同時代性:視点を変えれば … 歴史認識・思いつき2014/02/14

古墳時代の美人画
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net上の海外掲示板で見つけた記事ですが、面白いので紹介を兼ね一部を転記。話題は「世界史の有名な出来事で、この2つは同じ時期とはとても思えないものは?」というもの。
人はちょっとした思い込みから、さまざまな事象についてそれらが実は同じ時代に起きていたということを実感できないものです。
元ネタ:What are two events in history that you never would've guessed happened around the same time?
http://www.reddit.com/r/AskReddit/comments/1mdhu1/what_are_two_events_in_history_that_you_never/

いわく、
・エリザベス女王とマリリン・モンローは誕生日が40日違い、ともに1926年生まれ
・オーヴィル・ライト(ライト兄弟の弟)が死んだとき、ニール・アームストロング(月面着陸した人類初の宇宙飛行士)は、すでに17歳だった
・フランスでギロチンの使用が禁止になった年とコンピュータのMS-DOSが発表されたのは同じ年(1981年)だった
・あの偉大なピラミッドの建設がエジプトで始まった時(4500年前)、シベリア沖のウランゲリ島にはまだマンモスが生息していた
・侍の時代(江戸時代)に生まれた人が、原爆投下を見ている

・中国で奴隷制度が廃止になったのと、民間航空会社が旅客飛行機を始めて飛ばしたのは同じ1910年のこと
・1971年にアメリカが初めて月面で軽量の月面車を動かしていたとき、スイスでは女性に始めて選挙権が与えられた
・カール・マルクス(マルクス主義を説いた人)はリンカーン大統領を評価しその支持者であって、彼宛に手紙も書いていた

アメリカ合衆国が南北戦争後にやっと奴隷制度の廃止を決めたのは1865年になってからだが、その後も南部の州では実質的にはあまり変わらなかった。
ちなみに、1865年は日本では慶応元年“幕末”にあたり、その3年後には“明治元年”と時代が変わるその時です。まさしく「坂の上の雲」へと動き出す時代です。


上の記事を、ただ「ああそうなのか、面白いね!」ということで終わらすことも出来るが、人間の(国の)歴史を知る/学ぶうえでは、「時間の関係性」や「同時代性」ということを同時に理解することがとても大切なのがわかります。
同時代に存在する人々が、文化、思想、芸術、エポックなど時代的経験を共有してそれらを認識する、ことを「同時代性」というのでしょうが、同じ時代に起こったことであってもその国や地域によって当然、時代的環境や認識の度合いは違ってくるのでこの言葉が厳密に当てはまるかは解りませんが、少なくとも関係性と影響力は距離が離れていようと存在(共有)するだろう。
東の果ての小さな池に落としたひとつの石の波紋が、巡り巡って遠く離れた西端の深山の木々を揺らす原因となることだってある。

“歴史的事実”を捉える時、自分の側だけの観点や論理でうっかり決めつけてしまいがちだが、仮にあることがある地域で起きた時、「その他の世界」はどうだったのか?、近隣はどういう時代的環境の中にあったのか?、その地域的背景は? ということを広い視野で捉えていくことがとても重要で、そこで始めて歴史の、ものごとの、「本質」みたいなものが見えてくるのではないかと思う。

たとえば、幕末から明治にかけて日本が開国へと大きく舵を切った時代、隣の朝鮮半島・中国大陸の情勢はどうだったのか、東南アジアや中央アジアではなにが起こっていたのか、ヨーロッパやアメリカはどうしたかったのか?など、日本で起こった事柄(歴史)を知ること/学ぶことはイコール、同時代の世界の情勢(グローバルな関係性)を頭に入れることと同義語なんだな。

そのことを頭に入れれば、今盛んに議論?されている「日韓」「日中」の濃い霧に包まれた歴史的な事柄も、何となくうっすらとその本質が見えてくるのではないか。
加えて、関係性とは二国間だけで考えていても到底正しい回答は出ない。
上の問題を語る場合 アジア全体の、あるいは世界とアジアとの関係性を「同時代」という “くくりの中” でひも解いていかないと出口は見えてこない。

もっとも、時代的経験は共有出来ても、認識を完全に共有することまでは出来ない…、逆に言えば認識の共有はできないということを「お互い認めあう」ことからの出発ということだろう。

朝からチラつく小雪を窓から眺めながら、今週末も大雪なのかなぁ〜、などとのんびり考えながら、仕事とも趣味とも関係のない長文の「思いつき」blogを一気に書いてしまった。

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