イラン・ペルシャ ペルセポリスの都跡 1984 … WanderVogel2012/03/31

ペルセポリス1984
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2度目のイラン(ペルシャ)行きは1984年でした。

その頃のイランはイラクとの間の戦争が長期化していて、特に個人で旅をするには観光どころではなかった時期でした。
(テヘランやイスファハーンのホテルでは半地下の防空壕のような部屋でしたし、屋上には高射機関砲が据え付けられ夜通し威嚇射撃をし、地対空ミサイルまでが夜空を睨んでいましたから…)

シラーズという美しい町の近くに、紀元前アカイメネス朝ペルシャ帝国の都跡ペルセポリスが破壊された姿そのままに残されています。
ダレイオス1世からクセルクセス1世にかけて壮大な規模で建設されたこの宮殿は、紀元前331年に古代マケドニア王国のアレクサンダー大王(ペルシャ読みではイスカンダール)によって徹底的に破壊され、そのまま長い年月放置されていたものです。
破壊されたのも紀元前のことですから、何と二千数百年間もこのような姿のままここに残っていたことになります。

写真は百柱殿跡からアパダナ方向を写したものです。後ろに林立する高い石柱はクセルクセス1世のよって建てられたアパダナの柱の一部です。
それだけを見てもこの宮殿の規模の壮大さが解りますが、このアパダナは高さ10m以上に積み上げられた大基壇の上に建っているのです。

腰掛けているのは百柱殿を支える柱の柱脚で、その釣り鐘型をしたベースデザインは美しく流麗で優雅です。
後方に転がっている柱身は、ギリシャのイオニア式に似ていますが、フルーティングの数がそれより多くいっそう繊細な細工が見て取れます。

ペルセポリスの建築デザインで最も特徴的なのが柱頭部分です。
柱頭は背中合わせの2頭の動物、渦巻き文様、花冠状デザインの3つのパーツの組み合わせで構成されていて、転がっている瓦礫のような石塊と化した姿となっても、十分にオリジナリティー溢れるそのデザイン性を感じ取ることが出来ます。

ここに立って繁栄の頂点にあった往時に思いを巡らせ、どのような宮殿が建っていたのであろうか、古代バビロニアにあったという空中庭園がここにもあったのだろうか、などと想像するのは実に楽しいものです。


ペルセポリス近くの巨大な岩稜の岩壁にはダレイオス1世の墓(ナクシュ・イ・ルスタム)が穿たれています。
その前には巨大な石造りの拝火教(ゾロアスター教)の祭壇がそのまま残っていたのを思い出します。

・・・不定期に つづく

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