スペイン・ロンダの断崖に建つパラドール 1997 … WanderVogel ― 2012/04/01
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スペインに点在するイスラーム建築、庭園を見て回るため、パリからマドリッド行きのTGVとタルゴに乗ったのが1997年9月の中頃でした。
アンダルシア地方を中心に9月から10月にかけて約一ヶ月間、コルドバ、セビーリア、グラナダ、ロンダなどの諸都市を巡ってきました。
イスラーム建築、モスク(スペインではメスキータと言います)の典型は大別すると4つ
1:ペルシャ型:イラン・イスファハンにある「王のモスク」(ササーン朝)
2:トルコ型:イスタンブールにある「イェニ・ジャミ」(オスマントルコ)
3:アラブ型:エジプト・カイロにある「アルム・モスク」(ウマイヤ朝)
4:インド型:インド・オールドデリーの「金曜日のモスク」(ムガール朝)
スペインに点在するモスクは、アラブ型(ウマイヤ朝)の建築様式を持っています。
アルハンブラ宮殿に代表される独特のデザインを持つイスラーム建築は「ムーア建築」とも呼ばれます。
スペインにイスラームが入ってきたのは、711年にベルベル人を先頭にジブラルタル海峡を渡って攻め込んできたウマイア王朝のアラブ人が最初で、それ以後1492年に最後のイスラム王国であるグラナダ王国を滅ぼすまでの長い期間イスラーム文化圏に取り込まれていました。
コルドバのメスキータやグラナダのアルハンブラ宮殿を初め、地方にもイスラーム時代に造られた邸宅、庭園などがあちこちに残されています
アンダルシア南部マラガの西にあるロンダという古い町は、ロンダ渓谷という切り立った崖の上にある町として有名です。
そこには断崖を利用したムデハル・ゴシック様式で造られた有名な「芸術的庭園」が残っていて、アラブ式の庭園でありながら、通常のイスラーム庭園とはまったく趣の違う「楽園」が広がっています。
その魅力は何といっても、ロケーションを生かした大胆な造園デザイン/設計手法にあります。
非常に興味深い、何ともダイナミックで美しいイスラーム庭園でした。
ロンダで何泊か宿泊したのが、写真左上の崖の上に建つ1761年に建造された旧市庁舎を改装したというパラドールです。
100mを越す絶壁を見下ろす(旧市街とをつなぐ)ヌエボ橋のたもとに建っていて、ロンダ渓谷のすばらしい眺望と眼下のオリーブ畑を一望することが出来ます。
個人旅行でしたので、事前に宿泊予約などは取っていなかったのですが、その前日に宿泊していたグラナダのパラドールのコンセルジュに頼み直接ロンダに電話をしてもらい、予約を取ることが出来ました。
グラナダのパラドールは、アルハンブラ宮殿の一部であるサンフランシスコ修道院をパラドールに改装したもので、宿泊客しか入れない庭園(パティオ)や館内外の装飾、客室と窓の外に広がる広い庭など、それぞれがアラブとキリストの両文化を融合させた独特の空間を作りだしていて、「千夜一夜の世界」のような雰囲気で満ち溢れていました。
ここも事前予約していなかったのですが、直接パラドールに出向いて交渉すると運良く部屋を取ることが出来ました。非常にラッキーでした。
・・・不定期に つづく
…
スペインに点在するイスラーム建築、庭園を見て回るため、パリからマドリッド行きのTGVとタルゴに乗ったのが1997年9月の中頃でした。
アンダルシア地方を中心に9月から10月にかけて約一ヶ月間、コルドバ、セビーリア、グラナダ、ロンダなどの諸都市を巡ってきました。
イスラーム建築、モスク(スペインではメスキータと言います)の典型は大別すると4つ
1:ペルシャ型:イラン・イスファハンにある「王のモスク」(ササーン朝)
2:トルコ型:イスタンブールにある「イェニ・ジャミ」(オスマントルコ)
3:アラブ型:エジプト・カイロにある「アルム・モスク」(ウマイヤ朝)
4:インド型:インド・オールドデリーの「金曜日のモスク」(ムガール朝)
スペインに点在するモスクは、アラブ型(ウマイヤ朝)の建築様式を持っています。
アルハンブラ宮殿に代表される独特のデザインを持つイスラーム建築は「ムーア建築」とも呼ばれます。
スペインにイスラームが入ってきたのは、711年にベルベル人を先頭にジブラルタル海峡を渡って攻め込んできたウマイア王朝のアラブ人が最初で、それ以後1492年に最後のイスラム王国であるグラナダ王国を滅ぼすまでの長い期間イスラーム文化圏に取り込まれていました。
コルドバのメスキータやグラナダのアルハンブラ宮殿を初め、地方にもイスラーム時代に造られた邸宅、庭園などがあちこちに残されています
アンダルシア南部マラガの西にあるロンダという古い町は、ロンダ渓谷という切り立った崖の上にある町として有名です。
そこには断崖を利用したムデハル・ゴシック様式で造られた有名な「芸術的庭園」が残っていて、アラブ式の庭園でありながら、通常のイスラーム庭園とはまったく趣の違う「楽園」が広がっています。
その魅力は何といっても、ロケーションを生かした大胆な造園デザイン/設計手法にあります。
非常に興味深い、何ともダイナミックで美しいイスラーム庭園でした。
ロンダで何泊か宿泊したのが、写真左上の崖の上に建つ1761年に建造された旧市庁舎を改装したというパラドールです。
100mを越す絶壁を見下ろす(旧市街とをつなぐ)ヌエボ橋のたもとに建っていて、ロンダ渓谷のすばらしい眺望と眼下のオリーブ畑を一望することが出来ます。
個人旅行でしたので、事前に宿泊予約などは取っていなかったのですが、その前日に宿泊していたグラナダのパラドールのコンセルジュに頼み直接ロンダに電話をしてもらい、予約を取ることが出来ました。
グラナダのパラドールは、アルハンブラ宮殿の一部であるサンフランシスコ修道院をパラドールに改装したもので、宿泊客しか入れない庭園(パティオ)や館内外の装飾、客室と窓の外に広がる広い庭など、それぞれがアラブとキリストの両文化を融合させた独特の空間を作りだしていて、「千夜一夜の世界」のような雰囲気で満ち溢れていました。
ここも事前予約していなかったのですが、直接パラドールに出向いて交渉すると運良く部屋を取ることが出来ました。非常にラッキーでした。
・・・不定期に つづく
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早春の丹沢山系・表尾根 20120401 … WanderVogel ― 2012/04/02
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4月最初の日曜日(4/1)に、丹沢表尾根を山歩きしてきました。
早朝、秦野駅から蓑毛行きのバスに乗り、蓑毛バス停(標高300m)の着いたのが7:15、最終地点で下車したのは登山客3名だけでした。
出発の準備をして7:30にバス停を出発して、まずはヤビツ峠を目指して歩きます。
昨日までの雨もすっかり上がり、気持ちの良い朝の日差しを浴びて一人、山道を歩きます。
写真は三ノ塔(10:00)から今日の目的地方面を撮ったものです。
写真中央左手のすこし開けた尾根が烏尾山(烏尾山荘)です。
そこから斜めに右上に延びる尾根道を歩き、稜線上に出たところが新大日で、写真中央の一番高く見えているのが今日の目的地、塔ノ岳(標高1,491m)です。
塔ノ岳の右に延びている稜線先に、百名山のひとつ 丹沢山(標高1,567m)が見えます。
塔ノ岳から左下に下っている尾根が今日の下りのコース大倉尾根です。
そして、その向こう側の稜線の少し高いところが鍋割山です。
空は薄い雲が少しかかり、スッキリとした快晴とまではいきませんが、表丹沢の山系がよく見えて気持ちいいです。
木々が葉を落としているので、痩せた尾根道から両側の眺望もよく見渡せて、歩いていても晴々とした気持ちになります。
まだ少し寒いので行き交う登山者も少なく、のんびりと静かなトレッキング(行程は8時間ちょっと)となりました。
塔ノ岳頂上(12:50)付近は冷たい強風が吹付けていましたが、その他は穏やかな早春の日差しを浴びていて、持っていったダウンジャケットの出番もありませんでした。
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4月最初の日曜日(4/1)に、丹沢表尾根を山歩きしてきました。
早朝、秦野駅から蓑毛行きのバスに乗り、蓑毛バス停(標高300m)の着いたのが7:15、最終地点で下車したのは登山客3名だけでした。
出発の準備をして7:30にバス停を出発して、まずはヤビツ峠を目指して歩きます。
昨日までの雨もすっかり上がり、気持ちの良い朝の日差しを浴びて一人、山道を歩きます。
写真は三ノ塔(10:00)から今日の目的地方面を撮ったものです。
写真中央左手のすこし開けた尾根が烏尾山(烏尾山荘)です。
そこから斜めに右上に延びる尾根道を歩き、稜線上に出たところが新大日で、写真中央の一番高く見えているのが今日の目的地、塔ノ岳(標高1,491m)です。
塔ノ岳の右に延びている稜線先に、百名山のひとつ 丹沢山(標高1,567m)が見えます。
塔ノ岳から左下に下っている尾根が今日の下りのコース大倉尾根です。
そして、その向こう側の稜線の少し高いところが鍋割山です。
空は薄い雲が少しかかり、スッキリとした快晴とまではいきませんが、表丹沢の山系がよく見えて気持ちいいです。
木々が葉を落としているので、痩せた尾根道から両側の眺望もよく見渡せて、歩いていても晴々とした気持ちになります。
まだ少し寒いので行き交う登山者も少なく、のんびりと静かなトレッキング(行程は8時間ちょっと)となりました。
塔ノ岳頂上(12:50)付近は冷たい強風が吹付けていましたが、その他は穏やかな早春の日差しを浴びていて、持っていったダウンジャケットの出番もありませんでした。
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デンマーク・クロンボー城とハムレット 1979 … WanderVogel ― 2012/04/04
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一人、心細さいっぱいでコペンハーゲンに着いたのが1979年(21歳)の初夏でした。
かなり色あせていて時代を感じさせる一枚の写真ですが、ヨーロッパに入って一番最初に行った場所です。
コペンハーゲンの北、スウェーデンと海峡で国境を接している海岸線に面して建つクロンボー城とそれを取り囲む城壁です。
この城は古城として(2000年に)ユネスコの世界文化遺産に登録されたとはいえ、建築学的にはヨーロッパ各地に点在している「郷土の城」の中のひとつ、という位置づけをされてしまう程度なのかもしれません。
この城を世界的に有名にしているのは、この城が戯曲「ハムレット」の舞台として伝わっているという一点にあります。
「To be or not to be, that is the question」で有名な「ハムレット」
(もっとも、シェイクスピア自身は一度もこの城を訪れたことは無いといいますが…)
「ハムレット」の中の重要なシーン、父王の亡霊が夜な夜な城の城壁に現れるその舞台として、この城の存在価値はグンと跳ね上がります。
ハムレット、オフィーリア、ガートルード、ホレイショー、そして父王の亡霊、様々な登場人物がこの城に集まり舞台は展開していきます。
この城の内部は創建当時のものではないにせよ、「その事件」が実際にここで起きたのかぁ、と何だか本当に起こったことのように思えてくるから不思議なものです。
これから半年以上におよぶ旅の最初に、どうしても見ておきたかった場所でした。
・・・不定期に つづく
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一人、心細さいっぱいでコペンハーゲンに着いたのが1979年(21歳)の初夏でした。
かなり色あせていて時代を感じさせる一枚の写真ですが、ヨーロッパに入って一番最初に行った場所です。
コペンハーゲンの北、スウェーデンと海峡で国境を接している海岸線に面して建つクロンボー城とそれを取り囲む城壁です。
この城は古城として(2000年に)ユネスコの世界文化遺産に登録されたとはいえ、建築学的にはヨーロッパ各地に点在している「郷土の城」の中のひとつ、という位置づけをされてしまう程度なのかもしれません。
この城を世界的に有名にしているのは、この城が戯曲「ハムレット」の舞台として伝わっているという一点にあります。
「To be or not to be, that is the question」で有名な「ハムレット」
(もっとも、シェイクスピア自身は一度もこの城を訪れたことは無いといいますが…)
「ハムレット」の中の重要なシーン、父王の亡霊が夜な夜な城の城壁に現れるその舞台として、この城の存在価値はグンと跳ね上がります。
ハムレット、オフィーリア、ガートルード、ホレイショー、そして父王の亡霊、様々な登場人物がこの城に集まり舞台は展開していきます。
この城の内部は創建当時のものではないにせよ、「その事件」が実際にここで起きたのかぁ、と何だか本当に起こったことのように思えてくるから不思議なものです。
これから半年以上におよぶ旅の最初に、どうしても見ておきたかった場所でした。
・・・不定期に つづく
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ロンシャンの教会(礼拝堂) 1994 … WanderVogel ― 2012/04/06
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ロンシャンの教会(礼拝堂)を訪れたのは、1994年の秋のことです。
正式な名称はノートルダム・テュ・オー Chapelle Notre Dame Du Haut と言います。
ロンシャンに行くには(ツアーでなく自分の足で行くのが良い)パリから電車で近くの駅ベルフォールまで行き、そこからバスかタクシーということになります。
(私の行ったのは昔ですので、通貨はユーロではなくフランスフランでした。)
バスを降りてポクポクとなだらかな丘を登ってたどり着いた礼拝堂は、周りののどかな景色の中でやはり独特のオーラを放っていました。
この建物は自分の足で丘を登って見に行かないと、自分と建物との距離も縮まりませんし、お互いに解り合うことも出来ないと思いました。
あまりにも偉大で有名なロンシャンの教会(礼拝堂)ですので、あえて私がここで説明をすることもありませんが、外観はどこをどの角度から撮っても美しい建物です。
そして内部もまた素晴らしい!
様々な形・大きさのたくさんの小さな窓から差し込む光のひとつひとつが、それぞれに意味のある光のように感じられます。
言葉や写真では絶対に伝えきれない神々しいまでの空間と造形美です。
・・・不定期に つづく
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ロンシャンの教会(礼拝堂)を訪れたのは、1994年の秋のことです。
正式な名称はノートルダム・テュ・オー Chapelle Notre Dame Du Haut と言います。
ロンシャンに行くには(ツアーでなく自分の足で行くのが良い)パリから電車で近くの駅ベルフォールまで行き、そこからバスかタクシーということになります。
(私の行ったのは昔ですので、通貨はユーロではなくフランスフランでした。)
バスを降りてポクポクとなだらかな丘を登ってたどり着いた礼拝堂は、周りののどかな景色の中でやはり独特のオーラを放っていました。
この建物は自分の足で丘を登って見に行かないと、自分と建物との距離も縮まりませんし、お互いに解り合うことも出来ないと思いました。
あまりにも偉大で有名なロンシャンの教会(礼拝堂)ですので、あえて私がここで説明をすることもありませんが、外観はどこをどの角度から撮っても美しい建物です。
そして内部もまた素晴らしい!
様々な形・大きさのたくさんの小さな窓から差し込む光のひとつひとつが、それぞれに意味のある光のように感じられます。
言葉や写真では絶対に伝えきれない神々しいまでの空間と造形美です。
・・・不定期に つづく
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スイス/ミューレンとアイガー北壁 1994 … WanderVogel ― 2012/04/07
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1994年秋、パリを出てロンシャンの礼拝堂を訪れた後にそのままスイスに入り、ミューレンという可愛らしい小さな山村に連泊していました。
あまりの美しさと快適さに結局その後、スイスには丸々2週間以上も滞在することになりました。
ミューレンという村は、ベルナーオーバーラント地方のラウターブルンネン谷にそそり立つ 氷河が削り取った高い崖の上にある山村です。
連泊していた民宿の食堂のテラスからは、深い谷越しに美しいベルナーアルプスが一望に見渡せました。
アルプス山脈の山容というのは厳しい岩稜一色なのですが、その山麓には放牧地が広がり高山植物が咲き乱れていて、ブルーメンタール(花の谷)と呼ばれているやさしい光景が広がっています。
写真はクライネ・シャイデックからアイガーグレッシャーへ向かう途中に仰ぎ見たアイガー北壁の姿です。
アイガー(3,970m)の右側にはメンヒ(4,099m)、ユングフラウ(4,158m)が並んで連なっています。
メンヒとユングフラウのコル(鞍部)にある山岳鉄道の駅(ユングフラウ ヨッホ)からは、壮大なアレッチ氷河(Aletsch gletscher)を見ることが出来ます。
ヒマラヤの「トレッキング」とはひと味もふた味も違う、気軽な「ハイキング」を楽しむことが出来るのがヨーロッパの、スイスの、山歩きの大きな魅力です。
歩き疲れれば、ケーブルカーでもロープウェーでもリフトでも、様々な山岳交通機関が準備されています。
また、アイガーなどの主峰頂上まで安全に連れて行ってくれる登山ツアーも現地では盛んで、多少の山登りの経験とそれなりの装備があれば頂上に立つことも難しくはないそうです。
・・・不定期に つづく
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1994年秋、パリを出てロンシャンの礼拝堂を訪れた後にそのままスイスに入り、ミューレンという可愛らしい小さな山村に連泊していました。
あまりの美しさと快適さに結局その後、スイスには丸々2週間以上も滞在することになりました。
ミューレンという村は、ベルナーオーバーラント地方のラウターブルンネン谷にそそり立つ 氷河が削り取った高い崖の上にある山村です。
連泊していた民宿の食堂のテラスからは、深い谷越しに美しいベルナーアルプスが一望に見渡せました。
アルプス山脈の山容というのは厳しい岩稜一色なのですが、その山麓には放牧地が広がり高山植物が咲き乱れていて、ブルーメンタール(花の谷)と呼ばれているやさしい光景が広がっています。
写真はクライネ・シャイデックからアイガーグレッシャーへ向かう途中に仰ぎ見たアイガー北壁の姿です。
アイガー(3,970m)の右側にはメンヒ(4,099m)、ユングフラウ(4,158m)が並んで連なっています。
メンヒとユングフラウのコル(鞍部)にある山岳鉄道の駅(ユングフラウ ヨッホ)からは、壮大なアレッチ氷河(Aletsch gletscher)を見ることが出来ます。
ヒマラヤの「トレッキング」とはひと味もふた味も違う、気軽な「ハイキング」を楽しむことが出来るのがヨーロッパの、スイスの、山歩きの大きな魅力です。
歩き疲れれば、ケーブルカーでもロープウェーでもリフトでも、様々な山岳交通機関が準備されています。
また、アイガーなどの主峰頂上まで安全に連れて行ってくれる登山ツアーも現地では盛んで、多少の山登りの経験とそれなりの装備があれば頂上に立つことも難しくはないそうです。
・・・不定期に つづく
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早春の丹沢山・塔ノ岳 20120408 … WanderVogel ― 2012/04/08
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先週に引き続き、丹沢の尾根歩きしてきました。今日は丹沢山まで足を伸ばしてみました。
今回は先週とは逆に渋沢駅から大倉まで行き、そこがスタート地点となりました。(7:50)
先週とコースがバッティングしないように、大倉から四十八瀬川(しじゅうはっせがわ)沿いに延びる西山林道を1時間ほど歩く。
支流の(沢登りで有名な)勘七沢と分岐する二俣を通り越し、さらに林道を少し歩き林道終点のミズヒ沢を渡るあたりから、鍋割山へ続く尾根上(後沢乗越)まで一気に突き上げます。
鍋割山(標高1,272m)には10:25着、朝食を食べずに登り始めたのでここで軽い朝食です。
そこから塔ノ岳(標高1,491m)までは見通しの良い稜線上を歩き11:50着、丹沢山(標高1,567m)に向かってそのまま歩き通します。
塔ノ岳から丹沢山までは、笹原の広がる眺望の開けた明るい稜線上の道が続きます。
写真は日高(ひったか)という場所を過ぎ、竜ヶ馬場というあたりから丹沢山方向を撮ったものです。
中央山頂が百名山の「丹沢山」で、左奥に見えている高い山が神奈川県の最高峰「蛭ヶ岳(標高1,673m)」です。
丹沢山着は12:50着、2度目の食事を取って13:15発、塔ノ岳に向かって来た道を引き返します。
塔ノ岳からの下りの道は、先週と同じ大倉尾根を下るのはちょっと芸がないので、途中から水無川の源流部分岐の戸沢に向かって天神尾根を下ります。
戸沢は水無川本谷と源次郎沢との分岐に当ります。
「水無川本谷」も沢登りで有名な沢です。
あとは戸川林道を大倉に向かってひたすら歩き(約1時間半)、今日の山歩きは終了(17:15)となりました。
今日の山行は疲れました。
…
先週に引き続き、丹沢の尾根歩きしてきました。今日は丹沢山まで足を伸ばしてみました。
今回は先週とは逆に渋沢駅から大倉まで行き、そこがスタート地点となりました。(7:50)
先週とコースがバッティングしないように、大倉から四十八瀬川(しじゅうはっせがわ)沿いに延びる西山林道を1時間ほど歩く。
支流の(沢登りで有名な)勘七沢と分岐する二俣を通り越し、さらに林道を少し歩き林道終点のミズヒ沢を渡るあたりから、鍋割山へ続く尾根上(後沢乗越)まで一気に突き上げます。
鍋割山(標高1,272m)には10:25着、朝食を食べずに登り始めたのでここで軽い朝食です。
そこから塔ノ岳(標高1,491m)までは見通しの良い稜線上を歩き11:50着、丹沢山(標高1,567m)に向かってそのまま歩き通します。
塔ノ岳から丹沢山までは、笹原の広がる眺望の開けた明るい稜線上の道が続きます。
写真は日高(ひったか)という場所を過ぎ、竜ヶ馬場というあたりから丹沢山方向を撮ったものです。
中央山頂が百名山の「丹沢山」で、左奥に見えている高い山が神奈川県の最高峰「蛭ヶ岳(標高1,673m)」です。
丹沢山着は12:50着、2度目の食事を取って13:15発、塔ノ岳に向かって来た道を引き返します。
塔ノ岳からの下りの道は、先週と同じ大倉尾根を下るのはちょっと芸がないので、途中から水無川の源流部分岐の戸沢に向かって天神尾根を下ります。
戸沢は水無川本谷と源次郎沢との分岐に当ります。
「水無川本谷」も沢登りで有名な沢です。
あとは戸川林道を大倉に向かってひたすら歩き(約1時間半)、今日の山歩きは終了(17:15)となりました。
今日の山行は疲れました。
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金沢文庫 称名寺の浄土庭園と桜 … WanderVogel ― 2012/04/10
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用事があって近くを通ったので、金沢文庫の称名寺に桜を見に立ち寄りました。
ちょうど満開で、山門までの桜のトンネルも見事でしたし、庭園の池泉に写る桜の花も美しかったです。
称名寺は庭が特に有名で、平安時代末期に造られた「浄土庭園」の姿を今なお残す日本でも数少ない貴重な庭園形式を持った庭です。
浄土(式)庭園は平安時代から鎌倉時代にかけて多く造られましたが、現存するこの形式の庭は少なく、最も有名なものに東北・平泉の「毛越寺庭園」があります。
私も過去この浄土庭園をみるために二度「毛越寺」に行ったことがあります。
金沢文庫・称名寺の庭は毛越寺のものほど広大でダイナミックな作庭という訳ではありませんが、周囲の緑の借景と相まって落ち着いた「浄土庭園」の姿を見ることが出来ます。
毎年、称名寺境内で「薪能」が行なわれますが、今年は5月6日(日)に 「土蜘」が上演されます。
今年は私も前の方の桟敷席のチケットを購入しました。楽しみです。
浄土庭園の作庭(デザイン)は、仏教の浄土思想の影響を大きく受けたもので、極楽浄土の世界を再現しようと寺院建築物(金堂や仏堂)の前に園池が広がる形式をとっています。
この形式の伽藍配置は、この「池泉・園池」の占める役割が非常に大きく、華麗な堂塔や小島/橋などが池面に映る姿は当時の人々に極楽浄土を想像させたのだろうと思います。
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用事があって近くを通ったので、金沢文庫の称名寺に桜を見に立ち寄りました。
ちょうど満開で、山門までの桜のトンネルも見事でしたし、庭園の池泉に写る桜の花も美しかったです。
称名寺は庭が特に有名で、平安時代末期に造られた「浄土庭園」の姿を今なお残す日本でも数少ない貴重な庭園形式を持った庭です。
浄土(式)庭園は平安時代から鎌倉時代にかけて多く造られましたが、現存するこの形式の庭は少なく、最も有名なものに東北・平泉の「毛越寺庭園」があります。
私も過去この浄土庭園をみるために二度「毛越寺」に行ったことがあります。
金沢文庫・称名寺の庭は毛越寺のものほど広大でダイナミックな作庭という訳ではありませんが、周囲の緑の借景と相まって落ち着いた「浄土庭園」の姿を見ることが出来ます。
毎年、称名寺境内で「薪能」が行なわれますが、今年は5月6日(日)に 「土蜘」が上演されます。
今年は私も前の方の桟敷席のチケットを購入しました。楽しみです。
浄土庭園の作庭(デザイン)は、仏教の浄土思想の影響を大きく受けたもので、極楽浄土の世界を再現しようと寺院建築物(金堂や仏堂)の前に園池が広がる形式をとっています。
この形式の伽藍配置は、この「池泉・園池」の占める役割が非常に大きく、華麗な堂塔や小島/橋などが池面に映る姿は当時の人々に極楽浄土を想像させたのだろうと思います。
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インド旅の魅力は・・・ 1991 … WanderVogel ― 2012/04/11
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インドを旅するのにバックパッカーだけが正統とは限りません。
今の時代、バックパッカーという言葉も少し古ぼけた言い方ですが、一日数百円で旅を続けることも、一泊の宿泊費だけで数万円のマハラジャホテルを泊まり歩くこともできます。
(私も始めてインドに行った時は、1日400円から500円で宿泊費・交通費・食費まで全てをまかなっていましたから…)
インド(ムガール帝国)は大英帝国(東インド会社)に植民地化されていた長い歴史があるにせよ、地方には藩王(マハラジャ)の統治する体制がしっかりと残っていて、マハラジャの旧王宮や離宮がそのまま残されています。
以前も書いたように、そういったマハラジャの旧王宮殿や離宮などに泊まりながら、王族達が綿々と守り続けてきた王侯芸術/文化を味わう贅沢な旅もインドの大きな魅力のひとつです。
http://hd2s-ngo.asablo.jp/blog/2012/03/26/6388334
特にラジャスターン州やグジャラート州、マッディア・プラデーシュ州などにはそういった歴史的文化・建築が数多く点在しています。
写真はウダイプールにあるピチョーラ湖に面して建つ、シヴ・ニワス・ホテルです。
今は全体が大きなパレスホテルとして使われているようですが、私の行った1991年当時は半分以上は未だマハラジャの居住施設として使われており、部屋数も十数室 そこそこしかありませんでした。
宿泊料金も湖内の島に建つ有名なレイクパレスより高かった気がします
(日本では予約など出来る時代ではなかったので、ニューデリーのトラベルエージェントからテレックスを打って予約した覚えがあります。)
部屋は何部屋もある広いスイートルームで、部屋に面した中庭にはサーバントが常に控えていて、(電話でコールするのではなく)室内から声をかけただけでティーでもなんでも持ってきてくれるという、夢のようなマハラジャ待遇で接してくれるホテルでした。
「ホスピタリティ」という言葉のもつ本当の意味を始めて実感したのもこのホテルでした。
デリーから一ヶ月間雇って車を運転してきたインド人運転手はカーストが低いということで 大門から中には入ることがかなわず、我々2人もそこで車を降りて歩いて入った記憶があります。
外界から完全に隔絶された、違う「インド」がそこにはありました。
・・・不定期に つづく
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インドを旅するのにバックパッカーだけが正統とは限りません。
今の時代、バックパッカーという言葉も少し古ぼけた言い方ですが、一日数百円で旅を続けることも、一泊の宿泊費だけで数万円のマハラジャホテルを泊まり歩くこともできます。
(私も始めてインドに行った時は、1日400円から500円で宿泊費・交通費・食費まで全てをまかなっていましたから…)
インド(ムガール帝国)は大英帝国(東インド会社)に植民地化されていた長い歴史があるにせよ、地方には藩王(マハラジャ)の統治する体制がしっかりと残っていて、マハラジャの旧王宮や離宮がそのまま残されています。
以前も書いたように、そういったマハラジャの旧王宮殿や離宮などに泊まりながら、王族達が綿々と守り続けてきた王侯芸術/文化を味わう贅沢な旅もインドの大きな魅力のひとつです。
http://hd2s-ngo.asablo.jp/blog/2012/03/26/6388334
特にラジャスターン州やグジャラート州、マッディア・プラデーシュ州などにはそういった歴史的文化・建築が数多く点在しています。
写真はウダイプールにあるピチョーラ湖に面して建つ、シヴ・ニワス・ホテルです。
今は全体が大きなパレスホテルとして使われているようですが、私の行った1991年当時は半分以上は未だマハラジャの居住施設として使われており、部屋数も十数室 そこそこしかありませんでした。
宿泊料金も湖内の島に建つ有名なレイクパレスより高かった気がします
(日本では予約など出来る時代ではなかったので、ニューデリーのトラベルエージェントからテレックスを打って予約した覚えがあります。)
部屋は何部屋もある広いスイートルームで、部屋に面した中庭にはサーバントが常に控えていて、(電話でコールするのではなく)室内から声をかけただけでティーでもなんでも持ってきてくれるという、夢のようなマハラジャ待遇で接してくれるホテルでした。
「ホスピタリティ」という言葉のもつ本当の意味を始めて実感したのもこのホテルでした。
デリーから一ヶ月間雇って車を運転してきたインド人運転手はカーストが低いということで 大門から中には入ることがかなわず、我々2人もそこで車を降りて歩いて入った記憶があります。
外界から完全に隔絶された、違う「インド」がそこにはありました。
・・・不定期に つづく
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世附川源流域の支流でフライフィッシング … WanderVogel ― 2012/04/15
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一昨年の台風で西丹沢の世附川は大きな被害を受け、林道は斜面の崖ごと崩落し、橋もいくつも流され、川の渓相が一変してしまいました。
昨年は世附川本谷もそれにつながる数多くの支流も全て立ち入りが禁止となり、林道も車止めのある 浅瀬集落から先は閉鎖となっていました。
今年はとりあえず渓流釣りはOKとなっているようですが、肝心の林道の復旧は全然終わってませんので安全な通行は出来ない状態だそうです。
そこで、私も考えました、それなら反対側から山を越えて、谷まで下って源流域に入渓すればどうなのよ、と。
西丹沢の反対側からのアプローチはいくつかありますが、いずれも登山道らしい道は無く かろうじて作業用の踏み跡程度が確認されるだけのようで、基本的には背丈以上の笹の藪漕ぎと谷への強行突破が前提ということのようです。
唯一の救いは、西丹沢の長野県側稜線上には東海自然道が走っていて、かなり荒れてはいますが、稜線上の踏み跡と標識ははっきりしてます。
(台風被害前の)一昨年までの浅瀬集落から林道を使っての長時間の歩きは、確かに長いのですが基本的にしっかりとした林道ですので迷うこともありませんし、最悪 日が落ちてしまってもヘッドランプがあればなんとか車までたどり着くことは出来ます。
ところが、今日行ったこのコースは沢から登り返す際に、踏み跡程度しかない解りにくい道をロストしてしまい、日没を迎えてしまうと確実に即「遭難」です。
登り返しの杉林の直登と笹の藪漕ぎという体力勝負の要素をクリアしないといけませんから、単独登山の経験のいる かなりリスキーな渓流釣りです。私も出来ることなら一人では行きたくない入渓アプローチです。
ただ、渓流の印象は、かなり魚影が濃い!という印象です。型は大きくはありませんが、生息数は多いと思います。
(たぶん、型の良いヤマメはすでに釣られてしまったのでしょう。)
でも何故か、以前はイワナの生息域だった記憶があるのですが、今日のドライフライに出た魚はすべてヤマメでした。
一昨年以降放流は行なわれていないはずですので、ネイティヴということなのでしょうか?
イワナはどこに行ってしまったのでしょう。台風でみんな流されたのでしょうか?
イワナとヤマメでは同じドライフライを使う釣りといっても釣り方が違いますし、そもそも定位するステージも捕食行動も全然違いますので狙うポイントも違ってきます。
今日は気温も上がり、水温も高かったのでヤマメ達はチャラ瀬やカケ上がりの縁ギリギリで補食していました。
チビヤマメも、それなりの型の成魚ヤマメも、活性は高いのですがプレッシャーも高く警戒心丸出して、本日の釣りの印象は「遊ばれてしまったな」と、いう感じでした。
今年初の渓流フライフィッシング、かなり興奮して釣り上がることが出来て すごく面白い釣行になりました。 大満足の一日でした!
…
一昨年の台風で西丹沢の世附川は大きな被害を受け、林道は斜面の崖ごと崩落し、橋もいくつも流され、川の渓相が一変してしまいました。
昨年は世附川本谷もそれにつながる数多くの支流も全て立ち入りが禁止となり、林道も車止めのある 浅瀬集落から先は閉鎖となっていました。
今年はとりあえず渓流釣りはOKとなっているようですが、肝心の林道の復旧は全然終わってませんので安全な通行は出来ない状態だそうです。
そこで、私も考えました、それなら反対側から山を越えて、谷まで下って源流域に入渓すればどうなのよ、と。
西丹沢の反対側からのアプローチはいくつかありますが、いずれも登山道らしい道は無く かろうじて作業用の踏み跡程度が確認されるだけのようで、基本的には背丈以上の笹の藪漕ぎと谷への強行突破が前提ということのようです。
唯一の救いは、西丹沢の長野県側稜線上には東海自然道が走っていて、かなり荒れてはいますが、稜線上の踏み跡と標識ははっきりしてます。
(台風被害前の)一昨年までの浅瀬集落から林道を使っての長時間の歩きは、確かに長いのですが基本的にしっかりとした林道ですので迷うこともありませんし、最悪 日が落ちてしまってもヘッドランプがあればなんとか車までたどり着くことは出来ます。
ところが、今日行ったこのコースは沢から登り返す際に、踏み跡程度しかない解りにくい道をロストしてしまい、日没を迎えてしまうと確実に即「遭難」です。
登り返しの杉林の直登と笹の藪漕ぎという体力勝負の要素をクリアしないといけませんから、単独登山の経験のいる かなりリスキーな渓流釣りです。私も出来ることなら一人では行きたくない入渓アプローチです。
ただ、渓流の印象は、かなり魚影が濃い!という印象です。型は大きくはありませんが、生息数は多いと思います。
(たぶん、型の良いヤマメはすでに釣られてしまったのでしょう。)
でも何故か、以前はイワナの生息域だった記憶があるのですが、今日のドライフライに出た魚はすべてヤマメでした。
一昨年以降放流は行なわれていないはずですので、ネイティヴということなのでしょうか?
イワナはどこに行ってしまったのでしょう。台風でみんな流されたのでしょうか?
イワナとヤマメでは同じドライフライを使う釣りといっても釣り方が違いますし、そもそも定位するステージも捕食行動も全然違いますので狙うポイントも違ってきます。
今日は気温も上がり、水温も高かったのでヤマメ達はチャラ瀬やカケ上がりの縁ギリギリで補食していました。
チビヤマメも、それなりの型の成魚ヤマメも、活性は高いのですがプレッシャーも高く警戒心丸出して、本日の釣りの印象は「遊ばれてしまったな」と、いう感じでした。
今年初の渓流フライフィッシング、かなり興奮して釣り上がることが出来て すごく面白い釣行になりました。 大満足の一日でした!
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日本渓流の源流域に点在する自然石堰堤の魅力 … WanderVogel ― 2012/04/16
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一昨年の台風で被害を受けた世附川支流域ですが、源流部はそれでもまだ被害は少なかったのか、石積みの堰堤が奇跡的に残されていました。
(堰堤左岸側は崩れて修復されたのでしょうか、新しくきれいな石組みの表情になっています)
渓流を遡る沢登りやフライフィシングでは、自然渓流の美しさを堪能することも目的なのですが、時にこういった先人達が苦労して積み上げたであろう石積み堰堤の美しい姿を見ることが出来ます。
自然渓流では源流部に近づくと谷は狭まり渓谷となりゴルジュ帯となったり、1枚岩で出来ているのではないかと思われるほどうつくしいナメ滝が現れたり、何段かに分かれて落ちる壁のような滝が現れたりと遡行していても飽きることはありません。
「沢登り」は世界の中でも日本独特の山登りのスタイルで、日本の山間部の川・渓流は山から平地までの距離が短い分、落差が激しく上流域ではほとんど滝のような渓相になります。
そのような日本独特の地形が「沢登り」という山登りのジャンルを産み、源流域フライフィッシングという釣りのジャンルを生み出しているのではないかと思います。
沢登りの話しはさておき、そのような落差の激しい渓流の中にあっては台風時の水害は大昔から周辺の人々の悩みの種だったはずで、先人達は写真のような石積み堰堤を山奥の小さな渓流の流れの中に苦労しながらいくつも造ってきたのです。
人の目に晒されることなどまったく無いであろう奥深い山中にあって、満足な機械や道具も入れられない中で造られたこの石組み堰堤の美しさは驚嘆すべきものです。
この堰堤は固い花崗岩(御影石)を手でひとつひとつ削って加工し、隙間なく積み合わせて造られたものです。
しかもちゃんと滝の落し口は三条に分かれ、水力を分散させながら美しく落ちるように考えて組まれているところも泣かせます。
この作りでこの高さであれば、雨が降って少し水量が上がればイワナもヤマメも滝の中を泳いで登って、上流に遡上することが出来るのです。
そうして組まれた堰堤でも、ひとたび大きな水害が発生すればどこかは壊れてしまうものですが、それらはちゃんと元の形に修復され今もなお綿々と使われ続けています。
荒々しさの中に美的センスと自然との融合を兼ね備えた、見事な堰堤ではありませんか!
私はそれほど極端な堰堤マニア、ダムマニア、石垣マニアではありませんが、エンジニアの一人としてはこういったものにはひどく感動を覚えるタイプではあります。
造り上げた職人の、手間を惜しまない律儀さと、仕事に対する心意気を感じる、立派に鑑賞に堪える一品でした。
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一昨年の台風で被害を受けた世附川支流域ですが、源流部はそれでもまだ被害は少なかったのか、石積みの堰堤が奇跡的に残されていました。
(堰堤左岸側は崩れて修復されたのでしょうか、新しくきれいな石組みの表情になっています)
渓流を遡る沢登りやフライフィシングでは、自然渓流の美しさを堪能することも目的なのですが、時にこういった先人達が苦労して積み上げたであろう石積み堰堤の美しい姿を見ることが出来ます。
自然渓流では源流部に近づくと谷は狭まり渓谷となりゴルジュ帯となったり、1枚岩で出来ているのではないかと思われるほどうつくしいナメ滝が現れたり、何段かに分かれて落ちる壁のような滝が現れたりと遡行していても飽きることはありません。
「沢登り」は世界の中でも日本独特の山登りのスタイルで、日本の山間部の川・渓流は山から平地までの距離が短い分、落差が激しく上流域ではほとんど滝のような渓相になります。
そのような日本独特の地形が「沢登り」という山登りのジャンルを産み、源流域フライフィッシングという釣りのジャンルを生み出しているのではないかと思います。
沢登りの話しはさておき、そのような落差の激しい渓流の中にあっては台風時の水害は大昔から周辺の人々の悩みの種だったはずで、先人達は写真のような石積み堰堤を山奥の小さな渓流の流れの中に苦労しながらいくつも造ってきたのです。
人の目に晒されることなどまったく無いであろう奥深い山中にあって、満足な機械や道具も入れられない中で造られたこの石組み堰堤の美しさは驚嘆すべきものです。
この堰堤は固い花崗岩(御影石)を手でひとつひとつ削って加工し、隙間なく積み合わせて造られたものです。
しかもちゃんと滝の落し口は三条に分かれ、水力を分散させながら美しく落ちるように考えて組まれているところも泣かせます。
この作りでこの高さであれば、雨が降って少し水量が上がればイワナもヤマメも滝の中を泳いで登って、上流に遡上することが出来るのです。
そうして組まれた堰堤でも、ひとたび大きな水害が発生すればどこかは壊れてしまうものですが、それらはちゃんと元の形に修復され今もなお綿々と使われ続けています。
荒々しさの中に美的センスと自然との融合を兼ね備えた、見事な堰堤ではありませんか!
私はそれほど極端な堰堤マニア、ダムマニア、石垣マニアではありませんが、エンジニアの一人としてはこういったものにはひどく感動を覚えるタイプではあります。
造り上げた職人の、手間を惜しまない律儀さと、仕事に対する心意気を感じる、立派に鑑賞に堪える一品でした。
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