大名庭園の美しさと毒・六義園 … 建物/庭園散策・邸園/文化財保全2013/09/01

六義園和歌浦
- -
文京区千石にある昔ながらの銭湯「おとめ湯」が60年の営業にピリオドを打ち営業を停止しました。
いつ解体されるか解らない状況を惜しんで、地元の建築士などによるまちづくり有志が先頭に立ち、最後の見学会を開くということで足を運びました。

千石/駒込には有名な六義園(りくぎえん)があります。銭湯見学の帰りに少し涼もうと訪れましたが、快晴の真夏日で余計に汗をかいてしまいました。

ここにもボランティアで庭園ガイドをしている方がいらっしゃるので、六義園の歴史やみどころ、作庭の重要なテーマである詠われた和歌の話しや題材となった紀州(和歌山県)のことなどを教えてもらいながらじっくり園内を散策しました。
ここ六義園はもともとは五代将軍・徳川綱吉の信任が厚かった川越藩主・柳沢吉保が元禄15(1702)年に築園した和歌の趣味を基調とする「回遊式築山泉水」の大名庭園であったが、明治の版籍奉還で三菱財閥の岩崎彌太郎が一時期買い取り、別邸にしたという歴史があります。
明治維新後の混乱や地震、火災などで多少は荒れたり被害が出たりしたようですが、基本的な庭園のしつらえや趣きはしっかり残されてている貴重な大名庭園です。

実際には作庭や庭石が大好きだった岩崎彌太郎がその後に手を加えた箇所が何カ所もありますが、もともとが由緒(?)ある お大名の庭園だったわけですから、原三渓の造った「三渓園」の里山を模した自由な「回遊式庭園」とはまたひと味違った、女性的なのびやかさを持った大名庭園の雰囲気は継承されているということでしょう。

日本各地には偕楽園(水戸)、兼六園(金沢)、二条城二の丸庭園(京都)、後楽園(岡山)、栗林公園(高松)など数々の有名な大名庭園が保存状態も良く残されていますが、東京近郊である程度残っていて見られるのは六義園、浜離宮、旧芝離宮、小石川後楽園などでしょう。
残されているとは言っても、その規模や周りに見える景観などは往時と比べるとかなり違ったものになってしまっていますけど。
(仙洞御所や修学院離宮、桂離宮の庭園も有名ですが、これらは天皇や宮家の別荘として造られた庭園なのでここでいう大名庭園とは作庭年代も趣もかなり違いますね。)

六義園のお庭は、万葉集や古今和歌集などに多く詠まれた紀州/和歌の浦周辺の名所を取り込んだ「文芸の庭」ということですので、和歌を詠むなどという雅な趣味も持たず、吉野にも紀州にも行ったこともない私にとっては、(目に見えない)作庭の「心」を真に理解(?)するには少し荷が重かったようです。

というか、「和歌」という言葉を作庭要素に入れることで「毒気」を覆い隠してしまったテーマパーク的な庭園に少々辟易してしまったとでもいうか…、あっ、庭園の先生が読んでいたらお叱りを受けそう。

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

名前:
メールアドレス:
URL:
コメント:

トラックバック

このエントリのトラックバックURL: http://hd2s-ngo.asablo.jp/blog/2013/09/01/6969039/tb

※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。

アクセスカウンター