横浜都市発展記念館・常設展示 … 邸園/文化財保全・HM2012/10/28

横浜の歴史展示
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横浜みなとみらい線「日本大通り」駅の真上にある「横浜ユーラシア文化館」に併設して(というか名目上こちらの方がメインなのですが…)「横浜都市発展記念館」があります。

2階・3階は「横浜ユーラシア文化館」で、東洋学者/江上波夫氏が所蔵していたユーラシア文化に関する貴重な資料や文物が展示されいて、こちらもじっくりと見ると2時間・3時間など直ぐ経ってしまうほど素晴らしい内容です。
そして、4階には横浜の開港以来のいろいろな出来事や都市の発展、文化・時代の移り変わりなど興味深いテーマで内容濃く展示されています。

10/15の富岡製糸場のBlogで書いたことに深く関係する「文明開化」の日本の時代背景や世相を知ることが出来、二つの都市が生糸の生産地と輸出港として一本につながっていることがよく解ります。そしてそれが世界と密接につながっていたことも理解することが出来ます。

写真はそれより少し下った1930年代初頭(昭和5年から昭和9年ぐらい)の風景や世相を紹介するコーナーです。
真ん中に写っている女子学生はその頃のフェリス女学校、横浜雙葉学園の女学生の姿だそうですが、このように山手にはキリスト教系の学校や外国人住宅、外国人/外交官向けのサロン・劇場などモダンでアール・デコな建物が続々と建てられていった時代です。

合わせてイセザキ地区には、外国人やハイカラな日本人相手のダンスホールやミュージックホール、カフェ、デパートなどが立ち並び一大歓楽街になっていきます。

明治から大正・昭和へと変わっていくその急激な変化の様子は、その時代に生きた人にとっては(今考えてもそうでしょうが)今まで経験したことのないような、本当に「夢のような」時代だったのでしょうね。
そしてそれを引っ張っていった人たちはみな、幕末(江戸時代)に生まれた人たちだったということに尊敬と驚きを禁じ得ない。

写真左側「郊外」の紹介コーナーの、(京浜急行が京浜湘南電鉄とよんでいた時代の)行楽ポスターが楽しい。

ハイキングは今と変わらず「三浦半島めぐり」や「湘南アルプス越え鎌倉コース」「鷹取山から神武寺コース」などが紹介されていますが、遊覧では今は無き「花月園」や「追浜航空隊と横須賀軍港」を巡るコースなどというのもあります。
催し物のハイライトが「花月園」を会場とした「満州国境警備博覧会」というのが何とも時代を感じさせますが、その他は今の時代と同じような のどかな観光パンフレットです。

京浜湘南電鉄の路線は品川から久里浜や新逗子など今とまったく変わらない路線網がすでに完成していて、郊外住宅地開発、京浜別荘地開発が盛んだったことを想像させます。
旧来からの観光地であったここ金沢八景も、交通網の発達と共に一気にリゾート化していく時期だったのでしょうね。

・・・不定期につづく

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