三渓園・旧天瑞院寿塔覆堂 … 建築の旅・WanderVogel ― 2013/03/19
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三渓園に移築されている桃山時代の建築物、旧天瑞院寿塔覆堂正面。
この「旧天瑞院寿塔覆堂」は豊臣秀吉が天正十九年(1591年)に実母の大政所のために建てたものであることが解っています。
「天瑞院」は大政所の戒名の一部で、「寿塔」とは、まだ生きているうちに長寿を願って建てる墓のこと。その寿塔を納めた外側の建物なので「覆堂(おおいどう)」ということになります。
(では、中身の「寿塔」はどこにあるかと言うと、もともとあった場所 京都大徳寺(禅寺)内の龍翔寺に残されています。)
今の姿から受ける印象は、あちこちに透かし彫りや美しい木彫が施されていながらも落ち着いた雰囲気という印象を受けますが、実は建立当初には建物全体が色とりどりの岩絵の具で塗られていたといいますから、かなり派手で華やかな建物でした。
仏教建築というのは残されている今の姿を見ると、静かで落ち着いた雰囲気というイメージを持ちますが、建立当初はどれもみなハデハデな(現代の日本人の感覚からすれば、かなり違和感のある)鮮やかな色彩で埋め尽くされた建物でした。
これは日本に限らず、チベットの仏教寺院でもヒマラヤ奥地のラダックやムスタンの僧院でも同じで、(私も各地で実際に見てきましたが)どれも派手な色彩で描かれた文様で隙間無く埋め尽くされています。
仏教でいう「極楽浄土」を立体的な曼荼羅で表現しようとすると、どうしてもそうなってしまうのでしょう。
それらの地では、今なお仏教の信仰が強く生活の大事な要素として生き残っていますので、定期的に(わりと頻繁に)色の塗り替えを行なっていますから、今でも派手派手な姿を保ち続けています。
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三渓園に移築されている桃山時代の建築物、旧天瑞院寿塔覆堂正面。
この「旧天瑞院寿塔覆堂」は豊臣秀吉が天正十九年(1591年)に実母の大政所のために建てたものであることが解っています。
「天瑞院」は大政所の戒名の一部で、「寿塔」とは、まだ生きているうちに長寿を願って建てる墓のこと。その寿塔を納めた外側の建物なので「覆堂(おおいどう)」ということになります。
(では、中身の「寿塔」はどこにあるかと言うと、もともとあった場所 京都大徳寺(禅寺)内の龍翔寺に残されています。)
今の姿から受ける印象は、あちこちに透かし彫りや美しい木彫が施されていながらも落ち着いた雰囲気という印象を受けますが、実は建立当初には建物全体が色とりどりの岩絵の具で塗られていたといいますから、かなり派手で華やかな建物でした。
仏教建築というのは残されている今の姿を見ると、静かで落ち着いた雰囲気というイメージを持ちますが、建立当初はどれもみなハデハデな(現代の日本人の感覚からすれば、かなり違和感のある)鮮やかな色彩で埋め尽くされた建物でした。
これは日本に限らず、チベットの仏教寺院でもヒマラヤ奥地のラダックやムスタンの僧院でも同じで、(私も各地で実際に見てきましたが)どれも派手な色彩で描かれた文様で隙間無く埋め尽くされています。
仏教でいう「極楽浄土」を立体的な曼荼羅で表現しようとすると、どうしてもそうなってしまうのでしょう。
それらの地では、今なお仏教の信仰が強く生活の大事な要素として生き残っていますので、定期的に(わりと頻繁に)色の塗り替えを行なっていますから、今でも派手派手な姿を保ち続けています。
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