日本民家園・特別公開/旧原家住宅 … 建築の旅・WanderVogel2012/09/16

日本民家園 旧原家住宅
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川崎市立の日本民家園の中の「旧原家住宅」をお借りして、歴史的建造物調査の実測調査演習を行ないました。
ですので正確には「特別公開」ではなく、上記実測演習のために日頃立ち入れないエリアまで入らせてもらい、隅々まで見せていただくことが出来た、ということでした。

旧原家住宅(屋号:石橋)は、川崎市中原区小杉陣屋町に所在した大地主の母屋を川崎市が譲り受け、昭和63年に解体工事に着手し平成3年にここ日本民家園の敷地内に移築復元がなった建物です。

上棟は明治44年4月といいますから、江戸時代まで綿々と続いてきた「士農工商」の厳格な身分制度が解体したことで、使える建築材料・建築素材も、床の間や違い棚、書院といった意匠など、それまでの「縛り」を気にすること無く、施主のお金の許す限り自由にデザインし、普請をすることが出来た時代に入っていました。
“その意味”では、かなり興味深い大地主の邸宅建築です。

目につく部分の木材にはケヤキ材をふんだんに使って、当時まだ高価だったであろう板ガラスも回廊の外側全面に使用するなど、建築素材にはかなりお金をかけていることが解ります。
豪壮で重厚感のある大きな瓦屋根も、身分制度が残っていた時代ではいくらお金を持っている豪農と言えども、絶対に建てることなど出来なかったものです。

そういった時代背景を持ったこの建物、完全なかたちで移築されたことで歴史的にも価値があり、使っている素材も贅を尽くしていて、建築技術(構造的な技術水準の高さや精巧で複雑な仕口など)の面からも、資料的価値のとても高い建物のひとつであると言えます。


ただし、全体の印象を素直に言いますと、「身分制度の時代の中では、決して出来なかったことをとりあえずみんなやっちゃおう!」的な(なんかちょっとズレてる)違和感を感じてしまって、前回行った原三渓の隠居住宅で感じたような「落ち着きと上品さ」「思慮深さ」「爽やかな品性」といった感覚とはちょっと違う感じがしたのが残念でした。

もっとも、旧原家住宅のような大地主の豪放な和風住宅と、同年代に造られた同じような和風の住宅と言っても、完全に数寄屋の造りがされている三渓園の「鶴翔閣」や「白雲邸」とを同じ目線で比べてしまうのは“酷”なのかもしれませんね。
(こんなことBlogに書くと日本民家園の学芸員からお叱りを受けるかもしれませんな…。)

日本民家園には、他にも多くの茅葺き民家があって、民家建築の木造技術の資料的にも、日本の各地の民家史的にも価値のある、かなり見応えのある日本有数の民家野外博物館です!
(と、最後にゴマすっておこうっと)

十日町・星名家:http://hd2s-ngo.asablo.jp/blog/2012/09/07/
三渓園・白雲邸:http://hd2s-ngo.asablo.jp/blog/2012/08/13/
三渓園・鶴翔閣:http://hd2s-ngo.asablo.jp/blog/2012/08/12/


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