越後妻有トリエンナーレ・蓬平いけばなの家/古民家といけばな … 建築の旅・WanderVogel ― 2012/09/03
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妻有郷 松代の芝峠温泉の近くに蓬平(よもぎひら)という集落があり、そこで古い民家を利用して開催されている様々な作家による生け花展。
ここでの見所は何といっても、この集落で一番大きいという古民家の持つ圧倒的な存在感です。
(写真は、かとうさとる氏の「妻有降臨」という作品です)
周辺農家で作られている「カサブランカ」を見た作家の印象に想を得た作品ということですが、真っ赤な花弁をイメージした大きな球体が古い床の間をバックに迫力ある表現力で迫ってきます。
ここでもこの作品を引き立てているのは、書院造り風のけやきのごつい長押や回縁、太い柱、豪壮な造りの黒塗り壁で納めた床の間などが周りの空間をがっしりと引き締めているからでしょう。
天井は数寄屋っぽい竿縁天井ですが、太い竿縁にしているので、けっして軽い雰囲気にはなってはいない。
木製の引き違い窓や昔ながらの歪んだ板ガラスなども、空間をひとつにまとめあげる効果を引き出しています。
建築といけばな、お互いの良いところを引き出し合って一帯となった、凛とした空気の中 おごそかで幻想的な空間を体現できます。
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妻有郷 松代の芝峠温泉の近くに蓬平(よもぎひら)という集落があり、そこで古い民家を利用して開催されている様々な作家による生け花展。
ここでの見所は何といっても、この集落で一番大きいという古民家の持つ圧倒的な存在感です。
(写真は、かとうさとる氏の「妻有降臨」という作品です)
周辺農家で作られている「カサブランカ」を見た作家の印象に想を得た作品ということですが、真っ赤な花弁をイメージした大きな球体が古い床の間をバックに迫力ある表現力で迫ってきます。
ここでもこの作品を引き立てているのは、書院造り風のけやきのごつい長押や回縁、太い柱、豪壮な造りの黒塗り壁で納めた床の間などが周りの空間をがっしりと引き締めているからでしょう。
天井は数寄屋っぽい竿縁天井ですが、太い竿縁にしているので、けっして軽い雰囲気にはなってはいない。
木製の引き違い窓や昔ながらの歪んだ板ガラスなども、空間をひとつにまとめあげる効果を引き出しています。
建築といけばな、お互いの良いところを引き出し合って一帯となった、凛とした空気の中 おごそかで幻想的な空間を体現できます。
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越後妻有トリエンナーレ・下条駅脇のランドマーク「茅葺きの塔」 … 建築の旅・WanderVogel ― 2012/09/03
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十日町市から可愛らしい2両編成のJR飯山線で小千谷方向に2駅行ったところの「下条駅」脇に建つ「下条茅葺きの塔」。
面白い建築を設計することでメディアに取り上げられることの多い「みかんぐみ」と神奈川大学曽我部研究室の共作です。
こういう作品は、建築的な目で見ると(茅葺き工法なども含めて)賛否両論があると思いますが、私はこういうのすごく好きです。
ランドマークとしては高さが足りないという意見もありますが、現在の建築基準法(12m以下)では致し方のないところでしょう。
方形の塔の屋根(外壁?)に「段葺き」で葺かれた二重螺旋の茅葺きが、日本の風景とはひと味違った「亜細亜」な原風景を表現しています。
紹介文にはここ下条(ゲジョウ)にはかつて多くの茅職人が暮らしていたのだそうですが、今は現役の茅職人は残っていないそうで、この塔は長岡の茅職人さんに葺いてもらったとのことです。
茅葺きの屋根というのは、広く日本全国に存在していますがそれぞれの地域で気候風土や伝統、あるいは容易に調達できる材料などをベースに、葺き方や下地材料、施工要領、棟の形状や納め方など独特の地方色があり、それが「おらが村の風景」を形作っているともいえます。
(たぶんこの塔の棟の形状というか納め方は「長岡風」なのでしょうか?、仕上げ材料は違うにせよ長岡地域独特の形状と納めをしているものと想像しますが、すみません 詳しくは断言できません…)
細かく言えば、茅葺き屋根そのものが隣村との違いの出る「地域の独自文化」ということですので、本来であればその村の独自工法を踏襲しつつ組み上げていくのが文化的にも伝統保存的にも正しい姿なのですが、こういう「二重螺旋の段葺き」という日本の茅葺きのジャンルからまったくかけ離れた姿で葺くのであれば(作者はこのへんの事柄はしっかり解っていて、やっているのだと思います)、これはこれで楽しい! と、私などは思ってしまいます。
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十日町市から可愛らしい2両編成のJR飯山線で小千谷方向に2駅行ったところの「下条駅」脇に建つ「下条茅葺きの塔」。
面白い建築を設計することでメディアに取り上げられることの多い「みかんぐみ」と神奈川大学曽我部研究室の共作です。
こういう作品は、建築的な目で見ると(茅葺き工法なども含めて)賛否両論があると思いますが、私はこういうのすごく好きです。
ランドマークとしては高さが足りないという意見もありますが、現在の建築基準法(12m以下)では致し方のないところでしょう。
方形の塔の屋根(外壁?)に「段葺き」で葺かれた二重螺旋の茅葺きが、日本の風景とはひと味違った「亜細亜」な原風景を表現しています。
紹介文にはここ下条(ゲジョウ)にはかつて多くの茅職人が暮らしていたのだそうですが、今は現役の茅職人は残っていないそうで、この塔は長岡の茅職人さんに葺いてもらったとのことです。
茅葺きの屋根というのは、広く日本全国に存在していますがそれぞれの地域で気候風土や伝統、あるいは容易に調達できる材料などをベースに、葺き方や下地材料、施工要領、棟の形状や納め方など独特の地方色があり、それが「おらが村の風景」を形作っているともいえます。
(たぶんこの塔の棟の形状というか納め方は「長岡風」なのでしょうか?、仕上げ材料は違うにせよ長岡地域独特の形状と納めをしているものと想像しますが、すみません 詳しくは断言できません…)
細かく言えば、茅葺き屋根そのものが隣村との違いの出る「地域の独自文化」ということですので、本来であればその村の独自工法を踏襲しつつ組み上げていくのが文化的にも伝統保存的にも正しい姿なのですが、こういう「二重螺旋の段葺き」という日本の茅葺きのジャンルからまったくかけ離れた姿で葺くのであれば(作者はこのへんの事柄はしっかり解っていて、やっているのだと思います)、これはこれで楽しい! と、私などは思ってしまいます。
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越後妻有トリエンナーレ・イフガオ族の「高床式茅葺き小屋」 … 建築の旅・WanderVogel ― 2012/09/03
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下条駅から少し山あいに入った棚田に囲まれた場所に建つ、フィリピン・ルソン島から移設したという茅葺き小屋です。
これはフィリピンのイフガオ族の住んでいる棚田から下条の棚田に、イフガオ族の伝統的な高床式の保存倉庫を移築したのだそうです。
前回(2009年)のトリエンナーレの際に実際にその村から大勢の村人が来日して、フンドシ姿でこの小屋を再建したということで、その作る過程を含めてアートというかインスタレーションな作品です。
ちなみに、イフガオ族の住んでいるフィリピン・ルソン島のイフガオ州は世界遺産(文化遺産)にも登録された山一面に棚田の広がる地域で、同じく棚田で有名な十日町市との間でこの他にもいくつか交流プロジェクトが進んでいるようです。
風に揺れる稲穂越しに小屋を眺め見ますと、茅葺き屋根の小屋の佇まいが一見懐かしく思えるのですが、何となく感じる違和感は小屋と屋根のプロポーションやその姿の後ろに広がる針葉樹林の林にどことなく「しっくりこない感」を感じるからでしょう。
こういうところにも、あるべきところ(育った環境)にあるべき姿(建築文化)という図式は歴然としてあるものだなぁ、と改めて思い起こさせてくれました。
この「しっくりこない感」を感じることで、その要因をより深く理解することにつながるのだ、と思います。
人が長い年月にわたって育てて来たその地域の建築文化と、自然環境の持つ空気感、植生・地形・気候風土などはお互いに密接に関係していて、小屋ひとつ取ってみても、その環境の中にあってこそその姿である、つまりそれこそが「必然」なのだと感じさせてくれました。
その意味において、この作品を鑑賞する「意義」は大きい。
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下条駅から少し山あいに入った棚田に囲まれた場所に建つ、フィリピン・ルソン島から移設したという茅葺き小屋です。
これはフィリピンのイフガオ族の住んでいる棚田から下条の棚田に、イフガオ族の伝統的な高床式の保存倉庫を移築したのだそうです。
前回(2009年)のトリエンナーレの際に実際にその村から大勢の村人が来日して、フンドシ姿でこの小屋を再建したということで、その作る過程を含めてアートというかインスタレーションな作品です。
ちなみに、イフガオ族の住んでいるフィリピン・ルソン島のイフガオ州は世界遺産(文化遺産)にも登録された山一面に棚田の広がる地域で、同じく棚田で有名な十日町市との間でこの他にもいくつか交流プロジェクトが進んでいるようです。
風に揺れる稲穂越しに小屋を眺め見ますと、茅葺き屋根の小屋の佇まいが一見懐かしく思えるのですが、何となく感じる違和感は小屋と屋根のプロポーションやその姿の後ろに広がる針葉樹林の林にどことなく「しっくりこない感」を感じるからでしょう。
こういうところにも、あるべきところ(育った環境)にあるべき姿(建築文化)という図式は歴然としてあるものだなぁ、と改めて思い起こさせてくれました。
この「しっくりこない感」を感じることで、その要因をより深く理解することにつながるのだ、と思います。
人が長い年月にわたって育てて来たその地域の建築文化と、自然環境の持つ空気感、植生・地形・気候風土などはお互いに密接に関係していて、小屋ひとつ取ってみても、その環境の中にあってこそその姿である、つまりそれこそが「必然」なのだと感じさせてくれました。
その意味において、この作品を鑑賞する「意義」は大きい。
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