正から昭和初期の町並みや建物を保存/活用していく試みがあちこちで始まっています。
(それに対して少ないながらも国や自治体などから予算が付くようにもなってきていますので、日本全体としては良い方向に向かっていると思います。)

文化/芸術と歴史認識というこの二つの事柄は、一見あまり関係なさそうに見えますが、実際には密接に関係していて、前者を深く知るにはそれが造られた時代性、取り巻く社会情勢、造った人の想いを理解する などの「アナリーゼ」は絶対に欠かせないものです。

それこそが日本人の、日本国の「アイデンティティー」そのものなのですから。

建物の保存/活用の話題から、話しが横道にそれてしまった…つづく…

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