8月1日、谷川岳・西黒尾根を登る … WanderVogel2012/08/01

20120801谷川岳 西黒尾根
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一日ポンッと予定が空いたのと、谷川岳から上越国境方面が快晴という予報を受けて、日帰りのソロトレッキングをしてきました。
苦しいと評判の直登ルート、西黒尾根を登り谷川岳(オキの耳/トマの耳)を目指します。

5:30に谷川岳ロープウェーの駐車場を出発し、途中の登山指導センターの窓口に登山届けを提出し、樹林帯の中の急勾配を登り始めます。

何回か休み(5分~10分程度)を入れながら、7:40にラクダの背に着き、そのまま登り続けて9:00にトマの耳の頂上着。
写真を撮った地点は「ラクダの背」少し手前ですので、ここから「トマの耳」(写真中央上のピョコッと飛び出たピーク)まで1時間40分でした。

朝早い出発だったからか、頂上付近にも登山ルートにも3~4人の人影が確認出来る程度の静かなトレッキングになりました。
(西黒尾根のルート上では一人の登山者とも出会いませんでしたし、頂上のルートも朝9時くらいですと人影もまばらです。静かな谷川岳を味わいたいならこのルートはおすすめかも…)

オキの耳を越し、一ノ倉岳の方向に少し足を伸ばして、ノゾキと呼ばれる断崖絶壁で昼食。オプティマス スベア123Rでお湯を沸かし、お茶とスープとおにぎりの昼食です。

その後は、もと来た道を引き返し、トマの耳からは天神尾根方向に下り、天神平(13:30着)からロープウェーであっという間に朝の駐車場まで下り、今日の山行は無事に終了です。
こんなに快晴になるのも珍しいと言われるほど、谷川岳はもちろん上越国境の山々から越後三山、万太郎山、苗場山、至仏山、なんと八ヶ岳の赤岳頂上までもクリアに見渡せました。

帰りには途中にある、湯テルメ谷川(みなかみ町 町営)で山の汗をさっぱり洗い流して、帰宅します。
以前のBlog(湯テルメ谷川):http://hd2s-ngo.asablo.jp/blog/2011/11/13/

コースタイム:2012年8月1日 快晴、単独山行
5:30 谷川岳ロープウェー駐車場発 ~ (登山カード記入・提出) ~ 5:45 西黒尾根登山口 ~ 6:00 鉄塔 ~ 7:05 樹林帯を抜け尾根上(天神平ロープウェー駅が見える) ~ 7:40 ラクダの背 ~ 8:35 ザンゲ岩 ~ 9:00 トマの耳頂上(休憩) ~ 9:30 オキの耳頂上 ~ 10:10 ノゾキ(昼食1h) ~12:30 熊穴沢避難小屋 ~ 13:30 天神平ロープウェー駅着
(天神平ロープウェー片道¥1,200、谷川岳ロープウェー駐車場¥500)

光るどろだんごワークショップで田村先生と … ART WorkShop2012/08/02

20120802光るどろだんごWS
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土の工房「アトリエ・テラ」を主宰されている田村 和也先生のワークショップに行ってきました。

実際に作る作業は時間が無くて出来ませんでしたが、先生との久しぶりの再開を楽しみました。
今回の目玉はエルサルバドル産の藍を使ったどろだんごです。国産の藍よりも深い色合いのインディゴブルーが神秘的です。

ワークショップには募集人数を越えた応募があり、教室の外まで人がいっぱいで、子供から大人までたくさんの方々が一心不乱にどろだんごを磨いていました。
こういう作業は年齢や性別、職業などに関係なく一気にのめり込んでしまうものなのですね。

ワークショプ終了後、先生と共にキュレイターや染色/織物のアーティストらと時間を忘れて楽しいおしゃべりをして、充実した時間を過ごしました。
たまには違うジャンルのクリエイターと話しをするのは楽しいものです
パワーと元気をもらいました!


昭和初期の洋館そのままを使い続ける個人病院 … 邸園/文化財保全・ヘリテージマネージャー2012/08/03

昭和初期の病院建築
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邸園(歴史的建築物)保全活用には、地域に残る古く貴重な洋館、和館を探し出してリストアップしていくという作業があります。

僕に住んでいる地元横浜/金沢八景周辺にも、歩いて探してみると結構そういう昭和初期に作られた洋館などがひっそりと残っているものです。

写真は木造2階建ての個人医院ですが、もちろん現在も代替りをしながら何代目かのお医者さんが開業しています。
外観は1階は南京(ドイツ?)下見板張りでペンキ塗りという(かなり剥がれていますが)レトロなもので、2階は塗り壁(漆喰?)、窓は全て木製の上げ下げ窓、また 玄関ポーチは小さな車寄せ風にデザインされていて、腰壁がスクラッチタイルで壁はスタッコ調の塗り壁、木製の丸い飾り窓もそのまま残り、昭和初期の洋館の条件がみな揃っています。

全体のデザインバランスがすごく良くて、昭和のレトロな雰囲気を醸し出しています。

軒天井は無垢板の実張りのようですが、さすがに老朽化していて一部は剥がれて欠落しています。
屋根は一見するとフランス瓦のように見えますが、詳細は解りません。(ひょっとすると、ジェラール瓦だったりして、、、まさかねぇ)

こうして全体と細部をざっと眺めて見ただけでも、建設当時の仕様やディテールをそのまま今に残しているのではないかと想像出来ます。

この建物がかなり貴重だと思えるのは、昭和初期のデザインを残しているということだけでなく、当時の個人病院の設計・レイアウトなどが手を加えられずに残されていれば、病院設計の手法的にも重要なサンプルと言えるでしょう。

しっかりと実測と調査をしてみたい建物です。
そして、ぜひ後々までこのまま残していってもらいたいなぁ。

・・・定期的に つづく

横浜の文化遺産のひとつです・ジェラール瓦 … 邸園/文化財保全・ヘリテージマネージャー2012/08/04

ジェラール瓦1886年製
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邸園(歴史的建築物)保全活用推進(ヘリテージマネージャー)活動の専門講座:文化財級の瓦屋根の補修について。

瓦の種類や大きさの違い、その葺き方や工法、材質や産地による特徴など、ひとくちに「瓦工事」といっても、かなり幅も広く 奥が深くて、とてもとても一筋縄ではその芸術性の深淵を覗き込むことは出来ません。

今日の専門講座では、文化財級の瓦仕事専門のエキスパートである屋根工事の棟梁がいろいろな種類の貴重な瓦の現物を持ち込んで、レクチャーをしてくれました。

写真は幕末から明治の初めにかけて、横浜元町に工場を作って西洋瓦(フランス瓦)やレンガを生産していたフランス人、アルフレッド・ジェラールの作ったいわゆる「ジャラール瓦」(裏面)です。
しっかりと刻印も残っていて、ここには1886年製と刻まれています。

ジェラール瓦には2種類あったそうで、赤茶の瓦とこの光沢のあるグレーの瓦です。(赤茶の瓦の方は横浜開港資料館に展示してあります。)

横浜山手の明治時代に建てられた洋館屋根のジェラール瓦は、長い年月潮風を受けてきたからでしょうか、何とも言えない落ち着いた深みと渋い光沢のある表情を見せています。

まさしく「いぶし銀」です。美しい1枚の瓦は、価値のある焼物のようにそれだけで鑑賞に堪えられるものがあります。

・・・定期的に つづく

古建築再生の大工道具たち … 邸園/文化財保全・ヘリテージマネージャー2012/08/05

古建築再生の道具たち
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邸園(歴史的建築物)保全活用推進活動の専門講座:文化財級の木造/木工部分の補修について。

明治から昭和初期に造られた和館・洋館の古建築修復で使用する大工道具たち、のほんの一例を持ってきてもらって、実例を元にレクチャー/ディスカッション。
(建具や木工、石工、塗り壁、屋根などについてはこれとはまた別にそれぞれ専門の棟梁がいて、その職種ごとに特殊な道具を使用して、修復・保全にあたります。)

これらは残念なことに、現在の(住宅を含めて)建設現場ではあまり使用されない道具になってしまっています。
今の木造建築物の造り方は、ほとんどが工場で材料を刻み製作されたプレカット部材を現場に運び込んで、図面に合わせて組立てるという形式ですので、こういった本来 大工さんが使っていた道具などは現場では逆にまったく見られなくなっています。

古い建築物を直す時にだけ、昔の造りかたにならって修復する必要があるために、こういった道具類が必要になってくるというわけです。
そういわれると何だか本末転倒と言うか、さびしい気持ちになります。

・・・定期的に つづく

八ヶ岳・赤岳/権現岳・真教寺尾根を登る … WanderVogel2012/08/11

八ヶ岳赤岳ツルネより
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8月10日、八ヶ岳/赤岳・権現岳を日帰りのソロトレッキング(帰って考えると、まるで山岳マラソンのようでした)をしてきました。

行程が長い、直登する岩場が危険、苦しいと評判の山梨県側からのルート、真教寺尾根を登ってまずは赤岳頂上を目指します。
その後は、時間と天候を見ながらキレット・ツルネ、権現岳方面への縦走をするつもりで計画しました。

天候には恵まれましたが、またまた体力が問題の山行となりました。というよりは、このコースは1泊2日で計画するのが正しい。
しかも横浜から往復 車を運転しての日帰り山行はちと無謀でした。


5:50に清里・美し森山の駐車場を出発し、赤岳を正面に見ながら(実際はこの時間は濃霧で真っ白)真っすぐに樹林帯を登り始めます。

6:50に賽の河原というところに着くも ミルクの中の様で何が何やら解らない状態、そのまま登り続けて7:40に牛首山ピークに到着。
ここでやっと濃霧の上に上がったので、赤岳を始め権現岳や大天狗・小天狗の岩稜が見えてきます。

ここからはしばらく尾根上の見晴らしの良い道が続きますが、危険な岩場のクサリ場が頻繁に現れてきます。
長い行程を敬遠されて人気がないのか、この尾根を登ってくる登山者はあまりいませんので、長野県側美濃戸方面から登るコース上でよく起きる「岩場の渋滞」もありません。

赤岳頂上10:25着。快晴!さすがに頂上付近は登山者でいっぱいです。

早々にもと来た道を引き返し、真教寺尾根分岐を今度はキレット小屋を目指して痩せた岩尾根を下ります。このコースも横岳や阿弥陀岳方面に比べると歩く人がグッと減ります。

キレット小屋までの岩壁の下りはなかなかのものです。振り返って見上げると快晴の青空のなか 赤岳が迫ってくるようにそそり立っています。

このあたりで私の体力も限界に近くヘロヘロ状態で、お昼前なのにすでにキレット小屋での「山小屋宿泊」が頭をよぎります。
キレット小屋で昼食を食べて30分ほど休憩しますと何だか元気が戻ってきたので、このまま権現岳を目指しトレッキング開始ですよ。
この頃より雲の流れが早くなり稜線を吹く風も強くなってきたので、権現岳手前の長い鉄ハシゴが怖かった〜。

権現岳頂上を簡単にクリアして、下山に入ります。(が、ここからもまた本当に本当に長かったぁ〜)
天女山駐車場に下ってきたのが16:50で、ここから車を停めた美し森山駐車場までの八ヶ岳横断歩道+一般道が最後の難関(すでに歩く気力も無し)でした。

コースタイム:2012年8月10日 快晴、単独山行
5:50 清里・美し森山の駐車場発 ~ 6:15 羽衣の池 ~ 6:45 リフト降り場と合流 ~ 6:50 賽の河原着 ~ 7:40 牛首山頂上 ~ 10:10 稜線上に上がる ~ 10:25 赤岳頂上(休憩)10:50発 ~ 11:55 キレット小屋着(昼食) 12:30発 ~ 12:50 ツルネ ~14:00 権現岳頂上 ~ 14:35 三ッ頭着 ~ 15:05 前三ッ頭着 ~ 16:50 天女山駐車場着 ~ 18:30 清里・美し森山の駐車場着
(美し森山 駐車場 無料、飲み水:2.5ℓ)


三渓園・特別公開の鶴翔閣を見る … 建築の旅・WanderVogel2012/08/12

三渓園/鶴翔閣
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三渓園の「夏の特別開放」で一家の住まいとして建てられた「鶴翔閣」と三渓晩年の隠居所「白雲邸」を見に行ってきました。

写真は明治35年竣工の「鶴翔閣(カクショウカク)」の中の客間に当てられた棟内部です。

ここには三渓に庇護を受けた多くの若手芸術家が寝泊まりし、客間隣にある土蔵に納めてあった三渓所蔵の文化財級の書画・彫刻などに直接触れながら新しい芸術の製作にいそしんだといいます。
若手芸術家たちとは、横山大観、下村観山、前田整頓など、後の日本を代表する芸術家たちです。

建物は、外観は重厚な茅葺き屋根で重々しさと威厳を見せていますが、内部は一変して 洗練されていて、造作にも細かい配慮を見せた、非常に上品で繊細な造りの数寄屋建築になっています。

この日(8/12)は同時に古建築公開関連企画として、「建築野外博物館としての三渓園の魅力」という題で、横浜国立大学准教授の大野氏による講演が行われました。

三渓園には白川郷荘川村から移築された「旧矢篦原(ヤノハラ)家住宅」という茅葺き合掌造りの大きな民家が建てられていますが、この住宅と日本民家園(川崎市)にある白川郷白川村、五箇山、五箇山利賀の4つの地域の合掌造りの違いなどを中心に、移築や保存・修復、施工・技術の継承に関わる話しまで、とても内容の濃い講演を聴くことが出来ました。


三渓園は春と夏に期間を限って内部を公開する特別な建物がありますが、それ以外にも多くの重要文化財、横浜市指定有形文化財に指定されている建物が建っています。
とても2回、3回来たくらいで見切れるものではありません。

春の特別公開1:http://hd2s-ngo.asablo.jp/blog/2012/05/04/
春の特別公開2:http://hd2s-ngo.asablo.jp/blog/2012/05/05/


三渓園・特別公開の白雲邸を見る … 建築の旅・WanderVogel2012/08/13

三渓園/白雲邸
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こちらはもうひとつの特別公開建物、三渓晩年の隠居所「白雲邸」内部

大正9年に隠居所として建てられた、近代的で上品なセンスを感じさせる数寄屋風建物です。

この部屋は三渓自身の居室部分で、右ふすま奥には三渓の夫人の部屋が配されています。
かつては、その夫人の部屋(奥書院)と、(春の特別公開で見た)茶室「春草盧(シュンソウロ)」とが繋がっていたようで、使い勝手の良い かつ独創的な建物レイアウトになっていたようです。
今もその時のような建物配置になっていたら、それはそれでかなり魅力的な姿だっただろうなぁ、と想像が膨らみます。

床の間のしつらえも和室全体の造りもひじょうに端正でいて軽快、明るいデザインセンスを保ちながら、凛とした一本筋の通った強い意志を感じさせる室内空間デザインになっていると感じました。

左の三畳の部屋が三渓自身が使った書斎で、明かり取り窓に造り付けの1枚板を渡した書院のようになっています。

「鶴翔閣」と「白雲邸」は共に、横浜市指定有形文化財になっていて、明治、大正期の近代和風建築を代表する建物である、と言っても言い過ぎではないほど、貴重で美しい建物群です。


金沢八景・野島の旧伊藤博文金沢別邸 … 建築の旅・WanderVogel2012/08/14

金沢八景/旧伊藤博文別邸
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私の住み暮らしている金沢八景は、八景島シーパラダイスがあるところと言ったほうが解り易いでしょうが、「八景」と名の付くように古くから風光明媚な地として知られていたようです。

湾に流れる込む侍従川の対岸に野島という小高い丘を持った小島があって、その野島の海側に面してこの旧伊藤博文金沢別邸は建っています。
写真を撮っている側が海側(東京湾)ですので、正面の縁側に腰掛けると目の前の芝生越しにパッと一面の海が広がって見えます。
(今は、前方に八景島シーパラダイスも見えますが・・・)

この別荘は明治31年に伊藤博文により建てられた、茅葺き屋根の田舎家風意匠を持つ海浜別荘建築です。
(明治憲法の草案が作られた「夏島別邸」とは別の建物だそうです。)

明治期には東京近郊の海浜別荘地として金沢八景は注目されていたようで、こういった形態の別荘建築がたくさん建てられたようですが、今となっては現存する建物もほとんどなくなっていますので、これは貴重な文化遺産といえます。

昭和初期にはいると別荘地としてのトレンドは、茅ヶ崎・藤沢・大磯など鎌倉から小田原にかけての海浜地区に移行していくことになります。

竣工時は5棟構成で建設されていたのですが、横浜市が所有した時(昭和34年)にはそのうちの客間棟、居間棟、台所棟の3棟だけで、他の2棟(玄関棟、湯殿棟)は失われてしまっていました。

その後、平成20年から21年にかけての解体・復元の大修理の際に、明治の建設当時の姿そのままに、出来るだけ当時の技術を再現しながら復元されました。

当時の技術そのままに茅葺き屋根や板葺き屋根、小舞壁に土塗り壁など技術の伝承にも気を配りながら、当時の原型に出来るだけ忠実に復元したこともあり、横浜市指定有形文化財に指定されています。


そんな素晴らしい建物なのに、ここは訪れる人もまばらで、のんびりするには最適なところです。
出入りも自由ですので、涼しい海風を受けて開放的な縁側でまどろむなど、何よりも贅沢な時間の過ごし方が出来ます。


終戦記念日に思う・野島の旧海軍掩体壕 … 建築の旅・WanderVogel2012/08/15

金沢八景/野島掩体壕
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私の住んでいる金沢八景は、旧海軍軍港の横須賀と接していることもあって旧海軍施設(海軍病院や海軍給水場など)が数多く残っています。

横須賀と言えば、東京湾に浮かぶ無人島「猿島」にそのままの姿で残っている旧海軍軍事施設や旧海軍ドックが有名ですが、金沢八景の野島(旧伊藤博文金沢別邸の目と鼻の先)にも、島を貫通して造られた長大な掩体壕が残されています。
掩体壕とは空襲から飛行機を守るためにコンクリートなどで造る覆い状の構造物のことで、普通は1機ずつ格納出来る大きさのものなのですが、野島のものは旧海軍戦闘機100機程度を収納出来る規模で造られていますので、現存する旧軍事施設としては日本最大級といえます。

掩体壕の出入口は幅20m、高さ7mで、トンネル状に島の反対側に260mの長さがあります。
その他にも倉庫や無数のトンネル状の通路や小部屋、観測所跡らしき穴があちらこちらに見られます。

川を挟んだ対岸の現在日産工場テストコースのある一帯は、戦前・戦中には旧横須賀海軍航空隊基地の飛行場があったところで、そこから川に橋を架けて戦闘機を運び込もうと考えていたようです。

実際には終戦の方が早かったので使用されることは無かったのですが、逆にもし使用されていれば当然大規模な空襲を受けて島のかたちも変わっているほどだったでしょう。そうなれば、下記の旧伊藤博文金沢別邸も完全に消滅してしまったことでしょう。

今となっては使い道の無い「負の遺産」なのでしょうが、歴史の証人としてしっかりと保存して後世に伝え残していきたい。


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