2014ネパールトレッキング計画を立てよう!/追記アリ … 山登り・WanderVogel2014/02/19

トレッキング地図
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 今日は夕方からは少し時間に余裕が出来たので、溜め込んだ本を一気に読破するとともに、一杯飲みながら来年のネパールトレッキングの計画でもちょっと練ってみようっと。

今夜のblog、嘘はないのだが自分の世界に浸りきって書いているので、無駄に長いです。
私の備忘録という意味合いなので、さらっと読み飛ばしちゃってください。

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1979年の長期のシルクロード・ヒマラヤ放浪を振り出しに、今まで何度か訪れているチベット高原、ラダック/ザンスカールやネパールヒマラヤでも、やはり行くとなるとそれなりにきちんと下調べや計画を立てないと何とも落ち着かない。

以前パキスタン・ガンダーラ地方を旅したときにギルギット(ナンガパルバットが見える)やフンザ・カリマバード(ラカポシが見える)の少し先までしか行けなかったという悔しさがあるので、その奥のクンジュラブパス(以前に行ったカシュガルへと続いています)まで行ってみようかとか、同じくパキスタン東北部(バルチスタン)のスカルドゥからインド国境近くに広がるバルトロ氷河周辺(K2やブロードピーク、ガッシャーブルムなどが見える)に行ってみようかとか、故藤岡道夫先生の建築調査をなぞってネパール伝統民家建築を再び見て回るのも悪くないなぁ(私、本業は建築設計だし)とか、いろいろ考えてもみたのですが、、、
それらは次回以降あらためてじっくりと行くことにして、今回はネパール・クーンブ山群(チョーオユーからエベレスト、ローツェ周辺)の山々を見て歩こう。と決めたわけですよ。

とは言っても、仕事の合間を縫って(仕事を入れないようにして?)の山行旅ですから、この場合 時間的な制約がなんといっても一番のネックになりますなぁ。

ですので、日程の解り易い登山ツアー(カトマンドゥ発のツアーもけっこうある)に参加するという手もあるのだが、決められた行程を決められた通りにみんなで歩くというのがどうも苦手で(というか、国内でさえツアー旅行をしたことが一度もないもので…)、お行儀よく団体行動が出来るのか?、、う~ん、なんとも自信がない。

私の場合、国内外問わずほとんどの山行・トレッキング・釣行が「単独行」ですからね…
バイクだってたいがいソロツーリングですし…。(ちょっと寂しい気もするが)

一昨年のランタン・ゴサインクンドでは山に入っている10日間ずっと雨に祟られてしまったが、体調とその日の天気を見ながらそのつど宿泊地やコースを現地ガイドと相談しながら無理しないように変えていったので、何とか大枠の計画通りに歩き通すことは出来ました。帰ってから、風邪をひきましたけどね。
nagao's Blog WanderVogel:http://blog.goo.ne.jp/hd2s-ngo 


一般的に「ネパールヒマラヤ」と聞くと、雪を抱いた高く急峻な山々と緑深い山里のコントラストが美しい山岳地帯を思い浮かべるでしょうが、ネパールの里山も他の発展途上国の山の景色同様にかなり標高の高いところまで木々の伐採が進んでいるように感じます。

かつて日本の里山がそうだったように、ネパールの(都市部以外の)山村では今でも食事を作るのも暖をとるのも山から切り出した薪や柴木などバイオマスに全て頼っていますから、(日本も偉そうなこと言えないが…)村周辺の木々がすっかり無くなるのもあたりまえですね。
おまけに、村の近くにある山などは、山の頂き近くまでびっしりと小さな面積で区切られた棚田で埋め尽くされています。

日本と違う点は、日本の場合(農業や生活に薪や落ち葉、草本類を多量に活用してきたのは同じですが、)古来から建築物を造るのにも全て木を使います。特に大径木を使う「神社」「寺」「宮」「城」などの建設のため、かなり奥山の木(樹齢何百年という大径木)まで大規模に伐採し、江戸時代中ごろには里山から深山まで全く木々が無くなってしまうことになりました。

それに比べ、ネパールの建物の造り方は寺院でも宮殿でも住宅でも壁は石積みあるいは版築(はんちく:土を上から何層にも突き固めて作る土の壁)で、屋根も基本的には石葺き(チベット族の多い高地では土を締め固めた陸屋根)がほとんどですので、木材は梁や(彫り物のある)扉/窓枠くらいにしか使いません。
逆に言えば、薪程度の小径木が手に入る範囲ではどんどん伐採が進みますが、太い木(用材)を求めて深山まで入ることは案外少なかったのではないかと想像します。

実際、ネパールのエネルギー消費をみると、だんだんと家庭でもお店でも煮炊きの燃料としてケロシン(灯油)やガスが普及し出してきてはいるでしょうが、未だに約8割は森林から採取される薪材がエネルギー源(ネパール政府発表)であることには変わりはないし、人口増加に伴う農耕地の増加と林内放牧の拡大によってもやはり森林は減少し続けていると言えます。
ネパールの木材生産量は、90%が薪材で10%が用材であるということ(ネパール政府発表)ですから、山から緑が消えていく主な原因はやはり「薪」ということになりますね。


余談ですが、ネパールという国のイメージから、国民はみな素朴で親切で人をだますことを知らない純真な「山の民」、という印象があると思います。

心情的には私もそうだと思うのですが、その「やさしい国」ネパールでさえ、2008年にマオイスト(毛沢東主義者、Maoist)が議会で第1党になって王制を廃止し、ネパール王国からネパール連邦民主共和国へと変わっていく際には、かなり国中がガタガタしたという経緯もありますし、今もなお都市部でも山奥でもその余波が残っているように感じます。

ただ、ここ30年くらいで観光立国としての経済基盤が確立してきて、都市部を始め旅行者やトレッカーの歩く道沿いの村々は経済的にかなり豊かになってきていることも事実です。
また、交通インフラも少しずつですが整いつつあるのかなぁ、と感じます。
とはいえ、やはり基本的に国民全体としては経済的には貧しいと言えると思います。ですので、環境問題が大切なんだと解ってはいてもなかなか一足飛びに生活習慣を変えることは出来ません。

現在 盛んに(こつこつと?)植林が進められているということもあって、ネパールの里山にも木々が育ってきているということは事実ですが、豊かな自然環境が戻った、と言えるにはまだ何年もかかるでしょう。


またまた、余談ですが、「幸せの国・ブータン」についても同じことが言えます。
いや、あそこの場合はもう少し複雑かな。

ネパールの隣国(間にインド・シッキム(旧)王国が挟まっているから正確には隣国とは言えないか? 私も昔ダージリンの先のカリンポンまで行ったことがある)の「幸せの国」として日本でも有名になった「ブータン」で起きている虐殺と難民大流出(ネパールには10万人近くのブータン難民が暮らしています)の問題。

ブータンのアピールする(日本のマスコミがよりいっそう仕立て上げたのかもしれんが…)「幸せの現実」というのは、かなり脚色されたものであり、ブータン政府の巧みなアピールによる詐術だとも言われている。

情報操作というものは本当に恐ろしいもので、よ~く見極めて実体験してある程度時間をかけて自分で検証してみないと、その実態というものは見えてこないんです。ものごとには表もあれば裏もあるということなんですかね、気を付けないとね!

どうも、話しが脱線してばかりいるなぁ…

今回は山歩きの時期を年末年始の休みを利用しての厳冬期(乾期)に設定すれば気温は確かに極寒ですが、前回のように連続して雨降りということははならないでしょう。
もちろん山歩きの行程の全ては森林限界を超えていますので、上記の棚田の村も緑の里山も目にすることはありませんけど。

エベレストを始め、プモ・リやヌプツェ、アマダブラムを一望出来るカラ・パタール(5,545m)がいちおう最終地点ということになりますが、そこからだってエベレスト頂上までは3,000m以上の高低差があることになるので、やはりエベレストだけは別格「神様」の領域です。

現地でのガイドとポーターは前回同様、カトマンドゥ・タメルにあるエージェントに手配を頼むとしても、一番の懸念はやはり行動中の自分自身の健康管理だろうなぁ。

前回のネパール行きで体力の衰えを実感しまして昨年の1月からスポーツジムへきちんと通って、月に1度は山歩きを実践して、と体力増強を図ってはいますが、今回の山歩きは20代の時、30代の時と同じくらいの長丁場(2週間以上)ですし、標高もそれなりに高い。自信過剰の私でも、体力・健康維持は大いに気にかかるところです。

でも、そこまで登れば世界最高の景色が待っている!

(と、ここまで書いてしまうと是が非でも行かなきゃならんでしょ!)

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