チベット・ラサ/ジョカン(大昭寺)の前で 1984 … WanderVogel ― 2012/05/20
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先日(5/14)東京で開催された世界ウイグル会議はもちろんのこと、チベットやダライ・ラマ14世の話題になると「中国」はかなり神経質になりますが、実際に私が見てきた新疆ウイグル自治区やチベット自治区での中国(漢民族)の行いは、どう見ても中国政府の言っている説明とはほど遠い印象を受けます。
写真はラサが渡航禁止地域(その町に立ち入ることも宿泊することも原則禁止)から、準開放都市(公安局の許可証があれば町に立ち入れる)になった1984年のラサの中心「ジョカン(大昭寺)」とその周りに広がる昔からの町並み(八角街・パルコル)の様子です。
チベット仏教徒の行なう「五体投地(その字の通り、五体を地面に投げ出す)」の祈りは、この八角街(パルコル)の道をこのやりかたでグルグル回るのが正式な祈りの作法なのだそうです。
実際には、自分の住んでいる村からこの姿勢・この方法で延々と山道を祈りながら巡礼するのが本当の意味の「五体投地」なのだと言います。
私の行った時(1984)にも、ラサに着いた時にはすでに全身ボロボロになっている敬虔なチベット仏教徒の姿を多く目にしました。
今はチベット・ラサも観光客がたくさん行くようになり、ポタラ宮も世界遺産になり、一見すると文化的な保護活動が中国政府主体で行なわれたかのような印象を受けます。
しかし、ここに写っている町並み(八角街・パルコル)は1984年末には完全に破壊されてしまい、あらたにそれらしく中国人によって造られたのが今のパルコルです。
私の滞在している間(10日間程度)にも、大型重機で破壊されていくのを目の当たりのして愕然としたのを覚えています。
周辺の町並みはさらに計画的に徹底的に潰されていき、道も付け替えられて、中国人民風の醜悪なバラックのような建物に取って代わられていくのをただただ呆然として見ていました。
古くからある町の破壊はここだけに留まらず、ポタラ宮下の町並みも破壊され、今の写真を見るときれいに更地になっています。
中国政府の言う「文化的生活を与えるため」、というチベット人にとってはまったくもってありがた迷惑な押しつけのために、民族の誇りとも言うべき町並みを破壊し、古くて重要な民家も威厳を保ってきた歴史あるお寺も町のあり方そのものも、文化大革命の時と同じように軒並み潰してしまうというな大きな間違いをここでもしでかしました。
(文化大革命の時には、チベット高地の各地に散らばる歴史ある寺院・僧院などが、その歴史的価値や規模の大小に関わらずこれも徹底的に破壊され、そこに何代も住み暮らしながら守って来た僧侶たちも全て追い立てるようにその地から一掃してしまうという、チベット歴史上最悪の暴挙が行なわれました。)
先日(5/16)、アフガニスタン・バーミアン遺跡の有名な大仏像を爆破/破壊(2001年3月)して世界中の批判を浴びた「タリバン」の最高幹部だった元長官が、「爆破は誤りだった」と今更ながらに会見していましたが、中国もこの先 数十年後かに「チベットやウイグルで中国がしたことは大きな誤りだった」と世界に詫びる日がきっとくると信じています。
今のチベットには、すでにチベットらしさはかけらも残っていません。
これは新疆ウイグル自治区のウルムチやトルファン、カシュガルでもまったく同じことなのです。
以前のblog:http://hd2s-ngo.asablo.jp/blog/2012/03/03/
WanderVogel・World:http://hd2s-ngo.asablo.jp/blog/cat/world/
・・・不定期に つづく
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先日(5/14)東京で開催された世界ウイグル会議はもちろんのこと、チベットやダライ・ラマ14世の話題になると「中国」はかなり神経質になりますが、実際に私が見てきた新疆ウイグル自治区やチベット自治区での中国(漢民族)の行いは、どう見ても中国政府の言っている説明とはほど遠い印象を受けます。
写真はラサが渡航禁止地域(その町に立ち入ることも宿泊することも原則禁止)から、準開放都市(公安局の許可証があれば町に立ち入れる)になった1984年のラサの中心「ジョカン(大昭寺)」とその周りに広がる昔からの町並み(八角街・パルコル)の様子です。
チベット仏教徒の行なう「五体投地(その字の通り、五体を地面に投げ出す)」の祈りは、この八角街(パルコル)の道をこのやりかたでグルグル回るのが正式な祈りの作法なのだそうです。
実際には、自分の住んでいる村からこの姿勢・この方法で延々と山道を祈りながら巡礼するのが本当の意味の「五体投地」なのだと言います。
私の行った時(1984)にも、ラサに着いた時にはすでに全身ボロボロになっている敬虔なチベット仏教徒の姿を多く目にしました。
今はチベット・ラサも観光客がたくさん行くようになり、ポタラ宮も世界遺産になり、一見すると文化的な保護活動が中国政府主体で行なわれたかのような印象を受けます。
しかし、ここに写っている町並み(八角街・パルコル)は1984年末には完全に破壊されてしまい、あらたにそれらしく中国人によって造られたのが今のパルコルです。
私の滞在している間(10日間程度)にも、大型重機で破壊されていくのを目の当たりのして愕然としたのを覚えています。
周辺の町並みはさらに計画的に徹底的に潰されていき、道も付け替えられて、中国人民風の醜悪なバラックのような建物に取って代わられていくのをただただ呆然として見ていました。
古くからある町の破壊はここだけに留まらず、ポタラ宮下の町並みも破壊され、今の写真を見るときれいに更地になっています。
中国政府の言う「文化的生活を与えるため」、というチベット人にとってはまったくもってありがた迷惑な押しつけのために、民族の誇りとも言うべき町並みを破壊し、古くて重要な民家も威厳を保ってきた歴史あるお寺も町のあり方そのものも、文化大革命の時と同じように軒並み潰してしまうというな大きな間違いをここでもしでかしました。
(文化大革命の時には、チベット高地の各地に散らばる歴史ある寺院・僧院などが、その歴史的価値や規模の大小に関わらずこれも徹底的に破壊され、そこに何代も住み暮らしながら守って来た僧侶たちも全て追い立てるようにその地から一掃してしまうという、チベット歴史上最悪の暴挙が行なわれました。)
先日(5/16)、アフガニスタン・バーミアン遺跡の有名な大仏像を爆破/破壊(2001年3月)して世界中の批判を浴びた「タリバン」の最高幹部だった元長官が、「爆破は誤りだった」と今更ながらに会見していましたが、中国もこの先 数十年後かに「チベットやウイグルで中国がしたことは大きな誤りだった」と世界に詫びる日がきっとくると信じています。
今のチベットには、すでにチベットらしさはかけらも残っていません。
これは新疆ウイグル自治区のウルムチやトルファン、カシュガルでもまったく同じことなのです。
以前のblog:http://hd2s-ngo.asablo.jp/blog/2012/03/03/
WanderVogel・World:http://hd2s-ngo.asablo.jp/blog/cat/world/
・・・不定期に つづく
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