里山と雑木林について想うこと … 森林ボランティア・WanderVogel2013/08/01

関東の雑木林
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下草に笹が目立つが、それを除けば関東の典型的な「里山・雑木林」の光景です。

近年何かと話題となっている「里山」と言う言葉、使われている場面・意味合いやその指し示している概念はけっこう幅広い。
前提となるのは「里山・雑木林」が人の手が入ることで成り立つ「二次的自然」であるということで、実際に日本の国土全体を見回してみても森林を形成している面積のかなりの部分はこの「里山」の概念の範疇にあると考えられます。
そう考えると逆に、人の手が入っていない「原生林」のような森林はかなり(実際にはほとんど無いくらい)稀なケースということになる。

日本にあるこうした人の手入れの必要な「里山・雑木林」の面積(山間部の棚田なども含めると)は、少なく見積もっても600万ヘクタールという広大な面積になるという報告もあります。
一般市民が週末にこういった雑木林のボランティアで手入れをしたとして、どのくらいの面積を手入れ出来るのだろう。
一生懸命やったとしても、年間一人で手入れ出来る面積は多めにみても0.1ヘクタール/人 が精一杯のようです。(実際はそんなには出来ないと思うが…)

ですからボランティアで行なうような手入れ作業が里山全体として直接的にどの程度貢献しているかを客観的に考えると、(いや、考えるまでもなく)貢献度は絶望的です。

戦後(あるいは高度経済成長期に)急速に失われていった「里山」のシステムを現代社会の利便性などを犠牲にすること無くどこまで再構築出来るのかを探っているのが森林ボランティアに参加している目的のひとつですが、実際に身体を動かしながら里山を見ていくと理論的な勉強だけでは見えてこないいろいろな魅力・矛盾点が見えてくるのが楽しい。

そのなかでひとつはっきり気づかされたことは「里山保全」「雑木林の維持管理」という観点から考えをスタートさせることは出発点として最初から間違っていて、「里山・雑木林」を社会のシステム(関係性)として考えをスタートさせることが重要だ、ということです。

偉そうなことを書いてしまったが、次へつづく・・・

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