浦安・猫実の庚申塔(正徳五年/1715年) … 邸園/文化財保全・HM2012/10/24

浦安/猫実の庚申塔
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浦安方面に打合せに行ったおりに見かけた、立派な猫実(ねこざね)の庚申塔:浦安市指定有形文化財。

大きな自然の石に「庚申塔」と彫られただけのものは地方に行くと良く見かけますが、ここにあるのは庚申の本尊である「青面(しょうめん)金剛」(狛猿の頭の上にちょうど姿が見えています) が邪気を踏まえて浮き彫りにされ、「見ざる」「聞かざる」「言わざる」の三猿(さんえん)も刻まれた本格的で立派な庚申塔です。

脇に立てられた説明書きには、正徳五年(1715年)1月で猫実(ねこざね)村の庚申講の信者によって建立された、と書かれていますからかなり古い時代のものです。

庚申信仰は中国の民間信仰から発達した「道教」の教えに由来します。
体内に棲むという「三尸(さんし)」の虫が、六十日に一度の庚申(かのえさる)の日にその宿主の身体を抜け出して、天に昇って天帝に宿主の日頃の悪い行状を告げ口をしに行くのだそうです。

あることないことを告げ口されて、寿命まで縮まってしまうのではかなわないので、庚申の日の前日からみんなで集まって徹夜で宴会をして起きていれば三尸も抜け出せないので、告げ口もされない、という都合の良い解釈(信仰)で人気があった「庚申講」です。


江戸時代には一層盛んになり、あちこちにこういった「庚申塔」がたくさん建てられたようですが、江戸時代から明治時代に入ると、明治政府は庚申信仰を「迷信」と位置付けて、街道筋に置かれたものを中心にその撤去を進め、多くが壊され撤去させられたといいます。

また、その後の高度経済成長期には道路拡張や都市部の開発によって、残っていた庚申塔のほとんどが撤去や移転で急速に姿を消していったという背景があります。

ですので、浦安/猫実(ねこざね)の町中に、良くこのような立派なものが残っていたなぁ〜、と感激して写真を撮ってしまいました。

青面金剛像を中心に、狛犬ならぬユーモラスな姿の狛猿が二頭、阿吽の姿で両脇を固めています。

・・・不定期につづく

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